5.著作のこと

海底の青磁(前編)

「白砂青松って言うけど、鎌倉の砂浜って黒っぽいじゃないですか」
 そう言った青年は陽に焼け、唇に白い八重歯をのぞかせた。
 ボタンダウンのハワイアンシャツ。その胸元で磁器の欠片(かけら)が揺れている。グレイがかった青緑色。翡翠(ひすい)のような柔らかな光沢。その小さな破片は宋代の青磁に違いない。おそらく和賀江島あたりで拾ったものを手作りのペンダントにしたのだろう。
 鎌倉の材木座海岸にある、島というより磯のようなその人工島は潮が満ちると海に隠れてしまう。鎌倉時代に築かれた港湾施設で、あたりから見つかる遺物から大型の宋船が入港していた当時のようすが偲ばれる。潮がひくと、玉石を積みあげた遺構から磁器類の破片が今でも拾えるはずだ。
 中世考古学を専門としている佐知子は、青年の胸元で揺れるペンダントを見ながら、そんなことをぼんやりと思った。

 市役所の海浜整備課が主催した〈海岸整備に市民の声を反映するワークショップ〉に、佐知子は前浜(由比ヶ浜)の中世遺構研究者として招かれていた。ほかにワークショップに呼ばれていたのは海岸付近の住民、それにヨットやサーフィンなどのマリンスポーツ関係者だ。市役所庁舎内にある、学校の教室ほどの広さの会議室に30人ほどが集まっていた。
 海浜整備課長の挨拶が終わると、少人数に分かれてグループ討議が始まった。小学校の給食の時間のように数人ずつ机を寄せあう。それぞれのグループには進行取りまとめ役として市役所から委託を受けたコンサルティング会社の社員が加わっていた。
「白砂青松」は飯島というコンサルタントが、鎌倉の海岸に原風景をとり戻すキーワードとして提案したのだった。ところが、
「鎌倉の砂って砂鉄が多くて黒っぽいじゃないですか。白砂って感じじゃないと思うけどな」
 生徒が教師の揚げ足をとるような言い方に飯島の顔が曇る。それでも、
 ――そのとおりだわ。
 と佐知子は思う。
 鎌倉の浜から採れる砂鉄は色の黒い磁鉄鉱だ。それが踏鞴(たたら)、つまり中世代に行われていた製鉄の原料となったのだ。鎌倉から正宗など後世に名を残す刀匠が出たのもそういった土地の特性があったからである。
「白砂青松というのは、まあ、一般的に美しい海岸ということを表現しただけで、あまりそこにこだわってもらっても困るんですよね」
 飯島はひとまわり年下の青年につっこまれて、ややしどろもどろで堅い作り笑いを浮かべた。
「それよりも、皆さんのご意見をうかがいながら理想的な海岸のスケッチを描いてみませんか」
 飯島はワイシャツの袖をまくると机の上に模造紙を広げた。だが、無作為にグループ分けされた初対面どうしの間には、まだ気軽に意見を言い合う雰囲気ができていない。模造紙を囲む輪の中に、よそよそしく堅い空気が漂っている。佐知子を含めたおとなしい市民の中で、陽に焼けた青年だけが少々棘のある言葉を吐いていた。

 だが、進行役の飯島は青年の追及をふりきるように、
「海岸を走る国道134号線は海抜5メートルあります。現在はこの段差が、ある意味で防波堤の役割をしているのですが、ご承知のとおり、東北を襲った津波と同規模の波を想定すれば5メートルではとても足りませんよね」
 口を動かしながら模造紙に素早く絵を描いてゆく。ラフではあるが線に迷いがない。
「それにこの道路、よく渋滞してますよね。片側一車線だからな」
 無理もないと言いたげな顔をして「住民のみなさんにとっても迷惑な話だと思うんですよ。ですから道路は片側二車線にします。そして防波堤の機能を強化してもっと高くしましょう」
 ラフな鳥瞰図の中で海岸道路が巨大防波堤に変わってゆく。
「うーん、ちょっと浜が狭くなってしまうな」
 二車線化した防波堤道路が浜を侵食している。
 調査によれば昔は現在よりも砂浜が広かったと飯島は説明する。その原風景を白砂青松と形容したかったのだろう。
「少し養浜の必要があるな……」
 小さくつぶやくように飯島が言う。すると、
「ヨーヒン、て何です?」
 青年が口をはさむ。
「海岸に砂を溜めるんです。まあいろんな方法がありますが、テトラポットを入れるのが一般的ですね」
「待ってくださいよ。そんなことしたら潮まわりが悪くなって……」
 青年の表情がとたんに険しくなる。どうやらサーファーのようだ。だが言いたいのは、波が消えてサーフィンができなくなるということだけではないらしい。
 日本の海岸のいたるところでテトラポットを入れる工事が行われた。その結果、外海との潮の出入りが阻害され、沿岸の汚染がすすんだという。産卵にくるウミガメがテトラポットに遮断され、浜に上がれなくなったところもある。そんなことを青年が指摘し、飯島と論争のような状態になった。そのため佐知子のグループでは市民の声を反映する作業(ワーク)はなかなか進まなかった。
 市の海岸清掃車が砂浜に深い轍(わだち)を残したために孵化したアカウミガメの子がその溝にはまって渚までたどりつけずに死んでしまった、という青年の話には住民の老人もうなずいていた。
 陽に焼けたサーファーの青年と市役所に雇われたコンサルタントが言い合うのを傍観しながら、佐知子は討論に加われずにいた。歴史学者なので環境問題は専門外というわけではない。自己紹介のとき青年が名乗った竜堂寺という苗字がずっと気になっていたのだ。それほど多い名ではない。そして、船乗りが海を眺めるような、どこか遠くを見ているような目つき。人類学的にはモンゴロイドがベースにありながら、それでいて西洋のアーリヤ系遺伝子が入っているのではないかと思わせる彫りの深い顔立ち。できるだけ思い出さないようにしている、そして最近ではやっと薄れかけていたあの人の記憶と残像。
 陽焼けした胸元で揺れる青磁のペンダントも気になりながら、青年の顔の中に記憶の痕跡と重なる面影がふと現れてくるような気がした。

          *

「このワイン、ちょっと水っぽいけど、へんに甘くなくて、ぼくはこれでいいかなって思ってるんです。なにしろ安いし」
 デキャンタに入った銘柄不詳のハウスワインがテーブルに置かれていた。ワインのことはよくわからないが、たしかにさらりと癖がなくて飲みやすいと佐知子も思った。
 ワークショップが終わったあと、竜堂寺が佐知子をお茶に誘った。わだかまった思いをだれかに話したいような顔をしていた。
 佐知子のほうも青磁のペンダントのことを聞きたいと思っていたので話はすぐにまとまった。それほど社交的なほうではないが、学生たちといる機会が多いこともあり、自分より若い男にも抵抗はない。もちろん知りたかったのは青磁だけではなかったのだが。
 すでに夕陽も沈みかけていたので、お茶よりも食事ということになり、竜堂寺の知っている店に案内された。

 由比ヶ浜に面した家庭的なレストランでオープンエアのテラスに席をとった。隣のテーブルとの間隔も狭く、若者たちのかしましい笑い声や話し声が間近に聞こえる。それでも不思議と耳ざわりに感じないのはアウトドアパーティーでもしているような店の雰囲気のせいかもしれない。
 海の匂のする柔らかな風が佐知子の髪を撫でる。かつては長くしていた髪を、今の大学に来たころから短くカットしていたので風に乱れるのをそれほど気にする必要もない。ワークショップだけのつもりだったのでジーンズというラフなスタイルで来てしまったが、この店ならだいじょうぶだろうと佐知子は思った。
 ふだんからスラックスやスリムのジーンズというスタイルが多い。発掘現場へもそんな恰好で行く。作業しやすいというのが理由だが、女子学生たちからは「先生はスタイルがいいから」とやっかみ半分に言われることもある。正直悪い気はしないが、それが何だというの、という気持ちだった。
 なのに、今、自分の姿を第三者の目でチェックしている。そんなことをしなくなったのはいつからだろうと思いながら。

 夕陽は稲村ヶ崎に遮られて見えない。かわりに彎曲した由比ヶ浜を挟んで、その対岸に位置する逗子と葉山の町並みが沈む陽に照らされて黄金色に染まっている。
「ここってイタリアンがベースなんですけど、スペイン風とかハワイアンやら和風も入ってる、まあ、わけわかんない店なんですけど、けっこういけるんですよ」
 サーフショップで働いている仲間とよく来るという。
「このまえ、みんなとどんちゃん騒ぎやっちゃって、マスターに怒られたばっかりなんですけど」
 ワークショップで進行役のコンサルタントに反発するような発言をしていた堅い表情は消え、目じりの下がった人懐こい顔になっていた。その顔を見て佐知子はふと思う。これほど明るい顔をしたことはなかった。けれど優しかったときのあの人に、やはり似ているような気がする。
 ふだん、あまり笑顔を見せることがなかったあの人が、ときどき自分だけに見せた弱々しい笑み。そんなときは凍えていた心が薄日に照らされて温もってゆくようだった。
 今、目のまえにいる竜堂寺は佐知子の胸の内を知らないまま、くったくなく料理の説明をしている。
 江の島の対岸にある腰越漁港にあがった生シラスのカルパッチョ。ヤリイカはオリーブオイルにんにく炒め。逗子の小坪漁港にあがったカツオはハワイのポキ風にアレンジしたタタキ。三崎のマグロ頬肉は生姜醤油のステーキ。どれも竜堂寺が自慢するとおり美味しく、冷たい白ワインによくあう。それでいてメニューに書かれた値段は手頃だった。
「リュウドウジって名前、長ったらしいでしょ。だからぼくのこと翔一って呼んでください。ぼくも佐知子さんて呼んでいいかな?」
 呼び名の話題でいっきにフレンドリーな仲になろうとするところはアメリカ人やイタリア人のようだ、と思いながら、その一方で、あの人はそうではなかったけど、と胸の奥でつぶやく。
「だいたい、あんな雰囲気で自由な意見なんてムリですよね」
 竜堂寺翔一は今日のワークショップに不満があるようだ。
「完全にヤラセですよ、役所の」
 コンサルティング会社が入っていると聞いたときから佐知子も同じようなことを感じていた。
「土建屋の匂いがプンプンしてたでしょ。そう思いません?」
 市民の声を取り入れたような形にしておいて公共事業の計画を強引に進めようとしているのは明白だと言いながらワインをあおった。
「そりゃあ津波への対策は必要だけど、高くて頑丈な防波堤作ればいいってもんじゃないですよ」
 そう言って遠くを見た目に佐知子はどきりとした。
 ――やはり似ている。
「波の力って半端じゃないんです。人間が力で抑えられるもんじゃない。波と戦って勝とうなんて人間の思い上がりですよ」
 力で立ち向かおうとする防波堤に金をかけるより高台へ避難するルート作りを考えるべきだ、と言う。
「それに、あいつテトラ入れるって言ってたけど、浜の砂が減ったのは川の護岸工事のせいじゃないですか」
 川岸がコンクリートで塗り固められ、土砂が流出しなくなったことや上流にダムができたせいだという。ダム湖では湖底が浅くなってしまうほど土砂が溜まっているらしい。そのせいで海まで流されてくる砂が減少したのだ、と表情を固くした。
「原因はみーんな役所と結託したゼネコン、土建屋の仕業ですよ。自分たちで種まいときながら、今度は養浜とかいって海にテトラ入れて、それでまた飯食おうってんだから、まったく」
 怒ると感情がそのまま険しい目つきに出る。と、どきりとするほど似ている。見ていて胸が締めつけられるような気がした。
「でも白砂青松では一本獲ったわね」
 揺れた胸の内を紛らわすように佐知子は笑顔を作った。
「鎌倉のこと、知らなすぎますよ、あのコンサル」
「鎌倉育ちなの? 翔一君は」
 あのころ、竜堂寺がまだ助教授だったとき、夫婦の住む家は東京にあったはずだ。
 何気ない会話を装い、どきどきしながら翔一の素性を探っていた。
「ええ、生まれも育ちも鎌倉です。高校までね」
「高校まで?」
「ええ、大学はアメリカ。西海岸に行ったんです」
「へえ。何を勉強してたの?」
 本当は家族のことのほうが気になっているのに。
 あの頃、十年前であれば、この青年は中学生か高校生だろうか。鎌倉育ちというが、そうであれば当然両親も? だとすれば思い違いかもしれない。知りたいのはそこだったが、いきなりお父様は? などと聞くのは不自然だ。
「経営学です。MBAとるのが留学の条件だったんですよ」
 ところが本当はサーフィンがしたくて西海岸の大学を選んだと言って照れ笑いした。学士(バチェラー)はなんとか卒業したものの西海岸の波では満足できなくなってハワイに移住。MBAはハワイ大学のビジネス・スクールで獲ろうとしたという。
「まあ親には西海岸にいることにしておいたんですけどね。Eメールでしか連絡とらないから、最初はバレなかったですけど」
 サーフィンに熱中し、結局MBAのほうは挫折した。そのことを知った父親は激怒したそうだ。烈火の如く怒るというより冷たく突き放したという。もう自分の息子ではない、と。
「大学の教授なんですよ、ぼくの父」
 ――やはり……。
 今は京都にいるんですけど、という翔一の声を遠くに聞きながら呆然とする。心臓の鼓動が耳の奥で響き、めまいがした。
 祖父の代から鎌倉に本宅があったが、両親夫婦は勤め先の大学によって別宅を構えているという話で、微かに期待した思い違いの線は遠のいた。
「ぼくはほとんど祖父母に育てられたんです」
 聞きながら、父親だろう男の顔を思い浮かべる。
 竜堂寺教授。現在は京都の大学で古代都市の研究をしている、その道では学会でも第一人者。もとは華族の家柄ながら代々学者を輩出している一族の出だ。翔一も学者や一族の名に恥じない道に進むことを求められたのだろう。
「世間体を気にする人でしたから、父は……」
 ――そう、あのときも、あの人はそうだった……。
 佐知子の胸に、あのころの情景が浮かびあがる。

 当時、まだ佐知子が大学院生だったとき、助教授だった竜堂寺と恋仲になった。派手なところはなかったが紳士的でスマートな竜堂寺は女子学生にもひそかな人気があった。考古学研究室の発掘調査で、ともに各地を旅するうちに親密な仲になっていったが、竜堂寺は決して二人の仲が表沙汰にならないよう注意を払っていた。もちろん佐知子の方も二人の仲を知られることは避けたいと思っていた。竜堂寺の家庭を壊してまで恋を貫くつもりはなかった……と今でも思っている。だからいつも隠れるようにして会っていた。
 夜の研究室。
 佐知子は竜堂寺に頼まれた調査資料の整理に勤しんでいた。時間のかかる地味な作業だ。他の院生がひとり、またひとりと帰るのを見送りながら資料に向っていた。真摯な気持で作業に取り組んでいたのはたしかだ。だが、それだけ、といえば嘘になる。
 最後の同僚が帰ったあと、研究室が静まり返る。佐知子は背中で音を聞いていた。
 扉の鍵を閉める音がした。やがて、背中に靴音が近づく。胸がしめつけられるような思い。背中に人の立つ気配を感じる。心臓が高鳴る。あの人だ。肩に手が置かれた瞬間、びくりとする。本当はわかっていながら驚いたようにふり向く。肩から腕にあの人の手がおりてゆき、やがて背中から抱きしめられる。はり裂けそうなほどの胸の昂り。そうして蕩けるような陶酔に堕ちていった。
 あの人の通勤路でもなく、自分の通学路でもなく、研究室の誰も使っていないような私鉄沿線。その線路沿いにある古いホテルが二人の逢い引きの場だった。
 電車のレールを軋ませる音が、ときおり遠くで響く。どこか後ろめたさに似た匂いの漂う部屋で二人だけの熱い時を過ごす。やがて体の火照りも冷め、ホテルを後にするときは夫々が別々に出てゆき、そのまま別れる。たいていはあの人が先に出て、それから十分ほどして佐知子が出ることになっていた。
 あるときダイヤの乱れで電車が遅れ、駅でまた遭遇してしまったことがあった。佐知子は照れながら顔を窺った。なのにあの人はそ知らぬふりをしている。まるで他人のように……。そういう約束だった。だから佐知子もいったん向けた目線を逸らせた。
 別の車両に乗ると、がらんとした寒々しい電車の中で隣の車両に乗ったあの人の姿が曇ったガラス越しに見えた。コートの襟を立て、じっと窓の外を見ている。すぐ近くにいながら、あの人がとてつもなく遠くに感じた。突然、いったい自分は何をしているのだろう、という想いに襲われ、冷たく真っ暗な空間にひとり取り残されたような気がした。

 ふつうの若者たちが味わうような明るいデートの想い出はない。
 キャンパスを行き交う若い二人連れを見て羨ましいと思ったこともないわけではない。だが、自分はもっと大人の恋をしているのだ、という偏屈な想いがあった。歪んだ優越感だった。と、今になって佐知子は思う。
 自分の身(からだ)の中に、もうひとつの命が宿ったと知ったとき、あの人の気持ちがもっと自分に向くのではないかと思いはじめた。いや、それまでは抱くことのなかった希望のようなものが芽生えたといっていい。正妻と離婚はしなくとも、自分との間にもうひとつの生活を持ってくれるかもしれない、と。
 なのに、竜堂寺は限りなく静かに自身の過ちを悔い、謝罪した。佐知子にとっては凍るように冷たい言葉が耳を通り過ぎてゆき、奈落に落ちてゆくようなめまいを覚えた。欲しかったのは謝罪の言葉ではなく、せめて痛みを分かち合うぬくもりだったのだから。
 佐知子の身に宿ったもうひとつの命は日の光を見ることなく消えた。初めから無かったように跡かたもなく消えたのだろうか? そう思うことができればどんなにか楽になれただろう。だが、たしかに芽生えたはずのあの命はどこへ行ってしまったのだろう、という想いがいつもつきまとっていた。
 竜堂寺と別れると心に決め、研究室を辞めるとき、停年で退官する同じ文学部の教授が名誉教授をしている鎌倉の私立大学に佐知子を招いてくれた。そこで中世鎌倉の研究と向き合い、やがて准教授になった。あのことを忘れるほど研究に没頭していた、と思いたい。でもそれはかなわず、いつもどこかであのころをひき摺っていた。

「佐知子さん。どうしたの? 気分でも」
 翔一が顔をのぞき込むように見つめている。優しく気づかう顔がそこにあった。
「すいません。つい自分のことばっかり喋っちゃって」
 翔一は自分の愚痴話に佐知子が飽きてしまったと思ったようだ。
 佐知子は何でもないという笑顔を翔一に返した。翔一がそういう話をするよう、自分のほうが仕向けたはずだから。
 気を取り直し、今度は自分の話をした。そうでなければフェアではないだろう。とはいえ竜堂寺、つまり翔一の父とのことを悟られるようなことだけは避けなければならない。かつていた研究室の話にはふれず、今いる大学のことや研究の話をした。
「へえ、佐知子さんも考古学を? もしかしてぼくの父のこと知ってます?」
 ひやり、とする。
「ええ、さっき知って驚いたわ。ご高名な方ですもの。尊敬申しあげてました」
 わざとらしくかしこまって言った。動揺を隠すためだ。
「でも研究分野が違うから、学会誌やご本で存じ上げてるだけ」
 努めてさらりと言い、口ごもらなかったことにほっとする。それからは心の奥を見透かされるのが怖くて、まるで教壇で講義でもするように研究のことだけを話し続けた。
 鎌倉時代と言えば武士。源氏や北条氏といった支配階級による政治を探究するのが一般的な歴史学だ。竜堂寺もそういう視点で鎌倉を研究していたときもあった。しかし佐知子の研究対象は名もなき庶民。武士でも農民でもない職能民たちだ。
「たしかにお米は大事よね。経済基盤ですもの。武士と農民は歴史の中で重要な登場人物だわ。でもあの武士たちが使っていた刀や鎧、それに馬具。だれがどこで作っていたのかしら。農民じゃないわよね。お米作るので精一杯ですもの。そういうものがなかったら武家社会なんて成立しないし進歩や発展もなかったでしょ?」
 鎌倉の海沿い一帯をかつては前浜といった。佐知子は今その地域の発掘調査をしている。
 赤々と燃える火。真っ赤に焼けた鉄をたたいて火花を散らす鍛冶師の工房。獣の皮を剥ぎ、革をなめす皮革職人。鉄の板を革ひもで括って鎧兜を作る甲冑職人。革や金属を加工して馬の鞍を作る馬具造りの職人たち。発掘現場を見つめていると、そういった職能民たちが活き活きと蠢く、さながら現代の町工場が集まったような風景が佐知子の目に浮かんでくる。鉄や砂の焼ける匂い。獣(けもの)の生皮をなめす匂いまで漂ってくるようだ。

 農民は土地にしがみついて米を作る。土地を守ってくれる武力の盾を求めたであろう。だから武士は彼らを支配し、農民もそれを受け入れた。だが物を創る者たちは土地に縛られる必要がない。自らの技で物を造り、能力で価値を生み出す。原材料を仕入れるために取引し、あるいはそれを求めて遠く旅する者や交易を行っていた者もいたに違いない。そんな彼らを武士は力で縛ることができただろうか。両者には支配・被支配という関係ではなく製造者(メーカー)と使用者(ユーザー)という対等の利害関係(ステークホールド)があったのではないか?
 職能民たちは武士に支配されない自由で独立した民だった。そんな民たちが中世の日本に存在した。
 武士と農民。それだけで歴史が動いてきたかのような従来の歴史観とは異なる歴史を佐知子は考古学者の目で見ようとしていた。その意味ではあの人の研究とは道が違っている。
 学会でも従来からの正統な道を歩む竜堂寺教授。文献に書かれた物、建物、都市は必ず存在した、という信念に近いものを持ち続け、実際に伝説の寺社、都市遺構を発掘してきた。
 だが佐知子の研究は文献の陰に隠れたところを模索し、今までの歴史学では影に隠れていた、それでいて歴史の中で無視できない役割を担ってきたであろう名もなき民たちに光をあてようとするものだ。
 中世の職能民たちは武士の支配下になく自由に活動していた。その佐知子の論文を竜堂寺は学会誌で間接的に批判した。あくまで従来の歴史観に立ち、佐知子の説を否定するというより無視するような論調だった。
 正面から向き合うことなく、埃を払うように葬られたような気がした。佐知子は学会でも日陰の存在になった。
 向き合って欲しかった。正面から反論して欲しかった。名指しで批判して欲しかった。なのに肩透かしをくわされた。研究での挫折というより、心が、またも傷ついた。
 ――やっぱり……。
 と今は想う。自分は相手にされたかったのだろうか。あの人に、と。


「すぐこの近くなの」
 佐知子は海岸の奥を指さす。かつて前浜と呼ばれていた地域だ。
「そのあたりを発掘してるんだけど、住居跡や市場の跡のすぐそばに大きな竪穴が掘ってあって、塵塚(ちりづか)というごみ捨て場みたいなものなんだけど、そんなところからも人骨が大量に出てくるのよね。まるでごみを捨てるみたいに人も葬ったの」
 鎌倉は三方を山に囲まれた自然の城塞と言われているが、その山沿いには無数ともいえるほど多くのやぐらという横穴墓がある。そして海側の前浜からも大量の人骨が出土している。
「鎌倉って死人の山に囲まれてるようなものなのよね」
「そういう話、ぼく弱いんです。鎌倉って幽霊話多いじゃないですか」
「そういう話じゃなくって、私が言いたいのは。鎌倉って今でもけっこう緑が多くて自然がよく守られてきたところだと思うのね。それって死んだ人たちが守ってるんじゃないか、て気がするのよね」
 ワインの酔いがまわって佐知子もくだけた話し方になっていた。まるで研究室で学生たちと雑談しているようだ。

 鎌倉は市域を囲む山のすぐ外側にまで宅地造成の波が押し寄せている。それでいて尾根を境に鎌倉側の斜面が深い緑の木々に覆われているのは、鎌倉八幡宮の裏山保存に代表されるような市民運動が伝統的に旺盛な土地柄のせいだと言われている。

「でもね、私、思うのよね。山裾にやぐらがたくさんあるでしょ。本当は、あそこに葬られた人たちが睨みを効かしてるんじゃないか、て」
「木を切ると祟るぞ、って?」
「そう」
「たしかに山沿いの谷戸(やと)なんか行くと、霊気みたいのビシバシ感じる時ってありますよね」と翔一もうなずく。そして、「鎌倉って死んだ人が守ってんのか」と酔ってため息をつくようにつぶやいた。
 デキャンタのワインも底にわずか残るだけとなり、佐知子にもほろ苦い酔いが訪れていた。薄暮に包まれていたあたりが闇に溶けこみ、漆黒の海に逗子、葉山の街明かりが輝きだす。
 暗い海を見つめながら、治りかけた傷の瘡蓋がまた剥がれかかっている、と、ふと思う。
 やがて店のマスターがテラスの松明(トーチ)に火を点した。


「ひとつ聞いていいかしら?」
 翔一が、目で、どうぞ、という表情をする。
「そのペンダント、青磁でしょ。どこで?」
 翔一が下を向き、小さな磁器の欠片を手のひらにのせた。
「これ? うーん、詳しい場所は言いたくないんだけど、このすぐ近く」
 顎で目の前の海のほうを示す。
「和賀江島でしょ?」
「ブー、はずれ」
 翔一も少々酔いがまわったのか、さらにくだけた話し方になった。
「佐知子さん、サーフィンやる人じゃないから教えてあげてもいいけど、サーファーの間じゃシークレットって言って秘密の場所なんです」

 おおよその位置は由比ヶ浜の稲村ヶ崎寄りだという。和賀江島は逗子寄りの材木座海岸で、稲村ヶ崎とは湾を挟んでほぼ対岸に位置する辺りだ。
 佐知子の睨んだところとは距離的にかなり離れている。
 ――和賀江島ではない?
 佐知子の中で推測の外れた驚きと、新たな好奇心が首をもたげた。
「シークレットに大波が立った日、すっごくいい波乗ったんですよ。でもワイプアウト、あっ、つまりこけちゃって、波に巻かれてえらい目にあったんですけど、そのときウェットスーツのこのへんに挟まってたんですよ」


 翔一は胸のあたりを指さした。
 波は海底の砂や砂利を巻き上げながら割れる。波に巻きこまれると砂や砂利がウェットスーツに入りこんでくることはよくあるという。
「ちょっと見せてくれる?」
 首からペンダントを外すかと思ったら、翔一は首に掛けたまま青磁の欠片を佐知子の前に差し出した。
 一瞬ためらったが佐知子も顔を寄せるしかない。陽に焼けた翔一の胸が目の前にある。だがそのまま佐知子も青磁の欠片をつまむ。と、指先が翔一の手にふれた。ふっとバニラの香りが漂う。サーファーが使うサーフボードワックスの匂いだ。
 あの人の匂いとは違う。そう思った瞬間、かつての男の匂いがフラッシュバックする。そして微かに触れた翔一の指先から微弱な電流が迸(ほとばし)ったように感じた。
 忘れていたときめきと不安が忍び足ですり寄り、治りかけた傷の瘡蓋が今にも剥がれそうだ。
 胸の中が波打つのを覚えながら、小さな欠片の灰色がかった青緑色と翡翠のような柔らかな光沢を確かめる。
「やっぱり青磁ね」と、揺れる気持ちを静めるようにつぶやき「でも和賀江島から離れたところでなんて珍しいわね」と言いながら落ち着きを取りもどそうとした。
「あっ、佐知子さんの顔が学者さんになった」
 翔一がくったくのない笑顔を浮かべる。そんな朗らかな顔をあの人はしたことがなかった。もしかしたら母親に似たのかもしれない、と思ったとたん、また胸の奥で小さな何かがむくりと首をもたげる。が、これは嫉妬なんかじゃない、と佐知子は自分に言い聞かせた。
「ぼく、MBAはだめだったけど、そんなのよりずっと大事なことを教えてくれた師匠にハワイで出会ったんです」
 何かを思い出すように、遠くを見つめる目をする。
 大波で有名なオアフ島のノースショアを拠点にプロツアーを回っているサーファーがいたという。背丈の何倍もある巻波(チューブ)に乗ったときの姿は神々しいほど美しく、その写真がサーフィン雑誌や商業ポスターにも取り上げられたそうだ。
「ぼくら、彼のことJ・Jって呼んでたんですけど、彼、ある日突然プロツアーやめちゃったんです。大きなチューブに乗っているとき、啓示を受けた、とか言って」

 ノースショアでのプロ・サーファー活動に終止符を打ち、J・Jはマウイ島へ移住してしまった。そこで珊瑚の生態研究と保護活動を始めた。
「ぼくも彼と一緒に生活させてもらったことがあるんですけど、海に入っていない時は、よくメディテーションていう瞑想をやってましたね。まあ、仏教の座禅みたいなものかな」
 人も生き物もみな宇宙とつながっている。それがJ・Jの口癖だったという。
「波も宇宙とつながってるんです。チューブライドしてるときに、それを感じて、なんか大きなショックを受けた、て言ってました」
 他を寄せつけないトップでツアーを回っていたのに、すべてを投げうってマウイ島での隠遁生活に入ってしまったのだ。
 波は宇宙の鼓動。波乗りをしていると翔一もそういうものを感じるという。潮の干満そのものがもっとも大きな波長の波で、それを引き起こすのは主に太陽と月の引力。これに惑星の引力も複雑に絡み合う。
 そして珊瑚は大潮、つまり太陽と月の引力がもっとも大きく作用する満月と新月のときに排卵する。これは他の生き物も同じ。

「人間の女性は……」、そう言いかけて佐知子をちらりと見、「あっ、佐知子さんには釈迦に説法ですよね。女性なんだし……」と、ばつの悪そうな顔をして目を伏せた。
 女の生理を見透かされ、裸体を見られたような気がした。
 ふと思う。あのとき自分は女でありながらそれを意識していなかったのだろうか。無我夢中で気持ちに余裕がなかったのか。本当は自身の体の生態を感知しているはずだったのに。情愛に押し流され、無防備のまま受け入れてしまった。いや、そうだろうか。無防備、というより自然のままだったのは、それでもいい、そうなってもいい、と、あのときどこかで思っていたのではないか。
 もし、あのとき、あのまま自身の子を産んでいたとしたら、今、目の前にいる翔一とは……。
 翔一の話す口もとを見つめながら、波打つような思いがこみあげる。
 それでも、今ここにいる翔一はあの人とは別の人間だ、と佐知子は思った。あの人にはなかった海のようなおおらかさを、出会ったときからこの青年の中に感じていた。

後編に続く(6月28日(金)公開)

※作品中の挿絵は、著者の指示により生成AIで作画したうえ著者が編集加筆したものです。
和賀江島」の詳細についてはコチラをご覧ください。

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