<原文読み下し>
建保七年 二月八日 乙巳
右京兆大倉薬師堂に詣で給う。この梵宇は、霊夢の告げに依って草創せらるるの処、去る月二十七日戌の刻供奉するの時、夢の如く白犬御傍らに見えるの後、御心神違乱の間、御劔を仲章朝臣に譲り、伊賀の四郎ばかりを相具し退出しをはんぬ。而るに右京兆は御劔を役せらるるの由、禅師兼ねて以て存知するの間、その役人を守り、仲章の首を斬る。彼の時に当たり、この堂の戌神堂中に坐し給わずと。
以上は、こちらから引用、抜粋させていただきました。
<現代語訳>(鎌倉歴史散策の歴散加藤塾別館、吾妻鏡入門より)
建保七年(1219)二月小八日乙巳。
義時さんは、大蔵薬師堂(後の覚園寺)へお参りです。このお堂は夢のお告げで建てたのですが、先月27日戌の刻(午後八時頃)にお供をしていた時、まるで夢のように白い犬をそばに見てから、気分が悪くなっておかしいので、刀持ちの刀を源仲章さんに渡して、伊賀四郎朝行だけをつれて引き揚げてしまいました。なんと義時さんが刀持ちをしていることを公暁は知っていたので、その役の人を目指して仲章の首を切ってしまったのです。丁度その時間に、このお堂の戌神将はお堂の中に居なかったんだとさ。