1.鎌倉のこと

ラフカディオ・ハーンの見た鎌倉(8)― 極楽寺坂切通し ―

この記事は、ラフカディオ・ハーンの見た鎌倉(7)からの続きです。


ラフカディオ・ハーンの鎌倉・江ノ島めぐりの推定ルート

おそらく極楽寺坂切通しでしょう……


長谷寺をあとにしたハーンとアキラは江ノ島を目指します。しかし、そのルートは『Glimpses of Unfamiliar Japan(知られぬ日本の面影)』には記されておらず、道沿いの様子、風景だけが記されています。私は、その描写から、極楽寺坂切通しを通ったのではないかと思っています。そう、このブログのタイトル「鎌倉と江ノ島のはざまで」そのものです。みなさんも下記『Glimpses of Unfamiliar Japan』の記述から想像してみてください。(訳文のみでもOK)

Sec. 14

As we leave the temple of Kwannon behind us, there are no more dwellings visible along the road; the green slopes to left and right become steeper, and the shadows of the great trees deepen over us. But still, at intervals, some flight of venerable mossy steps, a carven Buddhist gateway, or a lofty torii, signals the presence of sanctuaries we have no time to visit: countless crumbling shrines are all around us, dumb witnesses to the antique splendour and vastness of the dead capital; and everywhere, mingled with perfume of blossoms, hovers the sweet, resinous smell of Japanese incense. Be-times we pass a scattered multitude of sculptured stones, like segments of four-sided pillars—old haka, the forgotten tombs of a long-abandoned cemetery; or the solitary image of some Buddhist deity—a dreaming Amida or faintly smiling Kwannon. All are ancient, time-discoloured, mutilated; a few have been weather-worn into unrecognisability. I halt a moment to contemplate something pathetic, a group of six images of the charming divinity who cares for the ghosts of little children—the Roku-Jizo. Oh, how chipped and scurfed and mossed they are! Five stand buried almost up to their shoulders in a heaping of little stones, testifying to the prayers of generations; and votive yodarekake, infant bibs of divers colours, have been put about the necks of these for the love of children lost. But one of the gentle god’s images lies shattered and overthrown in its own scattered pebble-pile-broken perhaps by some passing wagon.

Sec. 15

The road slopes before us as we go, sinks down between cliffs steep as the walls of a canyon, and curves. Suddenly we emerge from the cliffs, and reach the sea. It is blue like the unclouded sky—a soft dreamy blue.

And our path turns sharply to the right, and winds along cliff-summits overlooking a broad beach of dun-coloured sand; and the sea wind blows deliciously with a sweet saline scent, urging the lungs to fill themselves to the very utmost; and far away before me, I perceive a beautiful high green mass, an island foliage-covered, rising out of the water about a quarter of a mile from the mainland—Enoshima, the holy island, sacred to the goddess of the sea, the goddess of beauty. (以下略)

第14節

観音堂(長谷寺)を後にすると、もう道沿いに人家は見当たらない。左右は緑の木々の茂る切り立った崖になり、大樹の影が私たちの上を覆っている。

しかし、それでも、ところどころ、苔むした古めかしい寺院の階段、彫刻の施された門、あるいは高い鳥居など神聖な場所があるのに、私たちには訪れる時間はなかった。私たちの周りには、見渡す限りたくさんの崩れかけた神社があり、古めかしく素晴らしい、そして、今は廃墟となってしまった都が広がっている。


そして、いたるところに、花の香りと混じり合って、日本のお香の、甘い樹脂のような香りが漂っている。時々私たちは、四角い柱のような彫刻の施された多数の石材が散乱しているところを通り過ぎる。それは古い墓だ。長い間放棄され、忘れられた(無縁仏の)墓なのだ。あるいは、夢見るような阿弥陀仏や、かすかにほほ笑む観音像など、仏教の神々が寂しそうに立っている。

どれも古いもので、年月を経て色褪せ傷ついた跡があり、風雨にさらされ、風化して見分けがつかなくなっているものもある。私は、何やら哀れなものを見つけて立ち止まった。それは、幼い子供の霊を守る愛おしい神、六地蔵だ。

ああ、なんと欠けて傷つき、苔むしているではないか! (六体の地蔵の内)五体は、長い間祈りの対象となってきたことを証すかのように、小石を積まれ、肩まで埋もれながら立っている。そして、亡くなった子供たち愛おしさに、さまざまな色の赤子用よだれかけが奉納され、首に掛かっていた。しかし、一体の地蔵は、おそらく通りがかりの荷馬車か何かによって打ち砕かれたのだろう。散乱した小石の山の中に砕けて倒れていた。

第15節

進むにつれて道は急坂を下ってゆき、切り立った崖を下って、大きく回り込むように曲がると、突然、開けた海に出た。なんと、曇ひとつない青い空が広がっているではないか。柔らかな夢のような青が……。


そして私たちの行く道は、右に大きく折れ曲がり、鈍色の砂の広い浜辺を見下ろす崖の頂に沿ってカーブを描いている。海の風は甘い潮の香りを漂わせ、胸いっぱいに満ちてゆく。そして、はるか前方に、本土から約四分の一マイル(約400メートル)ほど離れた水面に浮きあがる、緑に覆われた美しい塊が見える。それが江ノ島だ。海の女神にして神聖な島……。(以下略)
注:文中の挿絵はAI(Bing Image Creator)を使って作成した架空の風景です。

現在の極楽寺坂切通し

現在の極楽寺坂切通しは、アスファルト舗装された道路になっていて、「昼間であれば」ハーンが通った時のような、陰湿な雰囲気はありません。それでも日が翳ると。それなりの雰囲気が漂い始めます。


現在の極楽寺坂切通し
この写真は夕刻ですが……。


極楽寺の向かいにある成就院の墓地


成就院の墓地に立つ菩薩像
現在は修復、整備されていますが『Glimpses of Unfamiliar Japan』の以下記述に重なるところがあります……。
……old haka, the forgotten tombs of a long-abandoned cemetery; or the solitary image of some Buddhist deity—a dreaming Amida or faintly smiling Kwannon.
それは古い墓だ。長い間放棄され、忘れられた(無縁仏の)墓なのだ。あるいは、夢見るような阿弥陀仏や、かすかにほほ笑む観音像など、仏教の神々が寂しそうに立っている。


old haka, the forgotten tombs of a long-abandoned cemetery
忘れられた(無縁仏の)墓石
今は墓地の片すみに寄せ集めて供養されています。
ハーンも、このいずれかを一瞥したやもしれません。



a group of six images of the charming divinity who cares for the ghosts of little children—the Roku-Jizo.(幼い子供の霊を守る愛おしい神、六地蔵)とは、今でも極楽寺坂にたたずむ、この日限六地蔵のことではないでしょうか。(ハーンの描写する風景が「極楽寺坂切通し」ではないかと、私が推定した決め手がこれです)
今は、お地蔵さまも綺麗に修復されていますが、なにやら鉄格子に覆われてますね。


なんと……。
ハーンの見たお地蔵さまは、荷馬車に打ち砕かれ、現代のお地蔵さまは酔っ払いが狼藉を……。
鉄格子は保護のためとはいえ、牢屋に閉じ込められているようにも見えてしまいます。
なんの因果か、世は変われど、お地蔵様の受難は続きますね。

昔(中世の頃)、この辺りは鎌倉の辺境で地獄谷と呼ばれていた土地で、そこに忍性が極楽寺を開きました。忍性は、飢饉の時、民衆に粥を施したり、行き場を失った頼病患者のために療養所を建てて病の治療をするなど、さまざまな救済事業を行ったり、また、この極楽寺坂を切り開いて整備したのも忍性です。菩薩と崇められる一方、切通しで関銭(通行税)を徴収したことから、銭儲けの偽善者という見方も一部にあり、その評価は分かれています。極楽寺も往時は四十九院を有する大寺院でしたが、いつしか廃れ、ハーンが極楽寺坂を通過したころには、前記のようなあり様になっていたのでしょう。なぜ廃れたのか? 廃仏毀釈の影響があったのか?

極楽寺の往時を描いた古地図


極楽寺の門
今は、この門と本堂だけの、こぢんまりとした寺に……

また、この付近には御霊神社(ごりょうじんじゃ)があり、ハーンが「a lofty torii(高い鳥居)」と記しているのは、その鳥居かもしれません。


御霊神社の鳥居
今では江ノ電が通る森の奥にひっそりと……。ドラマの舞台として登場することもしばしば。


毎年9月18日に行われる御霊神社の面掛行列
奇祭と言われる由縁の異様な形相の面には、いったいどんな云われがあるのか……。
祭の詳しい様子(写真)コチラ面掛行列(写真集)

極楽寺坂切通しはトワイライトゾーン

おどろおどろしく幽玄な雰囲気。この辺りこそハーンの興味を惹きそうなものばかりなのに「we have no time to visit(私たちに訪れる時間はなかった)」と、まるで「素通りした」かのように記しています。たしかに、ハーンの「江ノ島行脚」は、人力車で鎌倉を周って江の島巡りを終えるまで、宿泊の記述がありません。まるで1日で鎌倉~江の島を巡ったかのようにも読めます。そうだとしたら、たしかに「we have no time to visit」でしょう。しかし、本当にそうだったのでしょうか? この第14節の紀行には、陰湿でおどろおどろしい廃墟の雰囲気が漂っているものの(いや、だからこそ?)、それまでの訪問地にはないミステリアスな魅力をハーンは感じて、それがおのずと文章に滲み出ているように思えてしかたありません。ハーンが幼少期を過ごしたアイルランドの片田舎の古城、古い墓、妖精譚の世界を連想してしまうのは飛躍しすぎでしょうか……。

アイルランドの墓地
環のついたケルト十字の墓標がアイルランドの特徴。


アイルランドの古城
countless crumbling shrines are all around us, dumb witnesses to the antique splendour and vastness of the dead capital;(私たちの周りには、見渡す限りたくさんの崩れかけた神社があり、古めかしく素晴らしい、そして、今は廃墟となってしまった都が広がっている)と、描写しているハーンの脳裏には、幼少期を過ごしたアイルランドのイメージが重なっていたのではないか……。

私は、当シリーズの「(5) え? 鶴岡八幡宮に行ってないの?」でも述べたとおり、鶴岡八幡宮について一言も触れていないハーンには、鶴岡八幡宮に対して、それなりの理由、想いがあったと考えています。『Glimpses of Unfamiliar Japan』に書いてないことは、「何もなかった」のではなく、「書けなかった」深い事情があったのかもしれません。この第14節、極楽寺坂切通し(まさに「鎌倉と江ノ島のはざまで」)は、ラフカディオ・ハーンが、後に小泉八雲になってゆく「何か」があったトワイライトゾーンではないかと私は思っています。その何かとは……。この「ミステリアスな違和感」を『ラフカディオの旅で探り、解き明かしたいと思っています。

※後日追記:『ラフカディオの旅』を書き上げ、2月1日に出版しました。絶賛発売中です!


ラフカディオの旅』はコチラ

さて、「ラフカディオ・ハーンが見た鎌倉」シリーズは、ここまでです。
それでもハーンは、この後、いよいよ江の島へ向かいます。

続きは、当ブログの「ラフカディオ・ハーンの見た江ノ島」シリーズ(2020年9月の記事)をご覧ください。

■今回の取材アフターランチコチラ

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