建長寺境内図(写真の番号を図示してあります)
⑥梵鐘
戦災、震災の難を逃れて、建長寺創建当時からの数少ない遺品の一つ。建長七年(1255年)鋳物師 物部重光の制作。銘は蘭渓道隆が撰し、筆を執ったもので、国宝に指定されています。
ところで、鐘楼に、こんな説明板が立ってました。
これ、どう思います?
正岡子規といえば、日本を代表する俳人。文豪、夏目漱石にとっても先輩ですよね。そんな人が、「参考に」しますかね? という疑問は私だけではないでしょう。で、調べたところ、この句は、1895年(明治二十八年)9月6日号の「海南新聞」に初出、とのこと。前回の建長寺の記事でも触れましたが、漱石が円覚寺に座禅体験に訪れたのは、1894年(明治二十七年)ですので、その時に(お隣の建長寺まで足を延ばして?)詠んだものと推測できます。一方、正岡子規が「柿食えば……」を発表したのも、なんと同じ「海南新聞」で、こちらは、1895年11月8日発行。なんと、二ヶ月の差で漱石が勝ち! いえいえ、勝った、負けたではないですよね。同じ新聞紙上で発表したのですから、こっそり真似したわけではないでしょう。子規は、自信をもって「後出し」したはずです。まあ、横綱相撲のつもりでしょう。あらためて、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と吟じてみると……。うーん、やっぱこっちの方が深い! と私は思いました。いえ決して子規の権威を意識したわけではありません。「柿を食って」ふと聞こえてきた「寺の鐘」への感慨のほうが、ずっと深遠で諸々の心模様、情景が浮んでくるような気がしませんか? ほら……。
⑦法堂
もともとは修行道場。現在は、法要、講演会に使われているとのこと。(説明板より)
現在の建物は文政八年(1825年)に竣工。鎌倉最大級の木造建築で平成十七年(2005年)に重要文化財に指定されました。
扁額の「海東法窟」は、「中国(宋)から東に海を渡って仏法が伝えられた寺」という意味。
釈迦苦行像
このお像は『お釈迦様が極限の苦行・禁欲(断食)を行っているお姿を現したもの。(中略)この苦行像は、パキスタン北西部のガンダーラ文明の遺産で、ラボール中央博物館に安置されているお像をもとに製作され、2005年愛知万博に陳列された後、パキスタン国より建長寺に寄贈されました。』(以上、堂内説明板より)
とてもリアルな造形に驚かされます。
雲龍図
建長寺創建750年を記念して法堂の天井に描いて奉納されたもの。(小泉淳作)
⑧唐門
徳川家の菩提寺増上寺の崇源院御霊屋(おたまや)の中門だったものを正保四年(1647年)に仏殿や西来庵中門とともに建長寺へ移築した、とのこと。唐様の装飾は、現在の他の(ひなびた日本的な?)堂塔とはアンマッチな感じがしますが、考えてみれば(私見ですが)、かえって創建当時(鎌倉時代)の中国風の雰囲気を醸し、近世に再建された「日本風の」他の堂塔よりも創建当時の様相を再現しているかもしれません。
⑨庭園
蘭溪道隆・夢窓疎石(夢窓国師)により作庭された庭園と伝わる国指定名勝。
⑩龍法院
第十五世約翁徳倹(やくおうとくけん)の塔所(塔頭)。
⑪正統院(塔頭)への入口
いざ、半蔵坊へ!
半僧坊大権現(⑫)は、建長寺の守り神で境内の裏山にあります。
後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた静岡県浜松市にある方広寺から勧進されました。建長寺に勧請されたのは明治二十三年(1890年)といいますから、ちょうどハーンが訪れた前後です。『Glimpses of Unfamiliar Japan』には記載がありませんので、おそらく案内役のアキラは、まだ知らなかったのでしょうね。
だんだん裏山に入ってゆきます。
半蔵坊から天園ハイキングコースにつながっています。
神道の世界へ入ってゆきます。
さあ、登りの始まりだ。この日も体感温度は40℃でしたから、私の体力が持つか?
恐怖の石段登山です。
私の汗の雫が、石段にポタポタと……。
「敬神!」 神を敬ざるもの入るべからず! ということでしょうか。
いよいよ烏天狗たちの出迎えです。よく見ると、ここにも、あそこにも、たくさんいるではありませんか。ヒチコック映画『鳥』を連想して、ぞっとしました。
「おい、そこの者、止まれ!」と言われたような感じ。
おい、怪しい者は入れるなよ! と上の烏天狗が檄を飛ばす。と、
おう! こやつは怪しいです、応える家来。
あれが、烏天狗の統領でしょうか?
烏天狗というのは上位の者ほど翼が大きいようです。宝塚と同じ?
頂上の半蔵坊の狛犬も下界の鎌倉と建長寺を見守っています。
烏天狗の統領も、こうして鎌倉を守り続けて幾歳月……。背中が語ってるなぁ。
遠方に鎌倉の海が見えています。この景色はハーンに見て欲しかったな……。
取材終了!
山を下りて、外門(①)を出ると
⑬鎌倉学園
建長寺が運営する中高一貫校でサザンの桑田さんの母校。設立は1921年なので当然ハーンは訪れてません。
その他近隣の名所
浄智寺
ハーンは訪れていないようですが、鎌倉五山第四位。じつは当ブログ著者の菩提寺。父の墓参りは先日行ったばかりなので、今回はパス!(;^_^A)
東慶寺
駆け込み寺として有名。さだまさしの『縁切寺』はここ。
北鎌倉取材の後は、やっぱここだよね!
お! やってる、やってる!
ちゃ~んと、のれんが出てます!
こういうこと、よくあっからね。ここ。
これ、常連客のイラストレーターの絵を、お店自身が掲げてるんです。
取材お疲れ様でした~! と、自分へのご褒美!
最近は「生」なんか置いてる店もあるけど、町中華ならビンビールが基本!
しかも大ビンというところが嬉しい!(という私の決まり文句。さらなる私の愚痴におつきあいいただける方はコチラ)