新地中華街
新地中華街にてランチ。(地図)
「食縁坊」というお店に入った。上絵図の東門付近(絵図にはないが……)
長崎名物のハトシと餃子。
ハトシは気に入ったので、空港でお土産に買った。
エビマヨ
エビシュウマイと何か。
麻婆豆腐。
その他に……。
梅月堂
新地中華街からケーキ屋さんの梅月堂へ。(地図)
ここはNHK「ドキュメント72時間」で、長崎大病院内のケーキ屋さんとして紹介され、ぜひその本店で、そのケーキを食べてみたい、という美恵子の希望で行ったのでした。
これが、そのシースクリーム。
名称の由来は、見た目が「豆のさや(Pod ポッド)」のように見えたため、「さや」を英語で 言い換えようとしたところ、「刀のさや(Sheath シース)」と取り違えて、「シース」と名がついた。つまり誤訳がそのままケーキの名になったらしいです。
お店を出ようと階段を降りたら……、
なんと「青山学院大学長崎支部」という札が……。
おそらくお店の関係者(社長さん?)が青学の卒業生なんでしょう。
二十六聖人記念碑
やはり、長崎へ来た以上、ここは行っておかないと、と雨の中を二十六聖人記念碑へ。(地図)
記念碑レリーフがあるだけだと思ったら、この裏に記念館があった。
記念館入口には、この前日に亡くなった第266代ローマ教皇フランシスコの等身大パネルが置かれていた。この記念館館長のレンゾ神父は、神学生のころ(教皇になる前の)フランシスコから指導を受けたという。教皇の日本訪問時に通訳として随行しているのを、知生はテレビで見た記憶がある。カトリック信徒ではないが、この時期に(期せずして)ここを訪れたことに何かの因縁を感じた。
デ・ルカ・レンゾ神父(イエズス会日本管区長、日本二十六聖人記念館館長)
十字架にはりつけられた聖パウロ三木(二十六聖人の一人)
1597年2月5日、豊臣秀吉のキリシタン禁教令により日本で初めてキリシタン26人が処刑されました。殉教の地である「西坂の丘」に1962年、日本二十六聖人列聖100年を記念して建立された資料館で、世界的に知られるカトリック教徒の公式巡礼地です。
建物は記念聖堂と共に建築家・今井兼次氏の設計で、二十六聖人の等身大ブロンズ像がはめ込まれた記念碑は彫刻家・舟越保武氏の作品です。
京都から連れて来られ処刑されたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人の中には3人の少年も含まれ、「西坂の丘」がキリストが十字架に架けられたエルサレムの「ゴルゴタの丘」に似ていることから、この地を処刑の場に願い出たのだといわれています。
(以上「長崎市公式観光サイト」より)
(原文)
(訳文)
宗門改めの証書の実物。
寺請制度のもと、寺院が該当の人物を、キリシタンでなく当寺の檀家であることを証明したもの。
あれ? 弥勒菩薩では? と思ったら、朝鮮半島の三国時代(6世紀)に製作された弥勒菩薩像を、隠れキリシタン(潜伏キリシタン)がキリスト像として拝んでいたものとのこと。
思いがけず多くの史料と出会えたが、ここが、この旅の最後の訪問地となった。
長崎空港
4月23日(スケジュール表)
翌日は、ホテル(グランドベース長崎中町)を出て、リムジンバスにて長崎空港へ。
長崎空港待合室

Goodbye NAGASAKI!
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