『吾妻鏡』建保四年十一月小二十四日

原文読み下し
建保四年十一月小二十四日癸卯 晴
将軍家先生の御住所医王山を拝し給わんが為、渡唐せしめ御うべきの由思し食し立つに依って、唐船を修造すべきの由、宋人和卿に仰す。また扈従人六十余輩を定めらる。朝光これを奉行す。相州・奥州頻りに以てこれを諫め申さると雖も、御許容に能わず。造船の沙汰に及ぶと。

(以上の「原文読み下し」は、こちらから引用、抜粋させていただきました)

現代語訳
建保四年(1216年)十一月小二十四日癸卯。晴れ。
将軍実朝は、前世に住んでいた医王山阿育王寺を拝むため、唐へ渡りたいと思いついて、唐舟を建造するように宋人の陳和卿に命じた。又、お供をする六十数人をお決めなった。結城朝光が担当。義時や広元が、止めるように注意したが、聞くことなく造船を決定した。

  1. 2.江ノ島のこと

    江ノ島に架ける橋
  2. 1.鎌倉のこと

    源実朝の謎(1) これが実朝の墓?
  3. 2.江ノ島のこと

    江ノ島ヨットハーバーの今昔
  4. 1.鎌倉のこと

    中世鎌倉の港湾遺跡をドローンで空から撮影しました! ―『春を忘るな』の周辺(7)…
  5. 5.著作のこと

    ラフカディオ・ハーンの見た鎌倉・江ノ島(総集編)
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