堂崎教会
(地図)
禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、1880年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)が建てられました。その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コウモリ天井などの教会堂建築となっています。
現在は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。
1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。(以上 「ながさき旅ネット」ホームページより)
教会入口正面「聖ヨハネ五島殉教像」
伝道師を志ながら19歳で大阪にて捉えられ(1597年)長崎まで33日間の道程を耐え忍び、西坂において、他の信者、神父、25名とともに十字架上で殉教した。(聖26聖人の一人)
(以上 「4travel.jp」ホームページより)
アルメイダの宣教碑「出会いの日」
五島とキリスト教との最初の出会いはフランシスコ·ザビエル鹿児島上陸(1549年)から17年後の1566年の事である。
ポルトガル生まれで優秀な医師でもあったイエズス会宣教師ルイス·デ·アルメイダと、平戸生まれの日本人修道士ロレンソ(レリーフ左手前の2名)が五島領主18代宇久純定(レリーフ中央)の要請に応えて来島し、キリスト教布教と病がちの純定の治療に努めた。
純定の子純堯(すみたか)は受洗して1576年キリシタン大名となり、五島キリシタンは信徒2000名余りという隆盛の時代を見たが、純堯はその3年後に35歳で帰天し、五島は信仰の受難の時代を迎える。彼らは、時の領主宇久純定の招きにより、城中でキリストの教えを説き、多数の者を洗礼に導いた。この碑は、島の人々とキリスト教との「出会い」を記念するものである。
(以上 「Ameba」ホームページより)
堂内(五島市ホームページより)
この教会も美しい入江(浦)に建っている。かつて、信徒たちは、小舟に乗って礼拝に訪れていた。
五島市街に戻って福江城へ。(地図)
現在、城内は長崎県立五島高校になっている。(「五島列島縦断クルーズ」ツアーガイドさんが卒業した高校)
隣接する五島観光歴史資料館を足早に見て回り、急ぎレンタカー返却。「釣りします釣具店」の女性に送ってもらい福江港へ。
長崎行きのジェットフォイルに乗船。五島を後にしたのでした。
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