ヘルメットから戦車の供与へ ドイツ、難産の軍事支援(産経新聞)
ドイツが苦渋の決断をしました。正直のところ、私も心の中で拍手している自分が疎ましいです。「ウクライナを支援したい」という気持ちは西側諸国の共通認識でしょう。しかしドイツは日本と同様、過去の戦争に悔恨の念を抱いている国です。そのドイツが最強の戦車を開発したのは、今、日本でも盛んに言われている「強い兵器を持てば抑止力になる」という理論でしょう。しかし、結局のところ「兵器は使われるためにある」ということに他ならない証明になってしまいました。
「抑止力」とは、いったい何なのでしょう。
かつて、私は『ひぐらしの啼く時』という小説を書きました。今回のドイツの決定を知ったとき、物語の中で、軍人になろうとする誠二と、恋人の紀子が言い争うシーンを思い出し、紀子と同じように空しい気持になりました。
「強い軍艦を持てば、どこの国も攻めてこられなくなる。闘わなくて済むようにするんだ。もう昔の戦争とは違う。これからは技術戦なんだよ。相手よりも性能の高いものを造ることで戦争を防ぐんだ」
相手より優位に立って交渉する。これからの国は技術力と外交が重要となる。表舞台に立つのが外交官ならば、自分は舞台装置を担う技術者になるのだ。
「どんな道具だって、持っていればいつか使うことになるのよ」
紀子はそう言って誠二に向けた顔を前にもどす。そして、「今までだって、みんなそうだったじゃない」と、小さく、ぽつりとつぶやいた。その顔は言葉で説得することの限界と空しさに、諦めの色を浮かべているかに見えた。