壽永元年(1182年)
六月一日 庚子
武衛(注1)御寵愛の妾女(亀前と号す)を以て、小中太光家が小窪の宅に招請し給う。御中通の際、外聞の憚り有るに依って、居を遠境に構えらると。且つはこの所御浜出便宜の地なりと。この妾、良橋の太郎入道が息女なり。豆州の御旅居より昵近し奉る。顔貌の細やかなるのみならず、心操せ殊に柔和なり。去る春の比より御密通、日を追って御寵甚だしと。
注1:武衛は頼朝の官位名
(中略)
十一月十日 丁丑
この間、御寵女(亀前)伏見の冠者廣綱が飯島の家に住すなり。而るにこの事露見し、御台所(注2)殊に憤らしめ給う。これ北條殿の室家牧の御方(注3)密々にこれを申せしめ給う故なり。仍って今日、牧の三郎宗親に仰せ、廣綱が宅を破却し、頗る恥辱に及ぶ。廣綱彼の人を相伴い奉り、希有にして遁れ出て、大多和の五郎義久が鎧摺の宅に到ると。
注2:政子
注3:牧の方は政子の父、北条時政の妾
(以上の「原文読み下し」は、こちらから引用、抜粋させていただきました)