江ノ電鎌倉発0番線 

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 0番線? そんなホームがあっただろうか。
 毎日乗っている江ノ電。この始発駅の鎌倉で、私はいつもほっとした気分になる。新橋から横須賀線に乗ると、周りは疲れた背広姿の私と同じようなサラリーマンばかり。車内にはそれぞれが引きずってきた仕事の匂いが漂う。だが鎌倉で乗り換え、このひなびた、というより時代に取り残されたような古いプラットホームに立つと何故か心が落ち着いた。
 線路をはさんだホームの向かいにはペンキで描かれた地元の商店や病院の広告看板が並んでいる。その後ろには御成商店街の古い店舗兼住宅が、ホームに背を向けるように建ち並ぶ。ほとんどの家の窓は閉めきられ、中の様子は知るよしもないが、肉屋のコロッケを揚げる油の匂いがみょうにすきっ腹に沁みたり、コーヒーの香りが漂ってくるほうを見れば、古い喫茶店の裏窓からかすかな灯りがもれていてアンティーク調の店内の様子がわずかにうかがえることがある。その生活感のただよう、時のゆっくりと流れているプラットホームが私は好きだった。
 江ノ電は単線だが、この鎌倉駅は始発駅ということもあってホームが二つある。それぞれが何番線だったか長年この駅で乗り降りしていながら気にもとめたことはなかった。だから0番線という表示を見たときも、はて、そんな番線があっただろうか、というわずかな戸惑いが一瞬頭をよぎっただけで、ゆっくりと入ってきた江ノ電の車両をいつものように、ぼおっと眺めていた。
 江ノ電にはレトロ電車というタイプの車両が二種類ある。ひとつは10型、もうひとつは20型。どちらもレトロ調にデザインされてはいるが実は新型の車両だ。車内の造りも昔の車両を模してレトロにまとめられてはいるものの、やはり新しく作ったものだという匂いはぬぐえない。ディズニーランドへ行ったとき、最初はおとぎの国に迷い込んだような素敵な錯覚に酔うものの、しだいに細部の作りが見えてきて軽い幻滅を覚えるのに似ている。
 ところが江ノ電にはレトロ電車とは別に、本当に古い車両も現役で活躍している。チョコ電の愛称で親しまれた茶色の旧車両はすでに引退したが、ほかにも旧型の車両はある。車両整備の都合かなにかで、時々やたらに古い電車がピンチヒッターで走っている。そんな車両にめぐり合うのも江ノ電に乗る楽しみのひとつだ。
 だから、そのときも、おっ、これはまたとびきり古いやつがご老体に鞭打ってお出ましになったのだな、と心の中でニヤリとしたのだった。
<1>

 窓や扉の周りの枠が武骨に出っぱっていて、トロリーバスのようなパンタグラフが大きく突き出ている。かなりの時代物。レトロ電車ではなく本物の超旧型車両である。
 当然のことながらそういう車両の扉は手動である。開けたとたんに重油の匂いがむっと鼻につく。床が板張りになっていて、それに塗りこめられた油性のワックスが放つ匂いだ。電灯は暗く、赤みがかった柔らかな明かりが車内をぼんやりと照らしていた。
 乗客はだれもいない。それも時間帯の遅い江ノ電では珍しいことではない。私は濃い群青色の起毛布が張られた座席に座った。いつもの柔らかなシートに比べると硬いクッションが尻の骨にあたる感じがした。
 薄暗い車内でひとりぽつんと発車時刻を待っていると、今日一日の疲れでまぶたが重くなってくる。そのうえきついポマードのような油性ワックスの匂いで少々酔ったような気分になった。ほんの一瞬うとうととしたのか、チリンチリンという鐘の音で目が覚めた。それが発車の合図だったのか、大またで走る靴の音がして一人の男が飛び乗ってきた。黒い外套を着て、鍔のついた帽子を被っている。斜め向かいの座席にどっかりと座ると、はあ、はあと荒い息をしている。帽子を取ると額の広い細面の顔つきにどこか見覚えがあるような気がした。それにしても今時、いかにも重そうな分厚い生地の外套をはおり、帽子など被っている男など、そうそう見かけるものではない。だが、この超旧型車両にはその男のファッションが妙に似合っているな、とそのときは思った。
 江ノ電は沿線の家屋の軒下をすりぬけるように走る。夏などに電灯をつけて窓を開け放っている家などは一瞬茶の間の様子まで見えてしまうことがある。そんなときは家屋の明りが車内をぱっと照らす。そのときも暗い電灯の車内に、外から差し込んだ光がフラッシュを焚いたように一瞬男の顔を照らし出した。広い額、細面に鼻筋のとおったなかなかの好男子。どこかで見たような気がする。俳優だろうか? と瞬間、私はテレビや映画の記憶をたどろうとした。けっこうな二枚目には違いないのだが、への字に曲げた口もとはちょっと河童に似ているような気もする。だが、眉間に深いしわを寄せてじっと遠くを見つめたその顔は、深い苦悩を漂わせているように思えた。
<2>

 考えてみれば私もあんな顰めっ面をいつもしているのかもしれない。あの2000年問題のときまではシステムの大改修で大変な思いをした。忙しくはあったが仕事は充実していた。自分の将来がどうなるのかなどと考える暇もなかった。ところが今、私たちが作ってきた古いシステムは新たなIT技術を基盤にした次世代のシステムに置き換えられつつある。すでにメインフレームの時代は過ぎ去り、若い技術者にはいくらでも仕事はあるが私たちのような前世代の技術者の出るまくは無くなった。第一線を退き、いったんはシステム部門の中間管理職という立場に身を置いたものの、そういう立場の人間は少なければ少ないほど良いものだ。今、私は自社系列の販売会社に出向となり、営業マネージャーという立場になった。まがりなりにも配下に数名の若手営業マンはいるが、それまでコンピューターシステム開発の仕事しかやってこなかった人間がいきなり販売のマネージメントなどできようはずもない。勉強のつもりで自分から申し出、営業の現場を経験させてもらうことにした。しかしわざわざ申し出るまでもなくグループマネージャーとしてのノルマを達成するには、もとより一営業マンとして自ら動き回る必要があったのだ。配下の若手営業マンのあとをついて顧客回りもした。取引先の担当者からは「ずいぶんとトウの立った新人ですね」などと皮肉交じりの冗談を言われたりもした。もともと話し下手なのに、顧客に愛想をふりまき、軽い世間話をしながら注文書や納品書を書かねばならないこともある。話もしどろもどろ、納品書の内容も間違いだらけとなり、部下の営業マンになんとか取り繕ってもらった。あとでその部下から散々皮肉交じりの愚痴を言われた。
 営業所のトイレの便座で一人うらぶれながら用を足していたとき、配下の営業マンが二人で入ってきた。後ろの扉の中に私がいることも知らず、連れションしながらの立ち話。
「まったく、こんどのうちのマネージャーにはまいるぜ。ドジっていうかドンクサイっていうか。あんなんでよく本社の課長なんかやってたもんだよ。こっちは尻ぬぐいばっかり。足手まといもいいとこだぜ」
 グループとしてのノルマを達成するために配下を管理し指導するのがマネージャーというものだ。だが、とてもそんな状況ではなく、自信もプライドも失った。それでも営業所長からはグループのノルマを厳しく突きつけられ、毎月のマネージャー会議は針の筵だった。本社ではセクシャルハラスメントやパワーハラスメントに対する自戒の風潮があったが、営業所ではそのようなものはどこ吹く風、どうどうと人権を無視する叱咤暴言が飛び交い、机をたたく蹴飛ばすはあたりまえに行われていた。もっとも営業所長は営業所長でエリアマネージャーから営業所ノルマを突きつけられ、似たり寄ったりの圧力を掛けられているのだから理解できなくもない。そう思って堪えるしかない、と自分を納得させた。
<3>

 システム開発にも納期という厳しい目標があったが、考え、工夫し、そして最後は徹夜で頑張れば、なんとかシステムは動き出した。長年やっていると、苦しい時期でも完成の目処が見えれば精神的にはずいぶん楽になったものだ。だが、この営業の世界は少々違った。少なくとも私にとっては大きく違った。こちらがどんなに頑張っても顧客という相手が買わない、と言えば絶対に買ってもらえず、ノルマは達成できないのだ。
 毎朝、朝礼で営業目標達成の決意を大声で唱和するようなことも肌に合わなかった。そんなことにいったいどんな意味があるのか理解できなかった。つい、ぱくぱくと口先だけ合わせていたら、営業所長から声が小さい、と一喝された。これではまるで軍隊と同じではないか。営業とはそういうもの、と頭では納得させても体が拒絶反応を起こして頭痛や吐き気がした。
 辞めたい。辞めます、と言うだけなら簡単にできそうだが、やはり辞められない。家には妻と高校生の息子と雌猫が一匹いる。やつらを食わせねばならない。家のローンもあと十年は残っている。今の会社を辞めてどうするか、から考えはじめ、どうどうめぐりの自問自答を繰り返し、結局のところやはり今の仕事を続けるしかない、といういつもと同じ結論にたどり着く。そんなことを帰りの横須賀線の中で毎日のように繰り返していた。
 そして月々のノルマに追われて月末になると、きまってうつ病のような状態になった。ふだんは横須賀線の北鎌倉駅を過ぎると、うっそうとした森に覆われた鎌倉山が東京からの電波を遮り、携帯も鳴らなくなるような気がして心が少しだけ軽くなる。現実には電波は届き、携帯はやはり鳴るのだが、江ノ電に乗ってしまえばもう仕事の世界とは別世界と割り切ることにしている。ところが月も後半になると、やはり仕事の余韻を背負ってしまい、そんなときは私もきっと、今斜め向かいに座って口をへの字に曲げている男と同じような顔をしているに違いないのだ。
 北条氏に攻められた和田一族が討ち死にした場所という言い伝えのある塚があることから名のついた和田塚の駅を出ると、男はふうっ、と大きな溜め息を漏らした。きっと何か面白くないことを思いつめていて、それを振り払うように一息ついたのに違いない。私など、そんなことがしょっちゅうだからよくわかる。この男が何者だかよく知らないが、同じ男としてなんとなく気持ちがわかるような気がした。
<4>

 和田塚をあとにした電車は速度をあげることなく減速を始めた。もともと江ノ電はチンチン電車といわれるくらいで横須賀線のような高速で突っ走ることはない。しかし、それにしても、いつもより遅いなと思っているうちに、もう次の駅に着いてしまった。
 男は重い腰を上げるように立ち上がり、扉のところで車掌に切符を渡して降りていった。その後姿はやはり何か重い荷物を背負っているように思えた。
 ゆっくりと走り出す車窓から駅名の表示が見えた。薄暗い灯りの下に『海岸通り』という文字が読み取れた。和田塚の次は由比ヶ浜のはずで『海岸通り』などと言う駅はない。私は、一瞬、おや? と思ったのだが、ごくたまに江ノ電も駅の工事などで臨時の停車場を設置することがある。だから、その時も私は、何かそういう類のものだろうと深く気にとめなかった。
 極楽寺のトンネルを抜けるとき、暗い電灯が途切れ途切れに点滅した。私は床の油性ワックスの匂いで少々気分が悪くなり、電灯の点滅とともに軽いめまいを覚えた。いつもとは何かが少しずつ違うような気がした。極楽寺の駅を過ぎ、稲村ヶ崎を過ぎれば、次は私の降りる七里ヶ浜だ。それまで家屋のあいだをすり抜けるように狭い軌道を走ってきた江ノ電が、七里ヶ浜の海岸に出たところで海岸に沿って大きくカーブしてゆく。昼間なら海に浮かぶ江ノ島が視界に飛び込んできて相模湾の大パノラマ風景が見える。休日であれば観光に訪れた人たちから「あっ海だ!」という小さな歓声があがる場所だ。夜であれば漆黒の海の中に宝石を散りばめたような光の島、江ノ島が見え、私にとっても心癒されるところではある。そこから電車は速度をあげ、七里ヶ浜の海岸沿いを軽快に走ってゆく……はずだった。ところがなぜか、その日は徐々に速度を落とし七里ヶ浜へ出たところで電車は停まった。駅舎もなく夜の海が見えていることから、また臨時の停車場かな、と思った。窓から立て看板式の表示板が見え『姥ヶ谷』と書かれてあった。たしかにそのあたりは昔から姥ヶ谷と呼ばれているあたりだが、現在は姥ヶ谷という地名はなく、たんなる通称で使われているだけのはずだ。それに手前の稲村ヶ崎の駅を工事しているわけでもないのに、なんでこんなところに臨時停車場を置くのかな、という小さな疑問が頭をよぎった。
<5>

 やがて電車はいつもと変わらぬ七里ヶ浜の駅に着き、私はそこで降りた。
 それにしても今夜は超レトロな車両に懐古趣味のやさ男。おもいがけない臨時停車場といいなんだか面白い夜だったな、と思った。そんなのんびりとした、それでいてちょっと風変わりなところもある江ノ電での通勤が、私のささやかな息抜きの時間なのである。
 だが、家に帰れば会社とはまた違った煩わしさも待っている。それを思うとまた少しだけ気が重くなった。

「浩志、これから行くの? 今夜はちゃんと帰ってくるんでしょうね?」
 妻の少々ヒステリックな声が聞こえた。それは浩志に向かって言いながら、実は同時に私にも向けられているのだ。
 階段を下りてくる音はしたものの、返事はない。
「隆志さんも少しは言ってちょうだいよ、テレビばっかり見てないで。浩志ったらこれから遊びに行くって言ってるんですよ。こんな時間からよ」
 テレビは見ているというより、ただ画面を眺めている、といったほうが正しい。放心状態で画面を眺めていることもあれば、他のことを考えていることもある。いや、本当はただテレビを見ているふりをしているだけなのかもしれない。
「浩志、行くんならどこへ行くのか、何時に帰るかぐらい親に言うべきでしょ!」
「そんなの行ってから友達と決めるんだからわかんねえよ。そいじゃ、行ってきますね」
 父親には目も向けようとしない。
「あんまり遅くなって心配させるんじゃないぞ」
 声を荒げることもなく、叱りつけるでもなく、ただ見せかけだけの威厳を保ちながら、私は呻くように言った。そして玄関の扉が閉まるのを背中で聞きながら、またテレビの画面に目をもどした。
 以前はものを言うにしてももっと自信をもって言っていたような気がする。叱る言葉にも自信があるから腹の底から声が出ていた。叱られるほうにもインパクトがあったにちがいない。ところが今はどうだ。力の無い言葉は相手に届くまえに失速して地に落ちてゆく。いったいいつからこんなふうになってしまったのだろう。
<6>

「隆志さんも父親として、もっと言うべきじゃないの。あの子、最近学校もサボってるのよ。このまえ学校の通知表見たでしょ。遅刻、早退、欠席で進級も危ないのよ」
 成績などは問題外。それ以前の生活態度が問題なのだという。 大学はどうするのか聞けば、大学行ってサラリーマンなどのになるのはつまらない。大学へは行かずにフリーターになる、と言ったそうだ。
「フリーターよ!」
 とヒステリックな声のトーンが一オクターブ上がる。
「自分の息子がフリーターとかニートになってもいいの?」
 テレビの画面を見ている私の横顔に向かって妻がつめ寄る。この状況が私のもっとも苦手とするところだ。
「人に迷惑かけたり、犯罪者になったりしなけりゃ、それでいいじゃないか。高校生にもなりゃ、あるていど自分のことは考えてるさ。俺だってそうだったよ」
「こんな夜中にほっつき歩いてるんだから犯罪にかかわることだってありえるんじゃない。少なくとも、あの子、お酒飲んでるわよ。シンナーとか麻薬だってわかったもんじゃないわ」
 妻の顔が泣きそうになる。私はますます逃げたくなった。ただ、大学行ってサラリーマンなどになるのはつまらない、と言ったという息子のその言葉がずっしりと重く胸に残った。
「なあ、俺も疲れてるんだよ。会社から帰ったあとくらい、穏やかにいたいんだけどな」
「隆志さんはそうやって会社から帰れば煩わしいことから逃げれるけど、私はどうなるのよ。毎日家にいてあの子と向き合ってるのよ」
 煩わしいことと簡単に言うが、俺が外でどんなに苦労してるか知らんくせに! と、危うく口から出そうになった言葉を胸の奥に押さえ込んだ。押さえつけた言葉が胸の奥でジタバタともがいていたが、私はテレビの画面にどっかりと目を据えつけ、雑念を払って精神統一した。心頭滅却すれば聞きたくないものは聞こえなくなるのだ。

<7>

           *

「似てるなあ」
 私はパソコンの画面をじっと見つめながら、周囲を忘れて小さく独り言をつぶやいてしまった。
 昼食をとるところでもあり、休憩場所でもある行きつけのコーヒーショップの片隅で、私はモバイルPCをインターネットに接続していた。昼の混雑時はだめだが時間を選べばコーヒー一杯でそういうこともできる場所だった。
 メールで会社との連絡をとったあとは、新聞社のサイトでニュースや昨夜のナイター記事を読んだりしている。だが、その日は昨夜の江ノ電のことが気になって別のサイトを検索していた。
『明治二十五年、東京に生まれる。東京帝国大学在学中に同人誌「新思潮」に参加。大正四年に「羅生門」を発表。翌年、「鼻」が夏目漱石に認められる。大学卒業後、横須賀の海軍機関学校で英語を教える』
 作家、芥川龍之介の肖像写真は額の広い細面、鼻筋のとおった男が口をへの字にしてこちらを睨んでいる。まるで映画俳優のような二枚目だ。
 どう見ても昨夜の男と同一人物のように思えた。だが、そんなはずはない。明治二十五年生まれといえば、もう百歳はゆうに超えているではないか。
「なわけねえよなあ」
 ふたたび周囲を忘れて今度はしっかり声に出して言ってしまった。周りの客にはブツブツとうるさいオヤジだと思われているにちがいない。
 再び画面に目をもどす。
『教師時代に由比ヶ浜に下宿して横須賀まで通い……』
 私はその一文に釘づけになった。それから検索画面にもどって、当時、芥川が下宿していた場所を検索し、そしてさらに鉄道ファンが運営しているサイトで昔の江ノ電の駅名を調べた。明治から大正にかけて海岸通りという駅があり、芥川龍之介の下宿していた近くだった。そのサイトによれば稲村ヶ崎と七里ヶ浜の間に姥ヶ谷という駅名も見える。
<8>

 私は時間を忘れてインターネットのサイトを検索し、作家、芥川龍之介の影を追った。
 海軍機関学校の教師時代のことを書いた短編小説で『蜜柑』という作品があり、青空文庫というサイトで無料ダウンロードができた。

 ある曇った冬の夕暮れ時、男(小説では「私」となっている)は横須賀発上り二等客車のボックス席に座っていた。薄暗いプラットホームには檻に入れられた子犬が時々悲しそうに吠えている。それはまるでその時の男の心もようを映しているようだった。男はなぜか疲労と倦怠感に包まれていた……。

 おそらく「男」は芥川自身に違いない。当時勤めていた海軍機関学校が肌に合わなかったのだろう。技術士官の養成学校とはいえ、本質的には軍人の学校だ。文学者という芸術家の芥川の気質と合わなかったのは容易に想像できる。
 芥川の希望する進路がどのようなものだったのか、私にわかるはずもないが、やはり文芸に関るものだったと考えるほうが自然だ。エリート大学を出たものの、いわゆる五月病状態だったと考えれば、いかにもありそうな情景が思い浮かぶ。
 そして、ふたたび『蜜柑』へ目をもどす。

 そこへ髪を銀杏返しに結い、皹だらけの頬を赤く火照らせた、いかにも田舎者らしい娘が一人乗ってきて男の向い席に座った。霜焼けの手は三等の切符をしっかりと握っている。下品な顔立ち、垢じみた不潔な着物にくわえ、二等と三等の区別もつかない鈍純な小娘の心が男には不快だった。やがて汽車が走り出し、男は街頭のポケットから夕刊を取り出して膝のうえに広げた。書かれている記事はどれも平凡でくだらないものばかりでますます憂鬱な気持ちがつのる……。
<9>

 芥川という人がどんな人だったのか、いわゆる文学とは縁遠い私としては知る由もないが、今の世から見れば随分と差別的な人の見方をするものである。東大出の英文学者というものが、当時一般的にかなりのエリートであったからなのか、それとも芥川という人個人がとりわけエリート意識の高い人だったのか。いずれにしても今の世ならば、ちょっと憚られるような表現をよく平気で書いたものだと思いつつ、さらに読み進む。

 やがて汽車がトンネルへさしかかると、何を考えたか前に座っていた田舎者の小娘が汽車の窓を開けようとしている。だが娘の力では重い窓はなかなか開かない。皹だらけの頬がますます赤くなって鼻をすすりながら必死の形相をしている。これにはさすがの男も少々同情するものの、もしトンネルの中で窓があいたら汽車の煤煙が入って大変なことになる。男は娘の行為が成功しないことを祈りながら冷ややかな目で見ていた。ところが男の冷ややかな願いとは裏腹に、窓は開いてしまい、真っ黒な煤煙が車内に飛び込んできた。
 もともと喉を痛めていた男はハンカチで口を覆う間もなく咳き込む。頭ごなしに叱りつけようとしたところでトンネルからぬけ、山に挟まれた貧しい町はずれの踏み切りにさしかかった……。

 パソコンの時刻表示は一六時を過ぎていた。少々休憩を長くとってしまったようだ。そろそろ会社へ戻って営業報告書を書かなければいけない。『蜜柑』はダウンロードしてあるから、またいつでも読める。私はカップに少しだけ残っていた冷たいコーヒーをすすって立ち上がった。
<10>

           *

 0番線はいつもあるわけではない。それを知るのにそれほど時間はかからなかった。それは私の気持ちの状態によるのだ。仕事が順調なとき(まあ、そのようなことは滅多にないのだが)、月初めのまだノルマに追われていない心安らかなころに0番線に出くわすことはなかった。しかし、会社から逃れるように帰ってきたときは、江ノ電のプラットホームで、ほっとした瞬間、ふっと蜃気楼を見るように0番線が現れるようになった。
 その日もきっと憂鬱な気分で帰ってきたに違いない。あの窓枠のごつい、トロリーバスのように大きなパンタグラフの超旧型車両がゆっくりと入ってきた。扉を開け、中に入るとあの油性ワックスの匂いがした。だが、黒ずんだ床板から立ち上がるこのきつい匂いも、私にとってはどこか懐かしい心休まる匂いになっていた。
 この匂い、そしてほんのりと赤みがかった薄暗い電灯の明りに包まれることで、わずかに引きずっていた仕事の名残を断ち切ることができた。
 ふと横を見ると、二人分ほどの席を空けて、いつのまにか一人の男が座っていた。白い木綿の、昔の小中学生の体操着のような服だが、黒い油の染みでひどく汚れている。自動車整備工場の人かとも思ったが、あのよく見かけるツナギの作業服とも違っていた。
 思いつめたようにじっと前を見ているその男の手から何かがころがり落ちた。だが、男は放心したように宙を見つめたまま、それを拾おうともしない。やがて発車の鐘の合図とともに電車がゆっくりと動き出した。男の落とした何かがカラカラと音を立てながら転がりだす。それが私の靴にあたって止まった。それはアルマイトのような金属でできた水筒だった。拾い上げると、ところどころへこんでいて近ごろこんなものを使う人がいるのだろうか、と思うような粗末なものだった。
「これ、落ちましたよ」
 私は座ったまま、腰を横にずらすように男に近づき、それを手渡そうとした。男に近づくと油の匂いがした。それは床の油性ワックスとは違うガソリンのような揮発性の油の匂いが混じっていた。
<11>

「あっ、ありがとうございます」
 放心したような顔が横を向いて、今初めて私に気づいたような表情をした。二十歳くらいの精悍な顔つきをした若者だった。髪は高校野球の球児のようなスポーツ刈りで、私から水筒を受け取ると、急に背筋を伸ばし丁寧に挨拶した。
「失礼ですが、自動車整備関係のお仕事ですか?」
 私は決して社交的なほうではない。初めて会った人にいきなり職業を聞くなどしたことはなかった。だが、この奇妙な0番線に偶然乗り合わせたという不思議な、というか妙なめぐり合わせが私の好奇心を後押しした。
「いや、失礼、突然声をおかけして失礼しました。私はいつもこの電車で通勤してるものなんですが、この0番線というやつは……」
 突然話しかけられた若者が当惑していたようなので、私は非礼を詫びながら、この0番線の話題を持ち出そうとした。
「いや、自分は自動車ではなく船に乗っておりました。特務艦の足摺(あしずり)です」
 それまでの放心したような表情とはうって変わってはきはきとした口調になった。
「トクムカン? ですか」
 私は若者の言った意味がわからないまま聞き返した。
「はい、航空機燃料を積んでいた給油艦です」
「ああ、海上自衛隊の方でしたか」
 私はやっと納得した。体操着のような白い服は海上自衛隊の水兵が着ている作業着だったのだ。ナントカ艦といい航空機燃料といい、この少々軍隊調のはきはきとした話しかたは海上自衛官に間違いない。横須賀やこのあたりでは時々そういう若者を見かけることがあった。
<12>

「いえ、カイジョウ・ジエイ・タイ? というものではありません。海軍の横須賀鎮守府在役の艦に乗ってました。いや、今はもう在役ではありませが……」
 はきはきした口調が終わりのほうで力なく濁った。
「か、海軍のかたですか? 海軍の横須賀チンジュフ、と言いますと、大本営発とか大日本帝国海軍とかいうあの海軍のことですか」
「はい、自分は帝国海軍の二等水兵でした」
 私はどう話を合わせてよいのか言葉を失った。芥川龍之介の次は大日本帝国海軍である。いや、この0番線も芥川龍之介が乗ってくるくらいだから、海軍ぐらいで驚くこともないのかもしれない。
「で、今日は帰省か何かで」
 軍隊の人が郷里へ帰ることを帰省というのか今ひとつ自信はないが通じないことはないだろう。
「ええ、まあ、そうしたいところではありますが……」
 若者は言葉につまり下を向いてしまった。
 気まずい沈黙が漂った。何か悪いことを聞いてしまったのかもしれない。私は次の言葉が出せなかった。
 電車が極楽寺のトンネルにさしかかると、うつむいていた若者が頭をあげた。トンネルの中は轟々と電車の走行音が反響している。その騒音も十秒も我慢すれば出口を出て極楽寺の駅へ着く。車窓の外は真っ暗なトンネルの壁しか見えないのに若者はじっとその向こうにある何かを見つめていた。そして轟音が途切れると同時に電車は減速しながら極楽寺の駅へ入った。その途端、若者は窓越しにかじりつくようにして必死に外のホームを見ている。やおら窓を開けるとそこから首を出し、ホームの端から端まで眺め回している。それは誰かを探しているようだった。ふだんでも乗降客の少ない極楽寺に人影はなく、ホームのすぐ脇を流れる極楽寺川のせせらぎの音が小さく聞こえるだけだった。
<13>

 やがて発車の合図の鐘の音とともに電車が動き出す。改札口の前を通過するとき、若者はその奥の出口のほうをじっと見つめていた。だが、そこにも人影はなく、暗がりの中に赤い円筒形の郵便ポストがぽつんとたたずんでいるだけだった。
 若者はがっくりと頭を垂れ、窓枠に額を当てたまま動かない。
 何か事情がありそうだった。
「大丈夫ですか?」
 さしでがましいとは思ったが、あまり長いこと動かないで、じっと窓に伏せていたので少々心配になった。
「ええ……」
 そういって席に座りなおしたものの、まだ放心したように宙を見つめている。
「どなたかお探しでしたか?」
 余計なおせっかいではあったが0番線に端を発した好奇心がうずいた。
「ええ、ちょっと人を探してるんですが、見つからないんです」
 若者はさっきまでのはきはきした口調とはうって変わって、とつとつと話し始めた。

「自分は横浜の商船会社に勤めていたんですが、ある日、召集令状が来ました。いずれは来ると思っていたんで覚悟はできてました。船が好きだったんで海軍に入れたことも良かったと思ってます。船会社とかこのあたりの漁師などはたいてい海軍に入りました。海軍はよかったですよ。飯もうまかったし。カレーライスなんてのもあって、こんなうまいもの自分は海軍に入るまで食ったことありませんでした。ただ、艦が給油艦だったんで油の匂いがずっとしていて最初は飯のとき気になりましたね。すぐ慣れましたけど……」
 電車は稲村ヶ崎の駅に近づいていた。
<14>

「油の一滴は血の一滴ですから、匂いなんて言ってられません。自分たちは神機突破油送隊と命名されて、重要な任務についてましたからね。もし航空機燃料の補給が途絶えたら、その日から飛行機は飛べなくなって米英に制空権を握られ、その時点で日本の負けは決まってしまいます。本土では石油は採れませんから、自分たちが命をかけて運ばなければならないんです。だから、あの日もバリクパパンで航空機燃料を積んでサイパンに向かってたんです。サイパンの第一航空艦隊への補給作戦でした。ああ、これは軍の機密で人に話してはいけないんですが……、もう今となっては関係ないでしょう」
 力のない口ぶりが、その後の日本の運命を知っているようだった。
「バリクパパンというと、どのあたりになるんでしょう?」
「南方のボルネオです。そこに石油補給基地があるんです。大日本帝国にとって戦略的に重要な拠点です」
「はあ、そうですか。ところで、さきほどの極楽寺のお知り合いの方というのはどういう……」
 電車が稲村ヶ崎の駅に着いた。私は次の、いや、この電車の場合次に姥ヶ谷があって、その次の七里ヶ浜で降りなければならない。しだいに残された時間と話の行く末が気になりだした。
「実は私の家はさっきの極楽寺にありました。横浜の会社へもそこから通っていたんです。それで、近所に幼馴じみといいましょうか、なんていいますか、親しかった女性がいたんです」
 暗い電灯の下で、若者の顔が薄っすらと紅潮したように見えた。
「その女性は女子高等師範に行ってまして、卒業も近かったんですが、戦況が厳しくなったころから平塚の落下傘工場へ学徒勤労動員に出ておりました。女子挺身隊なんて呼ばれて頭に鉢巻き巻いてみんなでミシン踏むんだ、って言ってました。あの人たちはあの人たちでお国のために頑張っているんだから自分も頑張らなければいけないって思ってました」
 若者は女性を思い浮かべているのか遠くの虚空を見つめていた。
<15>

「幼馴じみですから小さいころはよく話をしましたし、稲村ヶ崎の海にもよく遊びに行きました。私が潜って稲村の磯からサザエやトコブシなんか採ってくるんです。ワカメも採れましたよ。ワカメの根っ子のところのメカブ、あれを湯でさっと湯がいて細かく刻んで醤油かけると美味いんですよね。私が海に潜っている間、まだ幼かったあの人は浜で一人で待っていました。私があんまり長く潜っていると、心配そうな顔をして渚のあたりまで入ってくるんです。ところで海鵜っていう鳥ご存知ですか?」
 知ってる、なんてもんではない。私にとってはたいへんな害鳥だ。時々、家の近くの電信柱に首の長い黒い鳥が群れて止まっていた。道路が鳥の糞で真っ白になっているあたりは要注意。上から糞の爆弾が落ちてくるからだ。私は出勤のとき、その生温かい爆弾にやられて往生したことがあったのだ。
「そうですか、今でもいるんですね。あの鳥、海潜るのが得意で魚を追いかけてずいぶん長いこと潜るんです。岸から見ていると、あんまり長く潜ってるので、いったいどうしたんだろうって心配になったころ、五十メートルくらい離れたところにぷっかり浮いてきたりして。まったく思わせぶりな鳥なんですが、自分も潜るのは得意なんで、けっこう長いこと潜ってから水面に上がってくると、幼いあの人が腰まで海に入ってきて泣いてるんです」
 若者の目には幼い女性とともに故郷の風景が浮かんでいるに違いない。その目は深い悲しみを湛えていながら、それでいて輝いて見えた。揮発油の匂いを漂わせ、油の染みにまみれた服を着ていても、それと相反するようにその若者が清々しく見えた。いったい今の若者、そう、私の息子たちがこんなように輝いている瞬間があるのだろうか。私は複雑な思いにとらわれた。
「採れた獲物はあの人の家にも持っていきました。あの人の母親にも自分の母親にも喜ばれましたよ。あのころは、まるで自分たちは兄弟みたいで、そう、あの人は自分の妹みたいな……」
 妹、と言った若者の顔がわずかに紅潮したのを私は確かに見た。
「でも……大人になるにつれ、あまり表立って親しくはできなくなりました。周りの目がありますからね。時々二人で話をする場所といえばあの極楽寺の駅だったんです。偶然会ったように、ちょっと立ち話をしているような様子をしてですね……」
<16>

 長谷の大仏の前で携帯カメラを片手にかざし、肩を抱き合った頬擦りポーズで自分達を撮ってるバカップルや、片瀬のビーチでお天道様の真下で抱擁してる破廉恥な連中を思い浮かべ、自分の若いときにも似たような心当たりがないわけでもないが、今目の前にいる純真な若者とつい比べてしまった。
「最後に会ったのも極楽寺の駅でした。私はお国のために一生懸命働こうと思いました。あの人も同じでした。でも、でも……これは言ってはいけないことなんですが……自分は、自分は、お国のために死のうとは思いませんでした。必ず帰ってくるつもりでした。あの人にもそう言いました。あの人も待っていてくれると言いました。ですから自分は、自分は、お国のために働くのは、これは、これは、絶対、絶対言ってはならないのですが……」
 若者の肩が大きく揺れていた。泣きそうになるのを堪えながら、搾り出すように声を出していた。
「自分は天皇陛下のためではなく、あの人や、父や、母のために精一杯働いてくるのだと言いました。あの人もそれをわかってくれました」
 若者はついに堪えきれずに大粒の涙を落とした。ズボンの黒い油の染みの上に涙が落ちて滲んでいった。
「戦況は厳しい状況でした。大本営の発表も全て本当とは思っていませんでした。これも言ってはならんことですが……。そうでなければ学童疎開なんてやりませんよね。もう、いつあの人たちも疎開するかわからない状況だったので、自分が帰ってくることができたとしても、あの人がどこに居るのかわからなくなるかもしれないので、自分たちは約束をしたんです。離れ離れになっても、戦争が終わったら、毎月、一日の日に、この極楽寺の駅へ来よう、って。自分は絶対に死なないから、必ず帰ってくるから、そうしたら毎月、一日にはかならずここへ来るから、君も来て欲しい。そうすれば、離れ離れになっていても、いつかきっと会える。そう言いました」
 若者が頬を伝う涙を油の染みた袖で拭うと頬骨のあたりが薄っすらと黒くなった。
 私は言葉を出すことができなかった。なんと慰めてよいのか言葉が見つからなかった。しかし、これでやっとさっきの極楽寺での経緯(いきさつ)がわかったと思った。
<17>

「でも、今は、あんな約束をしたことを後悔しています。あんな約束しなけりゃよかった」
「いや、その人にも事情があったんですよ。そうに決まってます。きっと来られない事情があるんですよ」
 私にはそれしか言うことができなかった。
 あのころのことはいろいろ聞いている。戦後の大混乱だ、状況も人の心も嵐のあとの川のように濁流となってすべてを押し流していったのだろう。
 私は若者が不憫で不憫でたまらなかった。この若者に比べたら私の悩みなど鼻くそみたいなもんである。
「いや、そうじゃないんです。自分はあの人にひどいことをしてしまったんです。あの人になんて詫びたらいいのか、一度でいいから、あの人に会って、言いたかった。待たなくていいんだ。いや、待っていてはいけないんだ。君には君の人生を歩んで欲しい、と」
 若者はそこで絶句した。私も、少し意味がわからなくなり絶句した。
 そうして若者は思いなおしたように顔をあげ、言った。
「あの人は毎月来てくれたんです。毎月、一日(ついたち)の日に、一日中待っていてくれました。この極楽寺の駅のホームで、電車が終電になるまで……。自分は嬉しかったです。すごく、すごく嬉しかったです。一日の日は鎌倉と藤沢の間を何度も往復して、この電車の窓から何度も、何度もあの人の姿を見ました。あの人は電車が入ってくるたびに私を探していました。私はあの人に声をかけたかった……。ここにいるぞ、って叫びたかった。だけど、それはかなわないことでした。毎月、毎月……、そして何年も、何十年も、あの人は待っていてくれたんです」
 毛糸の編み物をしながらホームのベンチに座っていることもあった。夏の暑い日は蝉が鳴いていた。雨の降ったあとは駅のそばを流れる極楽寺川の水が増え、電車の扉が開くと川のせせらぎの音が聞こえた。夏の初めは熊野神社のお祭りでお囃子太鼓の音が遠くに聞こえていた。
<18>

「そのどれもが私にとっては懐かしい音です。その音に包まれながら、あの人は私を待っていたのです」
 若者は、遠くのあの人の面影を追って宙をただよっていた。
「でも、あの人は少しずつ歳をとりました。私はそれを見るのが辛かった。もう来なくていい、もう忘れてくれ、と何度も叫びました。でも私の声は届かないのです」
 何故なんだ。何故君の声は届かないのだ。そう私は聞きたかった。だが、それを聞くのが怖かった。目の前にいるこの若者が、この世に生きる者ではないだろう、ということは薄々感じ始めていた。しかしそのことが恐ろしかったのではない。二人が二度とあうことのできない別々の世界にいるのだとしたら、そのあまりに不憫な事実を知らされることが怖かったのだ。聞きたくない。そう思った。だが、若者は語り始めた。
「あの日、自分たちの船はバリクパパンを出てサイパンに向かっていました。航空機燃料を積んで第一航空艦隊へ補給するためです。あのときはまだ夜明け前だったと思います。まだ暗かったですから。当直との交代時間が迫っていたので自分は寝床の中でもう目を覚ましていました。そのとき突然大きな衝撃が起きたんです。艦全体が振動するような、初めて経験する衝撃でした。でも何が起こったかはだいたい想像がつきました。敵の攻撃を受けたのです。おそらく敵潜水艦の魚雷攻撃でしょう。そのころは敵に狙われていることも薄々わかっていました。なにしろ護衛の艦をつける余裕すら無くなっていたのですから、敵に見つかったらそこでおしまいです。おまけに航空機燃料を積んでいるんです。航空機燃料はガソリンですからね、引火したら爆発します。もっとも自分たちの船は船腹の鉄板が二重になっていて、すぐには引火しないようになっていますから、船から退避する余裕が少しはあります。二回目の衝撃を受けた時、退避命令が出ました。爆発は時間の問題だったと思います。自分は泳ぎには自信がありましたが、船が近くで爆発すればひとたまりもありません。必死で泳ぎました。そのときは、恥ずかしながら……恥ずかしながら天皇陛下のことは頭にありませんでした。考えていたのは、あの人と、父と、母と……」
 いったん乾いていた若者の目尻からまた涙があふれた。
<19>

「泳いで泳いで泳ぎまくりました。服を着たままだったのであまり速くは泳げなかったのですが、おそらくあの時が一生で一番力をふりしぼって泳いだと思います。仲間もたくさん泳いでいました。ちょうどフィリピンのタウィタウィ島が見えていたので、敵の機銃掃射や艦の爆発さえ起きなければ助かる見込みはありました。自分は泳ぎは得意でしたから島まで泳ぐ自信はありました。事実、助かった仲間もおりました。でも、でも、やはり艦は爆発したのです。当然、敵の潜水艦は沈没するまで魚雷を撃ってきます。それが敵の狙いですから。爆発は時間の問題でした。島影に向かって泳いでいたんで、背中のほうから爆音が轟きました。艦のタンクに引火したんです。自分は爆風は避けられたのですが、流れ出した航空機燃料につかまってしまいました。航空機燃料はガソリンです。気がつくともう周りは火の海でした」
 そこで若者はふっと自虐的な笑みを浮かべた。
「よく火事になって火の海になるって言いますでしょ。でも、あの時はもう海の上がぼうぼうと真っ赤に燃えてるんです。本当の火の海だったんです。ガソリンは海水より軽いですから海面をどんどん広がってゆきました。それに爆発で引火するのですから、本当に地獄のような火の海でした。泳いでいた仲間の頭があっという間に火に飲み込まれました。私はそれを見て海に潜りました。長く潜って泳ぐのは得意でしたから、火の燃えていない海面まで泳ぎつければいいんですが……。潜って、潜って、潜り続けました。あの海鵜……そう、あの稲村の磯にいた、長いこと潜って人を驚かせる、あの海鵜みたいにね」
 若者は薄っすら笑みを浮かべながら遠くを見る目をした。おそらく彼の目には幼かったあの人と遊んだであろう鎌倉の海の風景が映ったに違いない。
 だがふたたび険しく悲しそうな表情に戻った。
「私は生きたかった。なんとしても生きて帰りたかった。あの人や、父や母のいる日本へ……。こんなところで死んでたまるか! って思いましたよ。悔しかったなあ。あの人との約束が果たせなくなることが、本当に、本当に、たまらなく悔しかったです」
<20>

 両手でズボンの膝のあたりを強く握りしめ、その小石のような握りこぶしが小刻みに震えた。
「そもそも、なんで自分たちは給油艦なんてものに乗らなければならなかったのか、今考えるとよけいに悔しい思いがします。あのころ、いや今もそうでしょうけど、日本は石油の採れる国ではありません。なのに、戦争をするための飛行機や船を動かすのに石油は無くてはなりません。だから、わざわざ東南アジアの国まで採りに行ったんですよね。お国のために、と、あの時は自分も思いましたが、あの人や、父や、母や、この国自身がふつうの生活をするために油を使うのではなくて、飛行機を飛ばし、船を動かすため、つまり戦争をするために油が必要だったんです。そのために油を採りに行って、そこでまた戦争してる。いったいなんのために、自分は、自分は……。もちろん、あのときはそんなこと考える余裕などありませんでした。ただ、ただ生きたかった。あの人との約束を守るために。だから、なんとしても火の燃えていない海面まで泳ぎつきたかった。でも頭の上の、海面の方が、燃える火に赤々と照らされて明るくなってきたんです。暗いはずの海の中が、どこまで泳いでも真っ赤に照らされて明るいんです。まるで地獄の中を泳いでいるようでした。そして、だんだん息が苦しくなってきました。自分は潜るのが得意なんで、なんとか、なんとか……そう思いましたが、おそらく、もう意識が朦朧となっていたんだと思いますが、あの人が現れて、あの人が海に入ってきて、お兄ちゃん、お兄ちゃん、どこにいったの、て泣いてるんです。あの幼かったころみたいに……。私は、私はもう一度海の上に上がって、ここだよ、ここにいるから心配するな、て叫びたかったです。悔しかった、本当に悔しかったです。死んでも死に切れない、って思いました。あの人との約束を果たさないまま、こんなところで死んでたまるか……って、思っているうちに、すべてが遠のいていったんです」
 若者の目は遠くを見つめたまま、放心していた。
 だが、しばらくして我に返ったように、ズボンを握った自身のこぶしを見つめながらぽつりと言った。
「でも、死んでも死にきれない、って、あるんですね。言葉のうえだけではなかったんですね」
 ズボンの膝を握りしめたまま、今度は肩を震わせた。
<21>

 死んでも死にきれない、とは言葉のうえだけではない、と言った若者の存在を、私は今、目の当たりにしているのだ。
 死んでも死に切れない者。その姿がそこにあった。
「だから、何も知らずに、毎月、毎月、極楽寺の駅に来てくれるあの人が可哀そうでしかたなかった。私があんな約束をしたばっかりに、必ず帰ってくる、なんて言ったばっかりに……。たしかに生きて帰った仲間もいましたからね。島へ泳ぎ着いて、無事帰還した者や、戦争が終わってだいぶ経ってから帰った仲間もいます。だから、あの人もあきらめきれなかったんでしょうね。そういう人たちを見て、いつか自分も帰ってくる、って思ったんだと思います。そうやって何十年も待っていてくれてたんです」
 若者の表情の中に自責と悔恨が浮かぶのを私は見た。だが次の瞬間それが緩んだような顔になった。
「ところが何年か前から突然姿が見えなくなったんですよ。もう相当の歳になってましたから、あの人も……。もしかしたら、もしかしたら、亡くなったのかもしれません。でも、たとえそうだとしても、今度は自分が待つ番です。そうです、たとえあの人が亡くなっていたとしても自分は待ちます。あの人が自分を待っていてくれたように……」
 若者の目は遠くを見つめていたが、何か静かな決意をたたえているように思えた。

 電車はすでに姥ヶ谷を過ぎていて、七里ヶ浜に着こうとしていた。私は慰める言葉も見つからないまま、若者の肩に手を置いた。言葉のかわりに、ただ手の温もりだけを伝えたかった。私にはそれしかできなかった。もしかしたら冷たいのではないかと思っていた若者の体は温かかった。温かい血の流れる逞しい若者の体だったように、そのときの私には思えた。
 私は言葉もなく、伝えたくても伝えきれない、その気持ちだけを手の温もりにのせ、そのまま七里ヶ浜で降りた。
 私にはどうしようもできないこと、そう思いながら、それでも極楽寺でいつも待っていたという女性のゆくえだけはわかるかもしれない。それをつきとめることが、せめて、あの若者たちの悲しみや悔しさを踏み台にして、今の世を生きている私の務めかもしれない。
<22>

 生温かく湿った潮風は、遠い南方の空気を運んできたのだろうか。海風に吹かれながら帰りの道々、私はそんなことをぼんやりと考えていた。

 家に帰ると玄関で息子とすれ違った。おそらく、またこれから夜遊びに出かけるのに違いない。親ならば何か言うべきだろう、とは思ったが、息子もそれを察したのかそそくさと無言で出て行った。親子の会話というものが、ここのところまったくない。

「なあ、極楽寺の駅に毎月一日の日に来る女の人、って知ってるか?」
 私はビールのグラスをテーブルに置きながら妻に聞いた。いきなり聞いても、とは思ったが、まさか0番線の話をしてことの顛末を説明しても信じてもらえるはずはなく、うつ病か精神病の心配をさせるだけだと思った。ところが妻の答えが即座に返ってきたので驚いた。
「戦争未亡人のお婆ちゃんでしょ? 毎月一日に極楽寺の駅で一日中待ってる、っていう。たしか湘南タウン新聞かなんかに出てたの見たことあるわ」
「戦争未亡人?」
 結婚はしてなかったはずだが……。でも、お婆ちゃんか。まあ、もう何十年も経ってるんだから、そうだろうな、という思いと同時に、やはり本当だったんだ、と思った。
「私も何度か見かけたことあるわよ。先々月だったかしら、ホームのベンチで編み物してたわ。なんだか気の毒よね。もうかなりのお歳で、元気がなかったみたい」
「先々月だって?」
「ええ、たぶん……」
 あの若者は、たしか何年か前から姿を見ていないと言っていたはずだ。
 おそらく私はそのまま固まったようになり、眉間に皺を寄せて考え込んでしまったのだろう。妻が私の顔を心配そうに覗き込んでいる。何か話しかけられたようにも思うが、言葉は耳に入らなかった。
<23>

 数年前といえば……。
 そのとき、私はなんとなく謎が解けたように思った。いや、考えれば考えるほどそうにちがいない。それはやがて確信に近いものになった。

          *

 0番線はいつも現れるわけではない。それは私の心の状態によるのだ。それがわかってから、私はしだいにその心の状態を意識的に作り出すことができるようになっていた。いわばマインドコントロールである。そうして、あのことがあった翌月、またあの若者に会った。そして、私は彼のあの人に必ず会わせることを約束した。その話をしたとき、最初、彼は私の言うことを信じなかった。そんなはずはないと首をふっていたものの、ようやく納得し、今日、また会う約束をした。今日はきっとあの人に会える日なのだから。
 先月は担当地域の販売目標を達成できなかった。今月もまた駄目だったら……。そんなことを考えるとたまらなく憂鬱になった。逃げたい、と思った。仕事のことなど全て忘れてしまう世界へ行きたい。江ノ電鎌倉駅のホームで、そんな思いに捉われることは多々あることだったが、あえてそれを意識的にコントロールして念じた瞬間、0番線の表示がぼうっと蜃気楼のように現れ、心の底からほっとした気持ちがわきあがった。マインドコントロール成功である。
 やがて、あのいつもの超旧型車両がゆっくりと入ってきた。はたしてあの若者は乗っているだろうか。少し心配になりながら扉を開けると、待ち構えていたように一番端の座席に座ってこちらを見ていた。私を見つけて若者がもらした笑顔に私は心を洗われた。私から見れば、このうえなく不幸な境遇の中にいるというのに、いったいこの清々しい笑顔はどこから来るのだろう。少なくとも、私の息子や、近ごろの若者の中にこのような笑顔を見た覚えがない。
「今日は会えるといいね」
 今日はきっと会える日のはずなのだが、その女性が必ず来るという保障はない。病気だとか、何か突然の事情というものが起きないとは言いきれない。
<24>

「ええ、本当に」
 そう言った若々しい精悍な横顔を見て、私は少々複雑な気持ちになった。この若者は、今もあのころのままの若い姿をしている。息子より少しだけ年上のようだが、ほとんど同年代の青年である。しかし、若者が思いをよせる女性は時とともに歳を重ね、今ではかなり老齢のはずだ。そんな人に会う、いや、ただ見るだけのことが、この若者にとってどんな意味があるのだろうか。
「近ごろはかなりお歳を召していらっしゃるから、一日中駅にいるのも大変だろうね」
 若者の気持ちに水をさすつもりはなかったが、若者は何度も小さく頷きながら黙ってしまった。
「いやそうじゃなくて、つまりこういうことなんだ……」
 私は黙ってしまった若者にあわてて言い訳した。つまり、そんな大変な思いをしてまで毎月毎月、一日中待っているのは、その女性にとっては、君が帰ってくるかもしれないということが大きな励み、いや生きがいになっているんだろう、と言いたかったのだ。
「本当に、あの人にはすまないと思ってます。最初は来てくれるのが嬉しかったのですけれど、だんだん気持ちが重くなりました。どうか自分のことは忘れて、誰かと幸せになって欲しいと思いました。いつだったか、髪にパーマをかけていたことがありましてね。とても感じが変わったように見えました。なにか自分の知らなかったあの人の可憐さみたいなものを見たような気がして、少し胸がどきどきしたんですけど、その一方でなんだか自分から離れて遠くへ行ってしまったような、そんな気もしました。少し寂しかったけど、でも、これでいいんだ、誰かあの人を幸せにしてくれる人ができたのかもしれない。そんなふうに思ったりもしました。でも、それからも、あの人は毎月来てくれました。嬉しかったけど、反対に、もう来なくていい……」
 精悍で頑強そうな若者なのだが、少々泣き虫だった。近ごろ、こんなに涙を流す若者というのも、あまり見たことがなく、私はどうしてよいか、とまどってしまった。いったい、いつから若者たちは心から泣いたり、心から笑うことをしなくなったのだろう。
<25>

「もし、誰かと幸せそうにしているのを遠くからでも見ることができたら、もちろん、やっぱり寂しいことは寂しいんですが、きっと自分は安心できただろうと思うんです。夫婦で子供なんか連れてきてもいいな、そろそろそういう年頃だよな、とか思いました。でも、そうなったら駅に来ることなんかないですよね」
「そりゃあ来ないね。モト彼にイマ彼見せつけるようなもんだ」
 私は自分ながらうまいことを言ったものだと胸の中でほくそえんだ。だが若者には通じなかったようでキョトンとしている。考えてみればこの若者も本当なら私の父親の世代の人間なのだ。まっ、いたしかたない。
「いつだったか、あの人が手にしていた編み物を放り投げるようにして棒立ちになって、それから電車から降りてきた人に駆け寄っていくんです。その人のそばに寄って、その人の顔を覗き込むようにして、しばらくその人と言葉を交わしていたみたいなんですが、その人は首を横にふって立ち去りました。あの人は呆然と立っていました。そして……肩を落として……そのまま両手で顔を覆いました。遠くからでよくは見えなかったんですけど、あの人の小さな肩が震えていました。自分は、自分は、あのとき、本当に、本当に、あの人の前に姿を見せたかったです」
 私は、その光景を思い浮かべて、たまらない気持ちになった。私は、妻をはじめ、つきあったことのある女性のそんな姿をいまだかつて見たことがない。
 ただひたすら一人の人を待ち続ける。その人にとって、その人生にはいったいどんな意味があったのだろう。子供もないまま、あの歳になったということは、今はもう親しい家族というものもいないはずだ。編み物は誰のために編んでいたのだろう。いつ会えるかわからない、この若者のためだろうか。毎月、一日の日の最終電車が去ったあと、編み物をしまい、ひとり駅をあとにする時の気持ちはどんなだったろう。重い足取りで夜道を歩き、暗い一人だけの部屋に帰る。そしてまた次のひと月を過ごす。そのひと月を生きる糧となったのは……やはり希望しかないはずだ。
<26>

 若者がポケットに手を入れ、何かを取り出し、手のひらに載せてじっと見ている。どうやら貝殻のようだった。
「それ、何です?」
 私は、それを覗き込みながら聞いた。
「インドアオイガイです」
「インドアオ……?」
「インド・アオ・イ・ガ・イ。貽貝(いがい)の一種らしいんですけどね」
「インドというとあのインドの貝ですか?」
「いや、それが、これフィリピンの島で見つけたんです。航空隊のあった島なんですが、給油で寄港したときに浜で見つけたんです。あとで聞いたら名前はインドってついてるんですけど、フィリピンあたりにしかない珍しい貝らしいんです。じつは、あの人が子供のころから貝殻を集めるのが好きでして、稲村や七里の浜で桜貝とか綺麗な貝殻を見つけるととても喜んでました。集めた貝を箱に入れて、宝石箱みたいに大事にしてましたよ。それで、こんなものでも土産になるかなと思いましてね」
 もし、この若者が生還できていたら、どんなに素晴らしい土産になっただろう。きっと女性は一生の宝物にしたに違いない。私の妻が、私の送った婚約指輪のダイヤが小さいので恥ずかしくてつけていられない、と言って箱にしまったままにしているのを思い出し、ふと侘びしい気持ちになった。
「これ、なんとか、あの人に渡してもらえないでしょうか」
 若者は懇願するような目で私を見た。
「そうだね、できるなら渡してあげてもいいんだが、できるだろうか?」
 私には、この0番線電車と異界のものたちとの接触がどういうものなのか、いまだよくわかってはいなかった。はたして私が[異界のもの]をこの電車の外へ持ち出せるものなのか自信がなかった。
<27>

 そうこうしているうちに、電車は極楽寺のトンネルに入った。暗い電灯の下で若者の顔が少し緊張しているように見えた。トンネルを抜ければすぐに極楽寺の駅に着くからだろう。
 私も若者も、窓にかじりつくようにして駅の構内を探した。薄暗い電灯の下の狭いホームにあるベンチのひとつに人影を見つけた。何か毛糸の玉のようなものと袋を抱え込むようにして前かがみに俯いている。電車が速度を落としながら近づく。ちょうどその人が目の前に来たところで電車は停まった。ベンチに座っている人は年老いた女性だった。
 若者が窓際を離れ、扉のほうへ駆け寄った。私は声を出すこともできずにそれを見守った。窓の外にいる年老いた女性と、そして車内にいる若者の両方を交互に目で追った。
 女性が少しだけ顔をあげ電車の扉のほうを見た。若者が扉を開いた。女性は年老いていた。何かをじっと見てはいるが、すぐに表情を変えることはなかった。だが、しだいに、ゆっくりと頬が緩んでゆくように見えた。口元が何か言いたげに動いたように思えた。いや、確かに微笑んで、何かを言おうとしている。私にはよくわかった。確かに、扉に立つ若者を見つめている。二人はじっと見つめあっている。間違いない。私はそう確信した。
 女性の目から一筋の涙が流れた。そのまま女性は目を閉じ、うなだれるように前かがみになった。そして毛糸の玉と編み棒の入った袋を抱え込むように頭をたれ、そのまま動かなくなった。
 やがて女性の体全体が淡い光に包まれる。暗いプラットホームの中で、そこだけが淡い光で浮き上がったように見えた。頭をたれた女性がゆっくりと顔をあげた、ように見えたのだが、年老いた女性の頭は前にうなだれたままである。なのに、端正な顔の女性が、そこから、すっくりと立ち上がった。背筋がのび、年老いた女性の立ち姿には見えない。そう、その女性は黒い髪を後ろにまとめ、すっきりと細いあごをしていた。こういう女性をなでしこと言うのだろうか。そんな想いを誘ううら若き女性がそこに立っていた。女性はゆっくりと歩き出す。電車の扉に向かっている。そこには若者が立っている。二人は見つめあったまま、しだいに近づく。若者が後ろに退くように身を引いた。扉の中にその女性を招き入れようとしているのがわかった。女性は何も言わず、それでいてためらうこともなく扉の中に入った。
<28>

 私はその瞬間、ホームのベンチを見た。そこには年老いた女性の体が編み物の袋を抱え込んだままじっとしていた。私は少々気が動転していたのだろう。おもいがけない今の状況をふまえず、さっき若者に頼まれたとおりに、あの用事を急いで済ませたのだった。

 発車を知らせる鐘がなり、私が急いで戻ると電車は動き出した。
 若者は女性の手をとり、座席に座らせ、そのまま何も言わず手を握った。二人は声を出すことはなかった。ただ無言で手を握り合い、見つめあっていた。
 私も声を出すことはできなかった、というより野暮な言葉をかけることで、その全てが壊れ、幻のようにかき消えてしまうのではないかと恐れたのだ。だから、少し離れた席で、ただ二人をそっと見つめていた。
 目の前で起きている不思議な出来事に驚くより、胸の奥からこみ上げる嬉しさで胸がいっぱいになった。二人にとって戦争はたった今終わり、そして二人だけのこれからが始まろうとしているのだ。
 窓からは暗くなった七里ヶ浜の海に漁火のような灯りが点々と見えている。車内を照らす電灯は暗くとも、心地よい響きとともに走る電車の中は温かな幸せの明かりに包まれているように思えた。

           *

 最近は夜遅く帰ることが多かったので、私が夕食をとるとき、息子がそばにいるのは久しぶりのことだった。とはいえ、一家団欒のひとときといったような和やかな雰囲気があるわけではなく、きわめて会話の少ない、ただテレビの音だけが響くダイニングキッチンに、親子三人が偶然のように居合わせていた。
 浩志は食事が終わると、いつもはすぐに自分の部屋へ引き込むか外へ出て行ってしまうのだが、その日は珍しくそのままテレビを見ていた。
<29>

 そんな雰囲気の中でも私は私なりに自分一人くつろいだ気分になっていて、近所の腰越漁港で天日干しにして売っている畳イワシを肴にウィスキーを飲んでいた。私をそんな気分にさせたのは、昨夜のあのことがあったからだろう。あの不思議で、とても嬉しく、それなのに誰にも話せないあの出来事を思い出しながら、その余韻に浸っていたのだ。
「ねえねえ、ちょっと見て、あの戦争未亡人のお婆ちゃんのことが出てる。亡くなったのね」
 新聞を広げていた妻が、地方版の記事に目を釘づけにしたまま言った。
「いつもの極楽寺の駅のベンチで、だったんだ。死亡推定時刻は昨夜の十時から本日未明までの間……ですって」
 浩志がうるさい、とでも言いたげにテレビのボリュームを上げた。
「死体の横に付近の海では採れない外国のものと思われる貝殻が置いてあったため、事件との関連も疑われたが、司法解剖の結果、死因は老衰による心不全と判明、ですって。ふーん、なんなのかしらね、この貝殻、って」
 浩志がテレビのボリュームをさらに上げた。
「インドアオイガイ。フィリピンにしかないんだ」
 私はどうせ二人の耳には届かないだろうと思いながらつぶやいた。
「え、なんですって? ちょっと浩志、聞こえないじゃない。でも、本当に気の毒よねえ」
「そうでもないさ。ちゃんと……、ちゃんと、最後は二人とも幸せな気持ちになったはずさ」
 胸の奥から熱い何かがこみ上げてきた。
「そりゃあ二人は不幸な境遇だったよ。あんなこと、もう二度とあっちゃいけないんだ。いや、起こさないようにしなけりゃいけない。絶対に、だ。俺たちなんか、俺たちなんか、これでも、こんな俺たちでも、十分に幸せなほうなんだ。甘えてんだよ、俺も、おまえたちも、みんな……」
 ぶつぶつと、独り言をつぶやいているようにしか見えないのだろう。
<30>

「なに言ってんだか、ぜーんぜん聞こえない」と言いながら妻は私の言葉を聞く気もない様子で新聞を見ている。
 人気お笑いタレントのボケを受けて、わざとらしいヤラセの大爆笑がテレビから響いた。あの若者のような心から朗らかな笑いではなく、薄っぺらなバカ笑いだけがこの世に溢れているような気がして、私は無性に腹立たしくなった。
「テレビの音を小さくしなさい」
 ふつふつと沸騰しはじめた気持ちを抑えながらつぶやいた私の言葉はテレビの中のバカ笑いにかき消された。
「音を小さくしろと言ってるんだ」
 私はウィスキーのグラスをテーブルに置いた。
 反応がない。
「音小さくしろと言ってるのがわからんのか!」
 大音量でテレビの中のバカ笑いがどっと響いた瞬間だったが、それを打ち負かす、はるかに大きな声で怒鳴りつけてやった。
「お父さんとお母さんが話をしてるんだ、テレビの音消せ!」
 ふだん大声を出さない、いや、最近は口を出すことさえほとんど無かった私が突然怒鳴ったので二人は驚いたようだ。妻は目を丸くして私を見、浩志はふて腐れたような顔でテレビの音を消した。そのとたん騒音の中から抜け出し、耳の奥がキーンと鳴るような静けさが三人を覆った。
「いいか、どんな不幸な境遇でも希望は捨てちゃいけないんだ。大切なことは、大事だと想うことは、とことん想いとおせば、いつか通じるんだ!」
 私はグラスに少しだけ残っていたウィスキーをいっきに呷った。
「隆志さん、もう飲むのやめたら」
<31>

 おそらく私の言っていることをまったく理解していない妻は、私が酔って、つもり積もった仕事の鬱憤が爆発したとでも思ったのだろう、少々不安げな顔をしている。浩志はアホらしい、とでも言いたげにテレビの音をまた上げようとした、が……。
「俺は酔ってなんかいないぞ! 浩志、大学へ行けとは言わないさ、高卒でもいい。ああ、高卒で十分だ。そのかわりな、ちゃんと卒業しろよ。いきたくもない大学なんて行ったって意味ないんだ。ああ行くな行くな、行かんでいい! 大卒の肩書きのためだけに単位なんか取ったって何の役にも立ちゃしないんだ!」
 何の役にも立ちゃしない、に渾身の力を込めて言ったとたん、自分自身のことが頭に浮かび、なんだか惨めになった。
「大学なんてのはな、その気になりゃ、本当に行って勉強したけりゃ、いつでも行けるんだ。そのかわりな、ちゃーんと生きろよ。ちゃーんと生きるってことは誠実に生きる、ってことだ。誠実に生きる、ってことは自分にたいしても、人にたいしても、きちんと向き合うことだ。きちんと向き合っていれば、必ず大切に思う人が現れるもんだ。そういう人ができたら、ちゃーんとその人を愛せ。ちゃーんと人を愛するってことはな、その人を大事にするってことだ。不幸にしちゃいけないんだ。そうなったらいやでもそういう気持ちになるんだ。そのためにはフリーターでいいか、よーく考えろ。ニートなんてのは問題外だ! 父さんは、母さんや、おまえのこと……、おまえたちのこと……」
 自分でも信じられないほど歯の浮くような気恥ずかしい言葉を、そこまでは自分でも驚くほど軽快にまくし立てたのだが、その先の言葉だけはさすがに言うのをためらった。
「だ、だ、だ、大事に……」
 そこだけは二人に聞こえないように、小さく呟くように言った。
「そう想ってるから、こうやって毎日働いてんだ! サラリーマンが面白いとか、面白くないとか、そーんな問題じゃないんだ! 馬鹿やろう!
 最後は二人をぶっ飛ばすような啖呵をきってやった。
<32>

 そして、そのまま、ふう、と大きく息を吐いて椅子の背もたれにどっかりともたれかかった。おそらく、そう、おそらく私は真っ赤な顔をしていたにちがいない。だが、それは酒のせいではなかった。
 二人はしばらく私のほうを見て黙っていたが、浩志がぽつりと言った。
「なんだよ、やっぱ、酔っぱらってんじゃん」
 それだけ言うとテレビを消し、しずかに階段を上がっていった。
 酔ってなどいないさ。でも、酔ったふりくらいしないと、こんな恥ずかしいこと言えるわけないではないか。
 私は浩志が自分の部屋の扉を閉める音を背中で聞いていた。そして今日は玄関の扉の音ではないな、と思いながら目を閉じた。酔って、酔いつぶれたふりをして……。

 翌日、営業所に本社のシステム本部長から電話があった。また、もとの部署へ戻って来てくれないか、というのだ。
 すでにほとんどのシステムは新たなIT技術をベースにしたものに置き換わっていたが、生産管理システムの基幹部分がまだ旧式のメインフレーム系システムのままだった。たとえごく一部とはいえ、その部分は重要な機能で、それゆえに複雑なロジックで出来ていることから、今までそう簡単に置き換えられなかったのだ。当分は新しいシステムに換えることができないのに、緊急で対応しなければならない大きなシステム変更が発生したらしい。若い技術者は新しい技術は身につけていても旧式のメインフレーム系システムを構成しているCOBOLやアセンブラーといった前世代のコンピューター言語には弱い。本部長に、君の力が是非必要なんだ、と言われれば、心も動いた。しかし、遅かれ、いずれはお払い箱になる身ならば早く新しい仕事に慣れるか、新たな進路を模索するほうが自分にとっては良いのかもしれない。そう思うと、すぐには返事ができなかった。だが、それでも何か忘れていた自信がよみがえってくるような気がした。
<33>

 そういえば、あの若者がカレンダーを読み違えていることに気がついたのは、かつてのシステムエンジニアとしての経験からだった。あの2000年問題は昔のコンピューターのカレンダーの西暦が二桁しかなかったことから、ほとんどのプログラムが西暦二桁で作られていて、99年の翌年が00年になってしまう問題だった。しかし、同時にもうひとつの問題への対応もあったのだ。うるう年である。うるう年は通常四年に一度。コンピューターシステムでは『西暦年を4で割って、割り切れる年はうるう年』と判断する。しかし、これには追加の例外条件があって『100で割り切れる年はうるう年ではない』のだ。つまり2000年はうるう年ではない。コンピューター2000年問題は、この追加例外条件が織り込まれていなかったプログラムへの対応でもあった。我々がまだ若かったころ、二十一世紀というのは夢のような未来に思えた。まさか自分たちが組んでいるプログラムが21世紀まで動いてるなどとは思ってもいなかった。だから、うるう年にしても追加の例外条件までは織り込むことを怠っていた、というのが本音だ。だから、あの2000年問題のシステム改修のとき、私はひとつでも修正漏れがあってはいけないと思い、必死にプログラムロジックを追っていたのを今でもよく憶えている。
 あの西暦2000年は、百年に一度の例外条件を知らない人にとっては通常のうるう年と思われていた。そして、まさにあの若者はそう思いこんでいた一人なのだ。2000年はうるう年と思い込み、その年の二月は29日まである、という誤った計算をしたため、彼の暦はそのときから一日ずつ後ろにずれたままになり、あの人と悲しいすれ違いを続けていたのだった。

           *

 インターネットの青空文庫からダウンロードしたものの、読みかけのままになっていた芥川龍之介作『蜜柑』を私は再び読み始めた。その後段はおよそ次のような内容である。
<34>

 横須賀から鎌倉へ向かう汽車がトンネルヘさしかかったところで、例の田舎者の小娘が窓を開けた。トンネルの中で窓を開けたのだから汽車の煤煙が車内に入り大変なことになったのは言うまでもない。
 もともと喉を病んでいた芥川自身と思われる男は、ハンカチで口を覆う間もなく咳き込んでしまう。頭ごなしに娘を叱りつけようとしたところでトンネルからぬけ、山に挟まれた貧しい町はずれの踏み切りにさしかかった。そこには三人の小さな男の子が目白押しに並んでいた。みな背が小さく貧しい着物を着ている。その三人が何やら意味のわからない歓声をあげると、窓から半身を乗り出していた娘が、それまで大事そうに抱えていた包みの中から、霜焼けの手で何かをつかみ出して放り投げた。宙に舞ったのは、心を踊らすばかり暖かな日の色に染まった蜜柑だった。
 男はその一瞬、全てを理解したという。おそらく、小娘はこれから奉公先に向うところであったのだろう。そうして見送りにきた幼い弟たちの気持ちに報いたのだ。それは本当に一瞬の出来事だったが、男の心には切なくもはっきりとその光景が焼きつけられた。そうしてわけのわからない朗らかな気持ちが湧き上がってくるのをしみじみと感じていた。
 男はその娘を見て、バカバカしい毎日の疲労、くだらなく退屈な人生を、ほんの一瞬忘れる事が出来たという。

 あの人が亡くなった新聞記事を見てから数日後、いつもの0番線発江ノ電で久しぶりにあの芥川龍之介の姿を見かけた。
 以前見かけたときは眉間に皺を寄せ、憂鬱な顔をしていたのに、その日は、どこか晴ればれとした表情をしていて、口元にわずかに笑みを浮かべながら海岸通りの駅を颯爽と降りて行った。きっと今日、何か良いことがあったにちがいない。
 私は彼の後姿を見て思った。
 ああ、あなたは今日これから『蜜柑』を書くのだろうな、と。
                            (了)

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