60年に一度の鎌倉「洪鐘祭」を目に焼き付けておきたいと思い、雨上がりの北鎌倉に向かいました。
おそらく、二度と見ることのないその景色を写真に納め、脳内で「絵巻物語」に仕立ててみようと思います。
※「洪鐘祭」についてはコチラをご覧ください ➡ 鎌倉で60年に一度行われる洪鐘祭とは?
「洪鐘」が行列出発会場の鎌倉建長寺に到着。じつはこれ、子供たちが作った「張子」なんですが、よく出来てますよね。おそらく60年後に、もう一度製作に取り組めるのは彼らたちしかいないでしょう。だから、これが主役!
出発式の会場となる建長寺惣門前に人が集まり始めます。
洪鐘を守ってきた円覚寺の管長、横田南嶺氏の開会ご挨拶。
「今ここにいる方のほとんどは、次回の祭りにはいないでしょう」というご冗談に失笑が。
「洪鐘」完成に天の知恵を授けた弁天様を祀る江嶋神社の宮司、相原圀彦氏のご挨拶。
洪鐘の造られた当時の江嶋宮が寺院であったとしても、現在は神社。こうして神道と仏教の司祭が相まみえるこの祭りは神仏習合時代を彷彿とさせます。宗教の対立で戦争の絶えない世界の中にあって、じつに希有なことであります。ウン。
建長寺の運営する学校、鎌倉学園の校長、松下伸広氏のご挨拶。
ちなみに鎌倉学園は、あのサザン、桑田佳祐の出身校であります!(あんまし関係ないか(;^_^A)
いざ出動!「洪鐘(張子)」を先頭に祭の主役たちが、折り返し地点(実質、行列のスタート地点)の小袋谷に向かいます。
こちらは昭和の洪鐘祭のとき。これも張子だったのでしょうね。
こちらは明治時代の洪鐘祭絵巻「洪鐘の山車」(yoritomo-japan.com より)
「鐘」という文字を染め抜いた半纏。今回は「洪鐘」とリニーアル。
八雲神社の「四神」を積んだ軽トラも颯爽と。
青龍、白虎、朱雀、玄武の四神も流れる風景に何を想うのか……。
円覚寺の横田管長も、いざ出陣! いや、ご出立。俥夫は鎌倉の人力車のパイオニア、青木登氏。
この祭を牽引する俥夫は、この方しかいないでしょう!
江嶋神社の相原宮司も。
神輿も出動!
威勢よく練り歩き始めたが……。
横須賀線踏切に阻まれ……(;^_^A。
箱根駅伝も、かつては踏切で足踏みする選手もいたくらいですから……。
さて行列の行方はコチラ ➡ 第二巻ヘ続く