5.著作のこと

【連載小説】春を忘るな(18)

この記事は前回からの続きです。
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■前回までのあらすじ
 大学で考古学を学んだ憲二は、恩師、吉田教授と小町裏通りのスナック[段葛]で歴史談義する中、[段葛]の女将(ママ)は鎌倉時代を、まるで見てきたかのように語りだす。
 実朝は疱瘡を患い、熱にうなされて自らの首を切られる悪夢を見、自身も兄や父のように殺されるのではないかという疑念を抱く。やがて疱瘡が癒え、鏡に映った自身の顏を見て失望するが、人前では公家のように化粧をし、宋への憧れを抱き続けた。和田義盛が乱を起こすが、幼なじみの和田朝盛からの手紙で、和田に謀反の心はなく、義時への抵抗だったことを知るも和田は滅ぶ。
 陳和卿(チンナケイ)という宋国出身の僧がやってくる。実朝は喜んで和卿を受け入れる。唐船があれば宋に行けるという話になり、実朝は和卿に唐船の建造を命じ、周囲の反対を押し切って渡宋を決意する。唐船の建造は順調に進んだが、船降し(進水)に失敗し、海に浮かぶことはなかった。実朝は義時を疑いながらも再度挑むことを胸に誓う。やがて公暁が京での修行を終え、鶴岡八幡宮寺の別当となるべく鎌倉へ帰ってくる。実朝は成長した甥の中に兄頼家の豪放な面影を見るのだった。
 一方、義時が官位昇進を望む実朝を諫めにやってくる。はたして義時は忠臣なのか、それとも北条の世を企む策士か、実朝は見極めようとする。そして八幡宮裏山の堂で千日の参篭に入っている公暁を訪ねる。腹の内を探りに行ったのだが、期せずして心を開いた話し合いとなったのだった。

   * * *

「ほう、実朝と公暁がそんな会話をしていたとはね」
 吉田が丸ぶちメガネの奥から女将(ママ)を見る。サネアツの顔だ。
「このときのことは『吾妻鏡』にも書かれていないわね」
「ということは女将の創作かな?」
 悪戯っぽい疑いの目を向ける。
「違うわよ。私はちゃんと見ていたんですから」
 吉田を見返してすねたような顔をする。
「わかったわかった。まあ、それはよしとして、やはり公暁には頼家の血が流れていたんだね」
「お父上に似て逞しいお体に成長されて、お顔はどこか大殿様の面影もあったわ。源氏の血ね。成長された公暁様を見たとき、あたし、どきっとしましたもの」
「おそらく将軍になりたいという気持も強かったのだろうね。だから事件は起きた……」
「そう、事件は起きたわ。でもその真相は『吾妻鏡』に書かれていることとは違うのよ」
「ほう、じゃあ女将(ママ)は知ってるのかい?」
 女将が、もちろん、という顔でうなずく。そして「あれは雪の降る日だったわ」と冷めた目で宙を見た。
「右大臣拝賀式の日だな」と吉田もその日を想像するような遠い目をした。
 

     第五章

 建保七年一月二十七日。御所様は武将として初めて右大臣に任ぜられました。そしてあの日、事件はまさに私の足元で起こったのでございます。
 数日前から雪が降りはじめ、夕闇迫る酉の刻には二尺をこえるほど積もっていました。京からも高位のお公家衆が参られ、御所から八幡宮の鳥居まで長い行列ができておりました。右大臣となられる将軍家をはじめお公家衆は牛車に乗られ、それを護る随兵は数千騎いたのですが武具を携えた兵は鳥居の中には入れません。外で待機していなければなりませんでした。その荘厳な景色を、私は八幡宮の高みから眺めておりました。
 ひとつ不思議だったのは、坂東では例のない右大臣拝賀式典に参列するのは大変名誉なことでしたので、御家人たちはみな競って参列を望んだのに三浦義村様はどういうわけか列席されていなかったのです。

 ――いよいよだ……。
 そんな心の声が、私の足元から聞こえてきました。
 ――吾こそが源氏の正統なり。
 まるで僧兵のように頭からすっぽりと顔まで隠れる頭巾を被った法師が私の幹に身を寄せているではありませんか。しかも手には法師らしからぬ太刀を携えて……。
 ――父、頼家の仇を打って……。
 父、頼家? ……とすれば、それは、なんと公暁様に違いありません。

          *

 僧衣を通して冷気が噛みついてくる。雪の中に膝まで埋もれながら身動きせず、じっと銀杏の木に寄り添っている。ふつうであれば凍えてしまうところだが、体の芯から熱気が発散してくるようだった。
 ――大儀は吾にある。
 父、頼家は惨殺されたのだ。その仇を討つのは武門の誉れ。そして吾はその二代将軍の嫡男。仇を討ったのちには将軍となる……。
 だが、公暁には、その父、頼家の記憶がおぼろげだった。顔すらもはっきりとは憶えていない。父とともに暮らしたということもなかったはずだ。もの心ついたときには父はすでに亡くなっていた。死の真相を知ったときも、大きな衝撃はなく、どこか遠くの偉いお方の死にざまという印象だった。
 だが、あるころから、自分はなぜ僧侶にならねばならぬのか、という漠然とした疑問を抱き始めた。それは僧門に入ったことで、逆に自分というものを見つめ直した結果生じたのかもしれない。
「あなた様は、もとより将軍となられるお方……」
 公暁は三浦義村の館で育てられた。父というものは知らない。が、実のところ、それに近い存在は義村であった。
「しかし、そのときが来るまでは僧侶に……」

 今がまさに「そのとき」であった。
 剃髪し、墨染めの衣を着たとき、ただひたすら読経するとき、自身が僧であることに違和感を覚えた。京で修行を始めて半年ほど経ったころ、血が湧き、眠れぬ夜があった。寺の裏山へ抜け出し、密かに棍棒を振った。棒を太刀に、雑木を敵に見立ててなぎ倒しているうちに自身の中に眠っていた武士(モノノフ)の魂が目覚めた。いや魂というより、それはどうしようもない性(サガ)というべきものかもしれない。雑木では飽き足らず動く標的が欲しかった。夜中に頭巾をかぶり、僧堂を抜け出し、山を降りて京の五条河原へ行くと、物盗り、山賊の類がたむろしていた。僧と見るや、少なくとも数珠くらい奪えると思ってか襲いかかってくる。つっ立っただけの雑木よりはなぎ倒し甲斐がある。相手に不自由はしなかった。河原辺りでは、比叡山の荒くれ僧兵が現れるという噂が立った。
 腕の打撲傷を師匠に見つけられ、五条河原通いはできなくなったが、折を見ては裏山での棍棒振り回しは続けていた。
 ――すべては、この日のためだった。  太刀の柄(ツカ)を握る。巻き紐を滑りにくい荒目にしてあったが、それが冷たく手のひらに食い込んだ。
 ――む、どうやら終わったようだ。
 本殿では神拝の儀が終わったようで、人のざわめきが聞こえてくる。闇の中に松明が燃え、その灯りが雪に反射している。木立の影が灯りの移動とともに動き、大勢が蠢いているような気がした。 一歩一歩探るように深い雪を踏みつける足音が聞こえてくる。狐火のような松明が波のように揺れて近づいてくる。
 ――おそらく、最初は先導の者であろう。その次に来る束帯が……。
 一の太刀を絶対に外してはならない。
 ――まずは将軍を切る。
 そっと鞘から太刀を抜く。刀身が雪明りに反射しないよう銀杏の幹で隠す。
 目の前を先導の松明が通り過ぎてゆく。そして次に……冠の巾子(コジ)が菖蒲の葉のように揺れながら近づく。束帯姿……。だが公家たちも同じ装束ゆえ誤ってはならない。
「右大臣様」
 あたかも侍従であるかのようにそっと声をかける。と、その束帯姿の男が顔を向けた。雪明りに白粉化粧の顔が照らし出される。
 ――間違いない!
「親の仇、かく討つ!」
 腹から声を出して太刀を上段に振り上げ、渾身の力で袈裟懸けに振り下ろした。たしかな手ごたえがあり、雪の中に束帯姿がどっと倒れた。

 
 ――やった!
 一撃で倒せるよう、この日のために鍛錬してきたのだ。
 ――そして今ひとり!
 すぐ後ろに続いてきた太刀持ちを返す刀でなぎ倒すように切る。が、手ごたえが浅い。一歩踏み込んで上段から真下に振り下ろし、とどめを刺した。今日の太刀持ち役を担っているのは執権、北条義時だ。
 ――北条こそが真の仇。
 闇の中に悲鳴が響き渡る。まるで女子のように裏返った声。おそらく続いて降りてきた公家衆であろう。松明の灯りが乱れ、闇と雪明りと木立の影が狂ったように舞う。
「誰かー!」
 裏返った声が警護の兵を呼ぶ。だが鳥居の外で待機している兵が駆けつけるにはまだ間がある。禁を犯して武装して境内に入るか丸腰で駆けつけるか指揮の混乱も起きているだろう。
 逃げ惑い、雪を蹴散らしながら去ってゆく音はすれども、向かってくる者は誰ひとりいない。丸腰の束帯姿相手への奇襲は容易に成功した。
 公暁は最初に切った束帯姿の屍に近づき、首をめがけて太刀を振り下ろす。冠を払いのけ、髷をつかんで頭を浮かせ、もぎ取るようにそれを切り落とした。雪が赤黒く染まる。
「御首(ミシルシ)頂戴つかまつる」
 そう、うめいて首を掴んだまま立ち上がった。
 僧衣も頭巾も血まみれだが、ついにやり遂げたという感慨と興奮が湧きあがった。

 木立に空いた左手をかけながら、雪の斜面を登ってゆく。腰の太刀が雪面を引き摺っているのがわかる。右手は髷を掴んだままずっしりと重みを感じている。
 人を切ったのは初めてだ。僧侶であれば破戒の行い。だが心はすでに武将のそれに変わっている。罪業は微塵も感じない。それどころか勝鬨の声を上げたいような昂ぶりが胸に溢れている。と、髷が解けたのか手からすり抜けるように首が落ちた。雪面にずぼりと沈む。それは虚ろに天を仰いでいる。今、この首はいったい何を思ったのだろう、という問いが木枯らしのように胸を吹き抜ける。
 ――吾が恨めしいか。
 問いかける。が、応えは返ってこない。
 雪をかきわけ、両手で掬い取るように持ち上げ、今度は脇に抱えた。
 まるで大きな瓜を抱えているようだった。
 雪に足をとられ、転び、雪まみれになりながら、抱えた瓜のようなものだけはしっかり離すまいと思った。

          *

「三浦の館に遣いを出せ」
 公暁は後見の備中阿闍梨の宅にいた。膳の用意をさせ、酒ももたせた。冷えた体を温めるため、そして大事を成し遂げた胸の昂ぶりを鎮めるため、酒が要った。傍らには御首がある。ほつれた鬢髪から溶けた雪が滴って溜まり、血が混じる。
 備中は恐れて近寄っても来ない。
「吾は仇討ちを成し遂げた。今より鎌倉の将軍は吾なり。そう駿河守に伝えよ」
 養父の三浦義村は公暁からの報せを、首を長くして待っているはずだ。この報せを聞けば新たな将軍を迎えに軍勢をよこすだろう。そして真の仇、北条義時も討った。新たな執権は三浦義村とする手はずになっている。いや、そう命ずるかどうかは新将軍である自分だ。
 ――今ごろ、騒ぎになっているであろうの。
 八幡宮には首のない将軍の胴体だけが転がっている。皆必死に首を探しているはずだ。
 公暁は傍らに置いた首に目をやった。
 白粉塗りの首は薄目を開けたままどこか遠くをぼんやりと見ている。
 武門の習に従って成し遂げた行い。執権の義時さえいなければ、御家人たちはみな源氏の正当な血筋を持つ新将軍になびくはずだ。
 武者震いで杯から酒がこぼれる。昂ぶる気を抑えようと酒を呷る。が、いくら呷っても、いつものような酔いはまわってこない。気はますます昂るばかりだ。
 外で物音がした。音がしたほうに気を向ける。
 ――ようやく迎えが来たか。
 ほっと気が緩む。が、それは枝から雪塊の落ちる音だった。
 外はまた静かになった。
「遅い! 三浦の手勢はまだか」
 酔いのまわらぬまま時だけが過ぎてゆく。
 ――しかたない、こちらから出向くか。
 返り血を浴び、血痕の染みた頭巾をまた被る。濡れて冷たい。
 御首は布をもたせて包み、抱えて備中阿闍梨の宅を出た。今はまだ大通りに出るのは危ういので八幡宮裏山の峯を越えて三浦邸に向かった。深い雪に足をとられ、何度も転びながら山を降りてゆく。転んだ時に布に包んだ御首も転げ落ち、雪に埋もれたそれを掻き出してはまた抱える。

 谷戸の奥に、ようやく三浦邸の灯火(アカリ)が見えてきた。門の前に郎党たちの姿がある。と公暁の姿を見つけたのか雪を蹴散らしながら駆け寄ってくる。
 ――遅いぞ、おまえたち。
 新将軍と気づいてあわてて迎えにきたのだろう……。
 ところが、いっせいに腰の太刀を抜く。
 ――な、なに? こ奴ら、吾を他の誰かと見紛(ミマゴウ)っておるな。
「待て! 吾を誰と心得る」
 叫んで一群を制した。
 この三浦の館は、幼いころから馴じんだ家だ。養子とはいえ、この家の主の子、善哉であり公暁、そして今より鎌倉の将軍となる身。
「義村を呼べ!」
 すでに心は将軍となっている。養父をあえて諱(イミナ)で呼びすてた。
「公暁殿にござるな」
「いかにも、吾は……」
 言いかけたとたん、稲妻が落ちたかのように相手の太刀が降ってきた。思いもかけず突然のことだったので太刀を抜く間もない。首から肩にかけて大きな衝撃が走る。自身の体の中でがつんという音がした。おそらく刃が骨にあたって止まったのだろう。
「何?」
 ――どうしたというのだ。なぜだ……。吾を公暁と知ってのことか……。それとも、まさか吾が新将軍となったことを知らぬのか、こ奴ら……。義村よ、出でよ! なぜだ……。どうしたというのだ……。
 灯火が揺れながら遠のいてゆく。闇が迫り……、寒気も痛みも感じない……。
 どこかで、何かが狂ったようだ……。
 ――どうやらここまでか……。
 蝋燭が尽きたように火がかき消え、目の前が暗くなる、雪明りが視界から消えてゆく。
 蝉の躯が目に浮かぶ。微かに震えている。回峰行で倒れたとき、道端に転がっていたあの蝉だ。それは最後の力をふりしぼって翅を震わせている。

  
 ――駒若、どこにおる……。
 ――吾の想いは破れた……無念……だが……。
 公暁は、うすれてゆく意識の中でたしかに見ていた。
 大きな船が海へ出てゆく幻影を……。船の舳(ヘサキ)には若武者が、遠い沖を見すえている。その目の先には大陸が、宋があるに違いない。

 ――殿は、ようやく船出ですな……。

     *

 一方三浦邸では公暁様の遣いはすでに到着していて、謀(ハカリゴト)の成功は伝えられていたのです。

「そうか、ついにやったか。すぐに支度せい!」
 義村はそう言って両膝をたたいた。
 ―公暁、いや新たな鎌倉殿、ようやった。これで、ついに吾も執権となる。あの相州には、ずいぶんと頭を下げてきたものだ。和田を見捨てるときも、本当は胸が痛かった。友をも喰らう犬、と言われ、蔑まれながらも堪えてきた。同族を裏切る辛さ、この気持は誰にもわかるまい。そもそも和田は人が良すぎる。武将としては甘い。それに比べて相州は、冷徹で抜け目なく賢い男だった。吾は三浦の棟梁。家を守る責(セメ)を負うているのだ。生き続けるため、どちらにつくか決めねばならなかった……。だが、もうその必要はない。これからは……。
 義村は立ち上がった。自ら公暁を迎えにいかねばならぬ。幼いころより我が子のように育てた。それがついに将軍となる。この後は執権として傅(カシズ)くことになる。血が湧きあがるようにそう思った、そのとき、侍従が慌ただしく駆け込んできた。義時の遣いが文を携えてきたという。
「何? 執権殿からの遣いだと?」
 ――今となってはすでにこの世にはおらぬはずだが……。
 討たれる前に書かれたものが今届いたということか? 不審に思いながらその文を受け取る。
 誰が書いたものかはわからぬが義時自らの言葉になっている……筆跡も……似てはいる……。
 ――おそらく討たれる前のものだろう。
 自らの気を静める。
 だが、読み進めるうちに……、文を持つ手が自らの意とかかわりなくわなわなと震え始めた。
 文には事件の顛末まで書かれている。
「な、なんと、生きておられるではないか。どういうことだ」
 ――あ奴め、しくじりおったな……。
 思わず文を床に叩きつけた。
 ――あれほど言っておいたに……。将軍とともに、この鎌倉の実権を握っている相州殿を討ち取らねばならぬ、と……。将軍が討たれても、あの相州殿であれば、すぐに次の手を打つ。さすれば公暁が次の将軍になるのは難しいだろう。
 むっ、執権殿が存命とあらば……。
 あの謀は失敗。となれば、未だ新将軍と認められていない若造と、老練な執権と、どちらと手を組むのが得策か。いや、三浦の家(イエ)として、どちらの側へつくべきか……。
 頭の中で馬が駆けるように考えを巡らす。
 ――情の入る余地はない。
 それは和田の乱のときと同じ決断だった。あのときも三浦の同族としての結束から、和田義盛を援護する手はずだった。だが執権の力を考えれば、後々のことを考えれば、執権、相州と手を組むしかなかった。そのため、後で、他の御家人たちから「三浦の犬は友をも食らう」と揶揄された。だが、そんなことは構っていられない。
 ――今度は何といわれるのかのう……。
 体の中に流れる血が、冷たく静まり、すとん、と落ち着いた。
「公暁をこの館の中に一歩も入れるでないぞ。見つけしだい成敗せよ!」
 ひとたび意を決すれば、牙をむいて襲い掛かる獣となる。
 ――そう、成敗するのだ。
 鎌倉殿に盾ついた公暁は謀反人。執権殿が仇討ちと認めることは微塵もない。狼藉を働いた者として始末するしかない。そんな輩は三浦の家とはいっさい関わりはない。相州殿が執権のままおられるからには敵にまわして勝ち目はない。ここは引くしかなかろう。謀(ハカリゴト)? そのようなものはない。そう、最初からなかったのだ……。公暁はひとり乱心したのだ。

 そうなのです。お可哀そうに。公暁様は見捨てられたのです。
 そんなことがあったあの日、拝賀の式典が始まる前、相州様のほうにもおかしな動きがあったのです。
 八幡宮へ向かう行列で相州様は太刀持ちのお役目を務めるため将軍の牛車のおそばについておられました。闕腋(ケッテキ)の束帯に冠、そして編んだ馬の尾の毛を束ねて半月に開いた老懸(オイカケ)がこめかみを飾る武官の正装で晴れの式典に臨まれていたのです。
 ところが……。

          *

「して、次朗丸はいかがいたした」
 鳥居の前で、義時は郎党を呼びつけると、声をひそめた。
「はっ、それがいまだ……」
 郎党は、積もった雪に片膝をついて顔をしかめる。
「むっ、そうか……」
 さきほどから、郎党のひとり、次朗丸という男の姿が見えぬことに一抹の不安を覚えていた。
 ――今にいたっても見つからぬということは、やはり……。
 頭の中にさまざまな見立てが交錯する。そして、ひとつの読みに帰結した。
「文章博士殿……」
 義時は、小声で囁くように声をかけた。
「どうされました? 執権殿」
 義時が三度声をかけてようやく気づいた仲章がふり向く。
「どうも気が……」
 義時は顔をゆがめた。
「ご気分がすぐれないのですか?」
 仲章が心配そうな顔でのぞきこんでくる。
「このようなときに……」
 言ってまた顔をゆがめる。
「ご無理をされないほうが宜しいかと……」
 義時もこのとき齢五十七。鎌倉でも珍しい大雪で体に急な障りが起きても無理はない。気の優しい将軍付きの文官は本心から義時の身を案じているようだった。
「かたじけないが、お役目を代わっていただくわけにはまいらぬか」
 文官が太刀持ちをするのは異例なこと。だが、仲章はすんなり承諾した。鎌倉暮らしも長くなり、坂東の武家社会にだいぶ馴じんできたこともあろう。なにより自分が将軍の侍従であるという自負もあるに違いない。
 義時は捧げていた将軍の太刀を儀式ばったしぐさで仲章に引き渡しながらまたよろめく。と、すぐに郎党が支えに寄って来る。その肩に寄りかかりながらよろよろとその場を離れた。
 ―――うまくいった。
 仲章が太刀持ち役を引き受けなければ御家人の誰かに頼まねばならないところだった。御家人の筆頭である執権としては面目がたたない。
 義時は、目立たぬようそっと行列を離れ、そのまま侍従に付き添われながら目と鼻の先にある小町の自邸へもどった。

          *

「何? 将軍が……」
 そろそろ拝賀の式典も終わるころ、義時のもとに火急の報せが入った。将軍であり、今日右大臣に昇進した実朝が切りつけられたという。
 ―――やはり……、危惧していたとおりだ……。
「で、お怪我は……」
 命に別状ないか、そう聞いてしまいそうになるのをぐっと抑えた。とはいえ何よりまず確かめねばならないのはそこだった。
「み、御首(ミシルシ)を……奪われておりまする」
 苦渋の言葉を漏らした郎党の袴には溶けてまた凍った雪がついている。おそらく気も動転してころげながら雪路を駆けてきたのだろう。
「なに! 御首……」
 すでに怪我云々の話ではない。鎌倉の将軍が……。
 そして首が持ち去られたということは下手人の狙いは明らかだ。
「親の仇、かく討つ、という声を聞いた者がいるとのことにござりまする」
「親の仇、とな? うむ……、して切られたのは御殿だけか?」
 義時は頭の中で将軍を仇とする者の人物像を必死に追いはじめた。
「いえ、文章博士殿も……」
「なに、仲章殿も……」
 下手人は「親の仇」、と言ったという。切られたのは将軍とその文章指南役……、だが……今日の仲章は義時の代役だ……ということは……。
 ―この吾と見誤られたのではないか?
 だとすれば将軍だけではない。自分をも仇と思う者が下手人。となれば……。
 ――そうか、やはり……。
 ある人物像が浮かぶ。
「三浦の館に遣いを出せ」
 義時の脳裏に浮かんだ一節(ヒトフシ)々々がつながり、すべての筋書きが見えてきた。
 将軍を切ったのは、おそらく公暁だろう。
 ――だとすれば行く先は三浦邸しかない。
 ――三浦か……。
 これを機に、三浦を謀反人として一族もろとも攻め落とすか? だが、まてよ……、この鎌倉は砦の前面が海。水門を守る水軍が必要。三浦がなくてはならない。今すぐに三浦を抹殺するのも……。ここはひとつ、何が本当に得策か三浦自身に判らせてやるのも手か? あ奴ならば賢い断を下すだろう。あの時のように……。もしそれも分からぬような馬鹿ならばそのとき攻め落とせばよい。
 下手人は即刻成敗。下手人の携えている将軍の御首はこちらへ引き渡すこと。これを早く義村に伝えねばならなかった。
 文をしたため、筆を置き、三浦邸へ遣いを出した。
「今より御所へ参る。すぐに支度せい」

 直垂(ヒタタレ)に着替えた義時は馬にまたがった。若宮大路の北条邸から御所までは歩いても行けない距離ではなかったが、この深い雪では袴の裾がとられる。馬ですら歩きにくそうに白い息を吐いて喘いでいた。
 御所の門前は篝火が灯り、武装した兵たちがたむろしていた。まるで戦でも始まるかのような物々しさだ。
 義時が対舎(タイノヤ)に入ると束帯を纏ったままの骸に政子と実朝の正室、信子がすがりつき哀しみの最中(サナカ)だった。
 骸の首から上には錦の布が掛けられているが妙にへたって平らなのが不自然だ。そこにあるはずの顔、頭がないのはすぐにわかった。
「おお相州殿、なんということでしょう」
 政子は涙を拭おうともせず泣きはらした顔で義時にすがりついてくる。そんな取り乱した姉を見るのは初めてのことだった。
「尼御台様、落ち着きなされませ」
 義時にはそう言えるだけの訳があった。
「これが落ち着いてなどいられましょうや」
 はらはらと涙を落としながら首の無い骸を見やる。
「何かおかしいとは思っていたのです」
 今朝がた、いつも実朝の髪結いを務める役の者が言ってきたという。
 殿の髪を梳いていたところ、ほつれたご自身の鬢髪をくださった。記念にと申されていたが、そのようなことは初めてのことだ、と。
「それでこれです」
 政子は骸の脇に置いてある一枚の懐紙を義時に見せた。見憶えのある実朝の字で歌が一首書かれている。

 出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな

「どう考えても、このようなことになるのを察していたとしか思えませぬ」
 出でていなば……。もう帰ることはない、と……。
 いつもの毅然とした政子の顔になって義時を見る。まるで何か大きな陰謀が渦巻いているのを疑うかのような目だ。
「姉上、殿のお体をお検(アラタ)めなされませ」
 義時は声をひそめて政子に耳打ちした。尼御台ではなく、姉上という言葉がつい出てしまった。
「なに、検める、とな?」
「はい、その骸はまことに殿でしょうか。ご自身の目でしかとご検分なされ」
 ――あなたなら、いや、あなたであればこそ分かるはずだ。
 義時は姉、いや実朝の母の目を見つめた。
 政子は義時の目を見返し一瞬かたまる。そしてはっとした顔になって骸をふり返った。そして骸にしがみつくようにして帯を解き始めた。
「尼御台様、なにを……」
 信子が驚いたような顔で政子のようすを見る。悲しみのあまり気が触れたと思ったかのような顔だ。
「そなたも早く、だれか!」
 政子はただ見ているだけの信子を叱咤し、侍女を呼びつけた。束帯は体を起こさないと解くことができない。呼び出された侍女は最初驚いた顔で忌むべきものを見るような目をしたが、政子に促されて骸の背中を支えて上体を起こした。と、錦の布が肩からはらりと落ちて、割れた柘榴(ザクロ)のような首の切り口が、目の前で露わになった。瞬間、信子と侍女は、のけ反るように顔を背けたが政子は動じない。ただ手は慌ただしく動くも衣をはぎ取るのに難儀している。見ている義時も焦れてこぶしを握る。

<つづく> 次回、ついに事件の真相が明らかになるのか? こうご期待!

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