青砂ヶ浦教会
青砂ヶ浦教会 (あおすながうらきょうかい)(地図)
青砂ヶ浦にいつごろからキリシタンが住んだか不明だが、1878年頃には初代教会があったという。1899年から青砂ヶ浦が上五島の中心の教会となった。1910年建立の現教会は、鉄川与助設計施工によるもので、信徒が総出でレンガを運びあげた3代目の教会となり、2001年に国指定重要文化財、2010年に献堂100周年を迎えた。
堂内(絵はがき)
冷水教会
次は冷水教会(ひやみずきょうかい)へ。(地図)
冷水では五島崩れで迫害を受けた信徒は、逃れて戻ることはなかったらしい。今の冷水のほとんどの信徒は、迫害後、近辺や平戸や下五島などから移住してきた人々であるという。かつて信者たちは、対岸にある青砂ヶ浦天主堂へ伝馬船で通っていたが、1907年にようやく、現在の木造教会が建ち、青砂ヶ浦天主堂の巡回教会となった。近くの丸尾郷出身の鉄川与助が棟梁となって初めて手掛けた教会。(「新上五島町観光協会」及び「ながさき旅ネット」ホームページより)
堂内(絵はがき)
大曽教会
次は大曽教会(おおそきょうかい)へ。(地図)
外海(そとめ)地方(長崎市北西)の出津・黒崎・池島などから移住してきたキリシタンの子孫が住むという。1916年、鉄川与助の設計施工で現教会が建てられた。旧教会は若松島の土井ノ浦に移築されている。現在の教会は、レンガ造りの重層屋根構造、内部は3廊式でリブヴォールト天井をもち、外壁にはレンガの凹凸や色の違いを用いた装飾が行われている。(「ながさき旅ネット」ホームページより)
堂内(絵はがき)
教会からの眺め。五島の教会は、みな美しい浦に建っている。
五島列島の島はみな、海岸線が複雑に入り組んだ「浦」が無数といってよいほどあり、背面の山は険しい。本土から逃れてきたキリシタンたちが隠れるには都合のよい地だったことを想わせる。
隠れ(潜伏)キリシタンの痕跡を追っていると、漁港の機械設備にまでも十字が潜んでいるのでは? などと思ってしまう。(邪推)
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