『吾妻鏡』寛喜三年十月二十五日(法華堂焼失)

寛喜三年(1231年)辛卯 十月二十五日 丁丑 晴
晩に及び大風吹く。戌の四刻相州・公文所焼亡す。南風頻りに扇き、東は勝長寿院の橋の辺に及び、西は永福寺惣門の内門に至り、烟炎飛ぶが如し。右大将家びに右京兆の法華堂・同本尊等灰燼と為す。凡そ人畜の焼死その員を知らず。これ盗人放火の由その聞こえ有りと。

以上は、こちらから引用、抜粋させていただきました

 注:右大将家は源頼朝。右京兆は北条義時。

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