「大佛切通」項の全文
「大仏西の方なり。この切通を越えれば、常盤里へ出るなり。【東鑑】に、治承五年九月十六日に、足利太郎藤原俊綱が郎党、桐生六郎、主の俊綱が首を持参して、梶原平三が許に案内を申す。しかるに鎌倉の中に入られず。直に武蔵大路より深澤を経て腰越に向ふとあり。深澤をへて行道、此道筋ならんか。鶴岡一鳥居より、此処まで、二十町ばかりあり。」
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- 『新編鎌倉志』「大佛切通」
「大佛切通」項の全文
「大仏西の方なり。この切通を越えれば、常盤里へ出るなり。【東鑑】に、治承五年九月十六日に、足利太郎藤原俊綱が郎党、桐生六郎、主の俊綱が首を持参して、梶原平三が許に案内を申す。しかるに鎌倉の中に入られず。直に武蔵大路より深澤を経て腰越に向ふとあり。深澤をへて行道、此道筋ならんか。鶴岡一鳥居より、此処まで、二十町ばかりあり。」
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