2.江ノ島のこと

ラフカディオ・ハーンの見た江ノ島(2)

辺津宮から奥津宮へ

 前回の(1)ではラフカディオ・ハーンが、片瀬から干潟を歩いて江ノ島に渡ってきたところまででしたが、「江ノ島行脚」も、いよいよ佳境に入ってまいります。(青文字は『日本瞥見記』(訳:平井呈一)からの引用です)
  ※ハーンの巡った江ノ島(参考絵地図)

 この珍しい町のはずれに、またもうひとつ鳥居がある。これは木の鳥居て、そこから、急な石段が上へのぼっている。石段の下には、奉納の石灯籠と小さな井戸があり、井戸のそばには、石の御手洗があって、参詣者は祠へ行くまえに、ここで手を洗い、口を清める。


現在は木製ではありませんが、この鳥居と思われます。石灯籠も二基あります。


御手洗は現在、コロナ感染対策で使用不可。今の世界の状況をハーンが知ったらどう思うでしょう? オーマイガー!

御手洗のわきには、漢字を大きく染め出した浅葱の手拭が、何本も下がっている。わたくしは、アキラに、その漢字の意味を尋ねてみた。――(以下は案内役のアキラの説明)
「漢音で読みますと奉献ですが、日本読みにしますと、献じ奉る、と読みます。つまり、弁天に、些少ながら、この手拭をささげる、という意味ですね。お国の方でいう、Votice offerings。(神への捧げ物)ですよ。有名な神社になりますと、いろいろ奉納品がありましてね。手拭をあげるものもいますし、絵を奉納するものもありますし、花立などをあげるものもいます。提灯、金灯籠、石灯籠などをあげる人もあります。ふつう、神仏に願をかけるときには、そういう奉納の品を、神仏に約束するのです。よく鳥居を奉納することを約束しますが、奉納する鳥居は、それを奉納する者の貧富の程度によって、大きいのでもいいし、小さいのでもよいのです。ごく金持ちの参詣者になりますと、下にある江の島の門のような、唐銅の鳥居を奉納します」


辺津宮(現在の本殿)の前にある御手洗。
「江戸麻布坂下町 藤屋半七」と、おそらく奉納者の名と思われる文字が掘られています。

(中略)石段をのぼって、高台の上へあがると、町の屋根が一望に見下ろされる。鳥居の両わきには、苔の蒸した、欠けた石の唐獅子と石の灯籠がある。


石段の上から参道の町を眺めた図。遠方には東浜海水浴場が見えます。


訪れる参拝客を睨むように唐獅子が鎮座。

(中略)高台のへりには、あちこちにいろいろの石碑が立っていて、そのなかには、この弁天宮へ百回参詣したという人が奉納した記念碑などもある。


この辺りは石碑の類が満天の星のごとくあります(現代の夜空での比喩ですが……)。私には風化した古文書のような文字を読解する能力がないので「弁天宮へ百回参詣したという人が奉納した記念碑」というのは見つかりませんでした。

右手の方に、またべつの石段があって、これをのぼって行くと、さらに上の台地へてる。その石段の下のところで、竹の鳥籠をこしらえていた爺さんが、ご案内をいたしましょうといって、自分から案内役を買って出た。この爺さんのあとについて、上の台地へのぼると、そこに江の島の子供たちの小学校がある。
 ※「竹の鳥籠をこしらえていた爺さんというのを頭の片隅に置いておいてください。

 現在は「江の島市民の家(公民館)」になっていますが、かつてはハーンの見た小学校のあった所です。雑木に遮られていますが、建屋の背後には片瀬の海と海岸のパノラマ風景が広がっています。(下の写真は付近の別の場所から撮った写真ですが、おそらく学校の窓からもこんな景色が見えたはずです)

 海に囲まれて育った子供たちには珍しくもないでしょうが、都会の子供たちなら授業に身が入らないでしょう。(この日は蝉しぐれが聞こえて……)
 明治7年に江ノ島東町に仮教場が置かれ、明治19年に片瀬村に片瀬小学校ができたとき、この場所に片瀬小学校江ノ島分校が置かれました。ハーンの見た「小学校」がまさにそれでしょう。(その後の町村合併で校名は変遷)
 話は飛びますが、小説『オリンポスの陰翳』の主人公、源蔵が、この江ノ島分校の生徒でした。

(中略)われわれは、この境内から左手の坂道をのぼって、海を見はらす崖のふちをすすんで行く。崖のはなには、小ぎれいな茶店が何軒もあり、どの店も、海は見晴らし、風は吹き通しだから、表から家のなかを見通すと、畳敷きの床と漆塗りの手すりの向こうに、海が額縁にはめた絵の様に眺められる。あさぎ色に晴れた水平線のところところに、雪片のような白帆が浮び、そのむこうには、まぼろしの島とでもいいたいような、遠く模糊と打ち霞んだ大島の影が、うす青い峯の姿を浮かべている。

 残念ながら小ぎれいな茶店、風は吹き通し、表から家のなかを見通すと、畳敷きの……、の写真は見つかりませんでした。しかしこの辺りに、今は無くなってしまいましたが、金亀楼という旅館(江戸時代は宿坊)があって、その庭園から海を眺めた写真がこれです。

(藤沢文書館所蔵)


現在はヨットハーバーを見下ろす辺りでしょうか。「雪片のような白帆が浮び……」は、色とりどりのセールに変わっています。


今は、小じゃれたレストランならありますね。


でも私の好みはこちら。海を眺めながら江ノ島丼を食べられるお店です。(江ノ島丼のウンチクについては、当ブログ「江ノ島ヨットハーバーの今昔」をご覧ください)
 私は、いつも江ノ島丼をいただくときは燗酒にするのですが、この取材当日は気温35℃の猛暑であったため断念。冷たいビールとなりました。
 はい、それでは、ここでまたひと休みさせてください。

 腹ごしらえのあとは奥津宮(上ノ宮)から、いよいよ岩屋洞窟探検となります。乞うご期待!
「ラフカディオ・ハーンの見た江ノ島(3)」につづく


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