鎌倉七口の番外ながら最も壮観な切通し
■古文献に記載の少ない謎の洞門
「切り通し」シリーズのトップバッターに釈迦堂口切通しを選びました。じつは釈迦堂口は、鎌倉の代表的な切通しである鎌倉七口には入っていません。ですので、このブログでは0番として記事にしました。「釈迦堂」の由来は、鎌倉幕府二代執権北条義時を弔うための釈迦堂があったと伝えられている地であることからそう呼ばれるようになりましたが、未だ義時の釈迦堂は発見されていません。七口がそれぞれ『吾妻鏡』などの古文献に登場しているのに対し、この釈迦堂口は『新編鎌倉誌』にわずかな記載(注)があるだけで、じつに謎の切通しなのです。それでもあえてここを選んだのは、まさに鎌倉のトワイライトゾーンと呼ぶにふさわしいと感じさせるものがあるからです。ただ残念なことに、2011年の東日本大震災の時に一部が崩壊し、現在は立入禁止になっています。下の写真は震災前の2010年に撮ったものです。当時はまだ住民の生活道路として使われていました。下に小さく私の自転車が写っているのを見ていただければ洞門の大きさがわかると思います。
注:『新編鎌倉誌』には、「東鑑(吾妻鏡)に、元仁元年十一月十八日、武州泰時、亡父義時周開追福の為に伽藍を建立せらる・・・・此地のことなるべし」と記しているが、あくまで『新編鎌倉誌』書者の推定としている。
■東日本大震災での崩壊状況
さて、それではトワイライトゾーンをご紹介しましょう。以下の写真は2020年新型コロナによる緊急事態宣言の直前に私が探検した時のものです。崩落による落石の危険があるため、現在は通行禁止になっていますが、私は「自己責任」で行ってまいりました。(皆さんが行くのはお勧めしません)
かつては生活道路で二輪車が通っていたのが信じられない様相です。落石で足場は非常に悪いですし、いつ崩落の危険があるやもしれません。もし小規模でも地震が起きれば、落石に当たるリスクはあります。
倒木が行く手を遮っています。枝や幹の上を越えたり、下を潜ったり、アマゾンのジャングルより凄い状況。何度も諦めようかと思いました。が、それでも異界への入口のような、あの洞門を、もう一度見たい、という一心で進みます。
あたりに人影はまったくありません。何やら人ではないものにじっと見つめられているような気がずっとしていました。何者かに「それ以上入ってくるでない!」と一喝されたような気がしました。私は人一倍怖がりのくせに怖いもの見たさの強い人間なんです。
ああ、見えました。釈迦堂口切通しです。
上の方は、かつての面影がたしかに残っています。完全崩壊でないことに少し安心しました。でも下側には落石がうず高く積もって……。
ここまで見に来て良かった。汗を拭いながら、そう思いました。まだ完全には崩れていない。しかし、また地震でもあればどうなるかわからない。今のうちこの目に焼き付けおこう、と思いました。と、そのとき、汗に濡れた体が冷えたのか、背中を冷たい風が吹き抜けたような気がしました。洞門を見ると、何やら白い、霧のような……。
何か霊気のようなようなものが降りてくるような……。急に心細く、怖くなりました。もともと怖がりの性分なので……。写真に収めるとすぐに、撤退! と自身に命じ、一目散に、と言いたいところですが、何しろ倒木と落石に阻まれて走るのは不可能。跨ぎ、潜り、擦り傷だらけになりながら、ようやく立入禁止の黄色い金網が見えたときは本当にほっとしました。
あの白い霧のようなものは、いったい何だったのだろう? 写真を確かめると霧が木洩れ陽に乱反射したかのようにも見えます。しかし、あの場所は北条義時の廟、釈迦堂があったかもしれない場所です。トワイライトゾーン……。そう思うと……。
<森園知生からのお願い>
私は、『岬に降る雪』という小説で、この釈迦堂口の切通しを登場させています。ぜひ読んでいただきたいのですが、『オリンポスの陰翳』第一刷が完売にならないと出版できません。まずは『オリンポスの陰翳』を宜しくお願いします。