稲村ヶ崎は鎌倉の前浜(注)である「由比ヶ浜」と江ノ島寄りの「七里ヶ浜」の二つの浜をへだてるように突き出した岬です。まさに「鎌倉と江ノ島のはざま」を象徴する岬でしょう。
注)「前浜」は中世においては鎌倉の海側地域一帯を表す地名(固有名詞)ですが、
ここでは「front beach」の意味。
稲村ケ崎から見た七里ヶ浜と江ノ島
『「七里ヶ浜の磯伝い、稲村ヶ崎、名将の剣投ぜし古戦場~♬」新田義貞』に登場する『鎌倉』という歌を知る人はもう少いのではないでしょうか。このサイトを運営している私でも一番の出だしくらいしか知りません。(もちろん私は尋常小学校なんて行ってませんが)
『七里ヶ浜の磯伝い、稲村ヶ崎、名将の剣投ぜし古戦場~♬』。
名将とは新田義貞のことで、護良親王より北条氏打倒の綸旨を受けて鎌倉に攻め込みましたが、鎌倉は三方を山に囲まれ、一方は海という天然の強固な要塞都市でした。伝説では、鎌倉に攻め入るのに苦戦していた新田義貞が、この稲村ヶ崎から黄金の太刀を海に投げ込み、龍神に祈るとたちどころに潮が引き、軍勢を率いてその干潟を歩いて渡り鎌倉に攻め入ったと云われています。そんな日本中世史の古戦場として知られた稲村ヶ崎ですが、時代を超えてさまざまなものが行き交う場でもあります。それでは、徒然なるままにご紹介してまいります。