長崎・五島の旅(18)長崎市内巡り4 梅月堂・二十六聖人記念館 Fin

新地中華街

新地中華街にてランチ。(地図

食縁坊」というお店に入った。上絵図の東門付近(絵図にはないが……)


長崎名物のハトシと餃子。
ハトシは気に入ったので、空港でお土産に買った。


エビマヨ


エビシュウマイと何か。


麻婆豆腐。
その他に……。

梅月堂

新地中華街からケーキ屋さんの梅月堂へ。(地図
ここはNHK「ドキュメント72時間」で、長崎大病院内のケーキ屋さんとして紹介され、ぜひその本店で、そのケーキを食べてみたい、という美恵子の希望で行ったのでした。


これが、そのシースクリーム
名称の由来は、見た目が「豆のさや(Pod ポッド)」のように見えたため、「さや」を英語で 言い換えようとしたところ、「刀のさや(Sheath シース)」と取り違えて、「シース」と名がついた。つまり誤訳がそのままケーキの名になったらしいです。

お店を出ようと階段を降りたら……、

なんと「青山学院大学長崎支部」という札が……。
おそらくお店の関係者(社長さん?)が青学の卒業生なんでしょう。

二十六聖人記念碑

やはり、長崎へ来た以上、ここは行っておかないと、と雨の中を二十六聖人記念碑へ。(地図)

記念碑レリーフがあるだけだと思ったら、この裏に記念館があった。


記念館入口には、この前日に亡くなった第266代ローマ教皇フランシスコの等身大パネルが置かれていた。この記念館館長のレンゾ神父は、神学生のころ(教皇になる前の)フランシスコから指導を受けたという。教皇の日本訪問時に通訳として随行しているのを、知生はテレビで見た記憶がある。カトリック信徒ではないが、この時期に(期せずして)ここを訪れたことに何かの因縁を感じた。

デ・ルカ・レンゾ神父(イエズス会日本管区長、日本二十六聖人記念館館長)


十字架にはりつけられた聖パウロ三木(二十六聖人の一人)

1597年2月5日、豊臣秀吉のキリシタン禁教令により日本で初めてキリシタン26人が処刑されました。殉教の地である「西坂の丘」に1962年、日本二十六聖人列聖100年を記念して建立された資料館で、世界的に知られるカトリック教徒の公式巡礼地です。
建物は記念聖堂と共に建築家・今井兼次氏の設計で、二十六聖人の等身大ブロンズ像がはめ込まれた記念碑は彫刻家・舟越保武氏の作品です。
京都から連れて来られ処刑されたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人の中には3人の少年も含まれ、「西坂の丘」がキリストが十字架に架けられたエルサレムの「ゴルゴタの丘」に似ていることから、この地を処刑の場に願い出たのだといわれています。

(以上「長崎市公式観光サイト」より)


(原文)

(訳文)
宗門改めの証書の実物。
寺請制度のもと、寺院が該当の人物を、キリシタンでなく当寺の檀家であることを証明したもの。


あれ? 弥勒菩薩では? と思ったら、朝鮮半島の三国時代(6世紀)に製作された弥勒菩薩像を、隠れキリシタン(潜伏キリシタン)がキリスト像として拝んでいたものとのこと。

思いがけず多くの史料と出会えたが、ここが、この旅の最後の訪問地となった。

長崎空港

4月23日スケジュール表
翌日は、ホテル(グランドベース長崎中町)を出て、リムジンバスにて長崎空港へ。


長崎空港待合室


Goodbye NAGASAKI!

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