1.鎌倉のこと

源実朝の謎(2) 実朝暗殺事件の影に蠢くもの

 この記事は、「源実朝の謎(1) これが実朝の墓?」からの続きです。

 源実朝は、建保七年(1219年)一月二十七日、右大臣拝賀式の鶴岡八幡宮で甥の公暁に殺されました。そして首(みしるし)は何者かに持ち去られ、首の無い屍が勝長寿院に葬られたのです。今回は、そんな陰惨な実朝暗殺事件の真相に迫っていきたいと思います。

■実行犯、公暁とはどんな人物?

 公暁は、第二代将軍、源頼家の子です。

 母親はの若狭の局、あるいは足助重長(加茂重長)の娘(源為朝の孫娘)と諸説あります(正室が誰かは明確ではない())。頼家の死(北条氏による暗殺)の後、源実朝の猶子(親子関係の結縁)となるも、実質的には三浦家に引き取られ三浦義村が乳父となって育てられました。その意味では、叔父の実朝には恩があるはずです。ところがその実朝を殺した。なぜでしょう? ここが最大の謎ですのでこの後じっくり探ってゆくとして、公暁は12歳になった時、僧侶になる修行のため京都へ送られます。しかし18歳になると、祖母である政子のはからいで鶴岡八幡宮の別当(長官)として鎌倉に呼び戻されましたが、その1年半後、事件に及んだのです。鶴岡八幡宮の別当といえば鎌倉幕府の宗教庁長官ともいえる役職で、破格の待遇です。政子にも恩があるといえます。しかし、その政子の子を殺してしまった。なぜか? 本来は自分が将軍になるはずだった。なのに……、という思いが公暁にあった、というのが一般的な見方ですが、このシリーズで真相を探ってゆきたいと思います。

 :後日(2021年1月)『源氏将軍断絶』坂井孝一著を読んだところ、公暁の母親は正室の足助重長(加茂重長)の娘(源為朝の孫娘)であると判明。ということは公暁こそ本来は嫡男(将軍候補)だったわけですが、頼家が若狭の局(比企能員の娘)の子、一幡を後継に指名したことから比企氏が将軍外戚となることを北条が危ぶみ、比企の乱になった模様。

■実朝暗殺事件当日のあらまし

 まず、事件のあらましについて『吾妻鏡』と『愚管抄』を底本にご紹介します。
(事件の核心に関わる部分以外は省略しますので、原文全文はコチラをご参照ください

 建保7年(1219年)一月二十七日、鶴岡八幡宮で源実朝の右大臣拝賀式が行われました。この日は晴れていたのですが、夕刻から雪となり二尺余り(70㎝前後)積もりました。
 大江広元(頼朝が最も信頼していた文官の長)は実朝に、「私は成人してから涙を浮かべたことがありませんでした。しかし今、涙を止めることができません。これはただ事ではないので、何か起こるかもしれません。東大寺供養の時の頼朝様の例にならって、束帯の下に腹巻(鎧)を着けていかれるとよいでしょう」と不吉な予感を訴え、大事を取るよう進言しました。ところが文章博士の源仲章(実朝の文系教育係)は「大臣大将にまで昇った人で、そのような事をした人はありません」と体裁を重んじて止めました。
 実朝は自分の髪を梳かしていた宮内公氏(整髪係りの人?)に、「記念に」と言って、一筋の髪の毛を与えました。そして、庭の梅の木を見て一句詠んだのです。

 出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
 (主人の私は出て行ってしまうが、梅よ、花を咲かせることを忘れるなよ)

 そして、酉の刻(午後6時前後)、実朝は雪の中を鶴岡八幡宮へと出発します。
(『吾妻鏡』には、「鳩が鳴く」とか「刀が折れてしまう」等の不吉を予感させる話も記されていますが、ここでは省略します)

 ここで、この事件に関わる重要な事柄が『吾妻鏡』にも『愚管抄』にも記されています。北条義時が将軍の太刀持ち役を担っているのですが、まさに八幡宮の楼門に来たとき「心神御違例の事有り」(気分が悪くなった)と言って、源仲章に太刀持ち役を代わってもらい、自分は自邸へ帰ってしまったのです。太刀持ち役は武官の役目(義時は武官の長)。源仲章は文官なので、これは異例のことなのですが、どういうわけか、すんなり交代してしまったのです。そして八幡宮での式典が終わった後、実朝が石段にさしかかると、実朝の甥であり、鶴岡八幡宮別当の公暁が襲いかかったのです。
 公暁は「父の敵を討った」と叫んだようです。

 そして、このとき、義時と太刀持ち役を代わっていた仲章も同時に切られてしまったのです。(階段脇、銀杏の木の下? で待ちかまれていた)公暁は、太刀持ち役が義時から仲章に変わっていることを知らないはずですから、義時と思って切ったはずです。(ここは事件の核心に関わることです)
 そして、(八幡宮は神域なので武装した兵たちは楼門の外で待機しなければならなかったのですが)兵たちが駆けつけたとき、すでに公暁の姿はありませんでした。
 実朝の首を取った公暁は、後見人の備中阿闍梨の雪ノ下北谷の家に行き、なんと実朝の首を抱えながら食事をしたとのことです。そして遣いの者を(公暁の乳父(養父)である)三浦義村邸に送り、「将軍を討ち取った。次は自分が将軍となる順番だから、早く段取りを整えよ」と指示しています。ところが義村は、公暁に「すぐに屋敷に来るよう」伝える一方で、すでに北条義時と連絡をとりあっていたのです。事件が起きた連絡を受けた義時は義村に「公暁を成敗」するよう指示し、義村は、家来の長尾定景を差し向けます。『吾妻鏡では、八幡宮の裏山を越えて義村邸に向かっていた公暁は、定景と鉢合わせし討ち取られ、公暁の首は義時邸に運ばれたということですが、『愚管抄』では三浦邸までたどり着き、塀を乗り越えようとしたところで討ち取られた、ということになっています。実朝の首については『愚管抄』では岡山(鶴岡八幡宮の裏山のこと?)にあった、としながら、その後のことについては触れていません。『吾妻鏡』では見つからないまま葬られた(一月二十八日の条)となっています。

 以上が事件当日のあらましですが、詳細については『吾妻鏡』と『愚管抄』の原文をご確認ください。

■実朝暗殺の背後に蠢く怪しい影

 さて、事件当日の出来事だけでも、怪しい影があちこちに見え隠れ、臭い匂いがぷんぷんするでしょう? 実行犯が公暁であることは間違いないとして、まずは、私が感じた「怪しい影」は次のようなことです。

●北条義時の影

 北条義時が式典の直前になって「気分が悪くなった」と言って自邸へ帰ってしまったのはなぜか?
 これについては『吾妻鏡』に、じつに言い訳がましいことが記されています。(こんな見え透いた言い訳が北条視点の『吾妻鏡』に記されていることも不思議というか不可解ですが……)

建保六年(事件の前年)七月九日の条
 大倉薬師堂は北条義時が夢のお告げを受けて再建したものであるが、そのお告げとは、薬師如来につき従う十二神将のうち(じゅつ)(しん)(しょう)(犬神)が現れ「今年の将軍の八幡宮参拝は無事であったが、来年の拝賀の日には供奉しないように」というものだった。

そして建保七年二月八日(事件の数日後)の条
 拝賀の式当日になって、義時は八幡宮の鳥居の前に白い犬がいるのを見つけ、急にそのお告げ(建保六年七月九日)のことを思いだしたのか、心神が乱れ、太刀持ち役を仲章に預けた。そのとき大倉薬師堂では、どういうわけか十二神将のうち戌神将だけが堂内にいなかった。(つまり、事件当日に戌神将が堂を抜け出して、義時に警告しに来てくれたのだ、と言いたいのでしょう)
 以上の『吾妻鏡』原文はコチラ

 義時には、源氏を一掃して北条氏が実権を握るという野望があり、子のない実朝を殺してしまえば源氏の血統を絶えさせることができる、という濃厚な動機があることから、黒幕説の筆頭にあがっています。
 しかし一方で、姉、政子の最後に残った子、自身にとっても血のつながった甥である人間を殺すものだろうか?(あの時代はそんなもんさ、と言ってしまえばそれまでですが……) 源実朝だって半分は北条の血。逆に、それを利用して北条氏が実権を握り続けることも可能だったはずと私には思え、疑問が残ります。

●三浦義村の影

 右大臣拝賀式は将軍の昇進祝いであり、御家人の誰もが参列したがっていたのですが、じつに不思議というか怪しいことに、幕府の中でも有力な御家人である三浦義村は参列していないのです()。今ならば、社長が文化勲章を受けることになったが、その叙勲祝いの式典に上級役員が出席していないようなものです。これ、どう考えてもおかしいですよね。となれば、第二代将軍、頼家の子である公暁を預かっていた乳父(養父)としては、公暁を擁立して、自身が執権になることを企んでいたということは十分考えられます。そうだとしたら、なぜ公暁を殺してしまったのか? 執権の義時も同時に殺害する計画だったが、それに失敗したためでしょうか?(義時と戦ったら勝ち目はないと思ったのか?)

 :後日(2021年1月)『源氏将軍断絶』坂井孝一著を読んだところ、三浦義村は、数ヶ月前にあった実朝の左大将直衣始の儀において、同族の長江明義とトラブルを起こし、行列の出発を後らせるという失態を犯している。そのため右大臣拝賀式ではペナルティーとして参加を停止させられたのではないか、と記しています。陰謀説の状況証拠の一つは消えたかもしれません。

●後鳥羽上皇の影

 源実朝は後鳥羽上皇を慕っていました。

 山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
 (山が裂け海が干上がるような世であっても、上皇様(後鳥羽上皇)を裏切ることなど、私には決してありません)

 という歌まで詠んでおり、上皇も実朝を憎からず思っていた。だから実朝を右大臣に昇進させた、という見方もありますが、もともと、鎌倉幕府は荘園に守護、地頭を配して、朝廷や公家から経済基盤を奪った憎むべき(倒すべき)敵です。だから京に修行に来ていた公暁を誘い込んで誑かし、「次の将軍はお前だ」とかなんとかうまいこと騙して(将軍の任命権はあくまで朝廷)、実朝を殺させ、実質の権力を朝廷に取り戻そうとした。つまり、公暁は後鳥羽上皇の「鉄砲弾」で、犯行後は口封じのため殺した? う~ん、なんかゴッドファアーザーっぽくて映画にできそうですね。(「鎌倉殿の13人」も、この線でいけば、主役の義時(小栗旬)を汚さずにすみますね)

 さて、今回の「実朝暗殺事件の影に蠢くもの」は、主に政治的な背景、動機という側面から暗殺の真相を探ってみましたが、決定打には至りません。この辺りを、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、どのように描くのか楽しみです。まさか、「実朝は公暁に殺されちゃいました」と、さらっと素通りするようなことはないでしょうね?(義時は好感度俳優の小栗旬なんだから、汚れ役はさせられないよ、な~んてことはないよね?) 

■次回「源実朝の謎(3)」は?

 歴史が動くとき、ほとんどの場合は政治・経済の面から説明されることが多いと思いますが、人が人を殺すということを政治的な動機だけで解明できるでしょうか? 次回は、より人間的な側面(関係者各人の人生観、感情、心)から、この事件を考え、真相に迫りたいと思います。

次回「源実朝の謎(3)」はコチラ

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