1.鎌倉のこと

切通し(3)―化粧坂―

 化粧坂と書いてケワイザカと読みます。鎌倉七口の中でも鎌倉駅からそう遠くない切通しのひとつで、鎌倉の中心部、つまり鶴岡八幡宮や鎌倉幕府のあったと考えられている辺りから武蔵の国へ出る鎌倉街道の途中にある切通しです。化粧坂を上がった山上は鎌倉と外との境界であり、交易が盛んな場所であったようです。吾妻鏡の建長三年(1251年)十二月三日の条に次のように記されています。(「化粧坂」は「気和飛坂」と表記されている)

鎌倉中の在々処々、小町屋及び売買設の事、禁制を加うべきの由、日来その沙汰有り。今日彼の所々に置かれ、この外は一向停止せらるべきの旨、厳密の触れ仰せらるるの処なり。佐渡大夫判官基政・小野澤左近大夫入道光蓮等これを奉行すと。
  鎌倉中小町屋の事定め置かるる処々
   大町 小町 米町 亀谷辻 和賀江 大倉辻 気和飛坂山上

  牛を小路に繋ぐべからざる事
  小路は掃除を致すべき事


 鎌倉幕府が商業地域(市)を指定するとともに、運用規則のようなものを定めた記述です。面白いのは「牛を小路に繋ぐべからざる事」とあり、現在の駐車禁止規則にあたります。つまり、当時は牛、または牛車が物流を担っていて、山上の交易場まで荷を運んでいたのでしょう。この山上とは現在の源氏山公園辺りであることは間違いありません。そして、現代の私たちにとっては少々奇異なことに、この辺りからは埋葬人骨が出土しており、荼毘の跡も見つかっていて、葬送の場でもあったようなのです。他の切通しでも墓である「やぐら」が多くみられ、中世では都市の外と内の境界は、交易と葬送(あるいは死体遺棄)が同居していたようです。

 さて、山上の交易場である源氏山へ至る「化粧坂」は、現在考えられている(地図、道標もそうなっている)坂道と確定されたわけではないようで、他のルートを主張する学者もいます。じつは私も現在云われている「化粧坂」には少々疑問を感じています。というのも、実際に歩いてみると「牛を小路に繋ぐべからざる事」という吾妻鏡の記述とそぐわないように感じるからです。

 では、その道を辿ってみましょう。


鎌倉駅西口(通称「裏駅」)をスタートします。


市役所前交差点を右へ曲がります。


横須賀線に沿って閑静な住宅・商店街を行きます。


住宅街の中に、こんな「やぐら」があるのも鎌倉です。



鎌倉五山第三位寿福寺の前を通過します。


この寺の裏に源実朝と北条政子の墓と云われている「やぐら」がありますが、その真偽については別の機会にしたいと思います。(あり得ない、というお話)


隠里稲荷(かくれざといなり)
伊豆配流中だった源頼朝の枕元に立ち、病床から救ったと伝わるお稲荷さんは「やぐら」の中に社が設えてあります。この前も通過します。


この辺りは歴史的風土寿福寺特別保存地区に指定されていて、やはり「やぐら」が多いですね。鎌倉では、崖地を注意して見れば、たいてい「やぐら」が見つかります。多くが江戸時代に再建された神社仏閣と異なり、こういった土地に刻まれた記憶にこそ、私は中世の名残りを感じます。


この「やぐら」の中には、ちゃんと五輪塔もありました。心無い人が盗ってしまって空き家状態の「やぐら」もよく見かけます。


横須賀線の沿道を離れて山側に入ると、道は急に細くなって寂しくなります。


ここが車の入れる舗装道路の行き止まり。この先が現在「化粧坂」と伝えられている切通しです。
「通行注意」であって「禁止」ではないので、どうどうと進みます。


雨が降ったあとは沢のようになっているところもあって、滑らないよう注意が必要です。


急峻なでこぼこ道。これでは牛車は通れないと思いますが、かつて平らだった道の土砂が流れて岩だけが露出したとも考えられなくはありません。


階段状になっているところもあります。土砂が流れて岩が露出したというより、人為的に階段状にしたように私には見えます。とても牛車は入ってこれないと思います。


坂を上り切ったところから下を撮ったもの。


坂の上には、遠足で訪れた小学生たちがお弁当を食べる場所になっている源氏山公園があります。この辺りが、かつては交易の場として栄えた化粧坂山上です。


源氏山公園に設置された源頼朝像。頼朝は山上から何を見つめているのでしょう。

さて、この「化粧坂」、なぜそう呼ばれるようになったのかについては諸説あります。

①昔、平家の大将の首を化粧して首実検したことから、この名が付いた。

②「険しい坂」が変じた。

③坂の上で商取引が盛んだったので「気和飛坂」と書いて、気分が高揚する様を言い表した。

④木が多いので「木生え坂」

⑤(田舎の?)武蔵から旅してきて、都会である鎌倉へ入る前の山上で、旅人は化粧して身だしなみを整えたが、「身だしなみを整える」ことを、古くは「ケワイ」と言ったから。

⑥この辺に遊女がいたから。

等々、様々です。
 ⑥の説は、源頼朝が富士の裾野で巻き狩りを催した際、宿敵の工藤祐經を討ち取った曽我十郎・五郎の仇討物語、『曽我物語』の逸話から来ていますが、長くなりますので、ここでは省略します。詳しく知りたい方は「曽我物語化粧坂乃條」をご覧ください。

 「化粧坂」については、まだまだわかっていないことが多いようです。
 私ごとで恐縮ですが、じつは、かつてこんなことがありました。

 もう、ン十年前になりますが、東京に勤めていた私の職場に派遣社員の女性が来ました。長い黒髪で、ファンデーションが少々濃いのでは、と思うほど色の白い女性でした。仮にA子さんとします。とりあえず一ヶ月の試用ということでしたが、その一ヶ月が近づいたころ新入部員の歓迎会があり、居酒屋での飲み会となりました。たまたま私の前に座ったのがA子さんでした。酒の入った場では、以前であれば、「結婚は?」「出身はどちら?」など個人情報に関わる話題で盛り上がっていましたが、そのころから、年齢や、既婚か未婚か、住んでいる場所などプライバシーに関わることは、本人が自ら話さない限りは聞かない、というマナーが醸成されつつありました。しかし酒が入ってくだけた雰囲気になってくるとプライベートな話題を避けるのは難しいものです。つい、何線で通っているの? といった話題になったとき、彼女も横須賀線で、しかも同じ鎌倉から通っていることがわかりました。

「化粧坂? ていうと寿福寺のほうだよね、裏駅の」
 横須賀線が多摩川にさしかかったとき、鉄橋を渡る轟音にかき消されないよう、私は声のトーンをあげました。
「ええ、その先の、ほんと寂れたところなんです」
 謙遜のつもりで言ったのでしょうが、観光客のいる昼間ならともかく、夜間ともなれば、さぞ寂しいところのはずです。彼女は遠慮していましたが、私は送っていくことにしました。

 鎌倉駅の西口でタクシーに乗ったとき、ふと、西瓜、あるいは胡瓜のような草木の香りが微かにしました。けれどその時は、車の芳香剤かなにかと思って気にとめませんでした。

 タクシーが寿福寺を過ぎ、隠里稲荷を過ぎて左の山側へ折れてしばらくしたころ、
「このあたりで停めてください」
 A子さんは運転手に声をかけました。
「このあたりなの? お家」
 私は窓ガラス越しに暗闇をうかがいました。
「この先の化粧坂を上がったところなんですけど、タクシーは入れないんで……」
「じゃ、ぼくもいっしょに行こう」
 とても女性ひとりを歩かせられる場所ではないと思ったのです。本当です。下心などありませんでした。
 もちろん彼女もいったんは断りましたが、私は送っていくことにしました。ところどころに街路灯はありましたが、その間隔が長く暗い細路です。
「昔は車も上がっていたんですけどね」
 ため息をつくように言います。が、そこは舗装もされていないでこぼこ道。しかも、かなりの急勾配です。
「こんな道、四輪駆動でないと無理でしょう」
 タクシーは入れなかったのですから。
「車は二つでしたけど……」
「え? 二輪車?」
「いえ、うしの……」
「うし?」
 おうむ返しにつぶやいたものの、彼女の言葉はうわのそら。暗い道で石に躓かないよう足元に気を取られていました。あたりは深い森の木々に囲まれ、人家など見当たりません。男の私でも、ひとりだったら怖いくらいです。
「あ、ここです」
 彼女の指さしたあたりが、ぼんやりと明るくなっています。蛍光灯ではなく、暗い黄土色の灯り。裸電球の照らしているのは小さな茅葺屋根の門でした。くすんだ木の表札には、たしかに彼女の苗字が墨書きされていました。
「今日は、ほんとうにありがとうございました」
 そう言って、首を傾げたとき、またあの西瓜のような、胡瓜のような香りが、ふっと漂ったような気がしました。
「でも、もうじゅうぶんだわ」
 そうひとり言のようにつぶやいて、暗闇を虚ろな目で見つめます。
 --じゅうぶん?
 ここまで送ってもらっただけで充分ということだろう、とそのときは思いました。
 そして彼女は、この上なくうすい笑みを浮かべたのです。その微かな笑みは、どういうわけか、近ごろの女性にはない、淡い、陽炎のようなそれだと私には思えました。そう、どこか、遠く、時を超えたような……。

 翌日、A子さんは会社に来ませんでした。
 翌々日になって、派遣会社の営業の方がやってきて、申し訳なさそうに詫びながら、一ヶ月の試用期間の直前だが、A子さんの代わりの人を紹介したい、と言いました。そして……
「何かご迷惑をおかけしたとか、トラブルのようなものがありましたでしょうか?」
 うつむきながらも上目遣いで私を見ます。それは私の表情の変化を読み取ろうとするような目でした。何かあったのではないか、と疑うような……。
「いえ、そういうことは何も……」
 私は、あの夜のことが少し気になりながら、そう応えました。
「そうですか、本人も、とくべつ不満があったようなことは言ってませんでしたが……」
 つぶやくように言いながら、営業の方は、どこか腑に落ちない顔をしました。
「で、彼女の次の職場は決まったのですか?」
「いえ、今は彼女と連絡が取れないものですから……。まあ、以前から、海外で働いてみたいようなことを言ってましたので……」
 ふつう、派遣社員の次の職場は教えないものですが、その営業の方は本当にA子さんの消息を知らないようでした。

 一ヶ月ほど経ったころ、私はハイキングがてら化粧坂から源氏山公園に行ってみようと思いました。
 ――たしか、ここから上がったはずだ。
 坂の上り口で見上げると、思っていた以上に狭く険しい。
 ――あの夜、こんなところを上ったのだろうか。
 道を間違えていないだろうか、という一抹の不安を抱きながら急な坂を上がりました。
 ――たしか、このあたりだったのでは……。
 そう思って周囲を見回しても人家のようなものは見当たりません。人家どころか、あの裸電球の街灯すら見当たりません。
 その後、私はずいぶん探してみましたが、A子さんの家はついに見つかりませんでした。もしかしたら、別の坂道だったのかもしれません。鎌倉は谷戸が複雑に入りくんでいて、道筋を誤ることはよくあります。

 そして数年後、私は、ひょんなことから母親の使っている化粧水のビンが珍しい形をしていたので匂いを嗅いでみました。すると、その淡い西瓜のような、胡瓜のような香りを、いつかどこかで嗅いだことがあることに気づきました。
 ――この香りは……。
 記憶の片すみにある残り香……。
 母親に聞くと、
「へちま水。肌に優しいのよ」
 昔の人は、その糸瓜の茎から採った水で白粉を溶いたそうです。
 私は、長い黒髪の女性が、糸瓜の水で溶いた白粉で化粧する姿を想い浮かべました。
 もうじゅうぶん。
 彼女が最後に言ったその言葉は……。

 すみません。どうも私は妄想癖があっていけません。その妄想癖が嵩じて小説を書くようになりました。物語の中に、意図せず八百年の命を与えられた八百比丘尼(やおびくに)を登場させたこともありますが、それが妄想なのか、体験にもとづくものなのか……、今は、その記憶すら曖昧になりつつあります。
 先ごろ『オリンポスの陰翳』という小説を出版しました。こちらは妄想というより、実際にあった1964年の東京オリンピックの時代を背景にした小説です。
 よろしければ読んでみてください。
『オリンポスの陰翳』ご紹介

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