外海から五島へのキリシタン移住
江戸時代の寛政9(1797)年に、五島藩主が土地開拓の人手を必要として、大村藩主に外海(そとめ)地方の領民を五島に移住させるよう要請しました。人口増加で困っていた大村藩主は快諾し、3000人ほどが五島に移住しました。その多くは潜伏キリシタンで、島内には、彼らが開拓した集落が今に残されています。例えば、水ノ浦集落(福江島)は外海から5人の男性とその妻子たちが移住し、開拓されました。表向きには仏教徒を装いながら、密かにキリスト教を信仰していました。しかし、土地開拓は過酷で、入植前には「五島はやさしや土地までも」と歌っていた潜伏キリシタンも、実際には「五島は極楽、来てみて地獄」と歌ったそうです。