サーフポイントから見える謎の洞窟
■自然の浸食による海食洞ではない?
サーファーなら知る人ぞ知る大波スポット、稲村アウトサイド。そこへパドルアウトしてゆくのはそれなりの覚悟と技量を持ちあわせたサーファーでなければなりません。という話は「サーフィンのこと」でお話しすることですが、今回は、そのサーフスポットへ出ないとなかなかよく見えない風景のお話です。
稲村ヶ崎の先端の崖(つまり海からしか見えませんが)には四角く切り抜かれた穴が崖の中腹に二つ。下側の喫水付近に丸い馬蹄形の穴が一つ開いてます。最初、私は海蝕洞かと思ったのですが、洞窟内に少し入ると内壁が人工的に掘られているのが分かります。穴の形もトンネル状で人が立って歩けるほどですが、今は「立ち入り禁止」の看板が立っていて崩壊の危険があるので入らないほうが良いと思います。
■太平洋戦争末期の要塞だった
四角い穴は銃座
伏龍の出撃口
実は、ここは、太平洋戦争末期に造られたもので中腹の四角い穴は銃座とのことです。アメリカの太平洋艦隊が上陸してくる、という想定で上陸用舟艇が岸辺に来たところを狙い撃ちしようとしたのでしょう。
そして下側の馬蹄形トンネルのほうは「伏龍」という特攻の出撃基地だったのです(注)。
注)伏龍ではなく、モーターボートに爆薬を積んで特攻した震洋の基地という説もある。
■人間機雷「伏龍」という特攻兵器
神風特攻隊は、ご説明するまでもなく飛行機による体当たり攻撃です。回天という小型潜水艦(特殊潜航艇)による特攻もありました。では「伏龍」とはどんなものでしょうか。
神風特攻には飛行機が要ります。回天は魚雷を改造して人間が操縦できるようにしました。太平洋戦争末期には極度に物資が不足して新たな飛行機や兵器を作れなくなっていたのはご存知だと思います。そんなときに考え出されたのが「伏龍」です。端的に言えば、潜水服のようなものを着て海に潜り、5メートルの棒の先に機雷を付けたものを持ち、海の中で待ち伏せし、敵の船が頭上に来たら棒機雷で突いて爆破させるのです。機雷は周囲50メートルの範囲を破壊しますので、突いた人間(兵隊)は当然死にます。まさに特攻です。
<伏龍の装備>
『海底の少年飛行兵』門奈鷹一郎著 より
しかし、この「竹槍でB29を突く」ような戦術は、開発時期が終戦の直前だったこともあり実戦では使われなかったようです。しかし訓練中の事故で死んだ人たちが多数いたようです(50人とも100人とも言われているが正確な記録はない)。訓練というよりは人体実験しながらこの兵器を開発したというのが実態のようです。現在のスキューバダイビングに似ていますが、空気ではなく酸素を潜水服内に循環させ、背中に付けた苛性ソーダの顆粒が入った清浄缶に排気を通過させて二酸化炭素を除去させようとしました。しかしこの清浄缶がくせ者で、ビスケット缶のような薄い板金でできていたそうです。その金属缶が傷ついて破れると海水が侵入し苛性ソーダが海水に反応して沸騰し、排気管を逆流して口に入り、猛毒の苛性ソーダで口腔内や気管、肺が爛れてチアノーゼを呈して死んだとのことです。(『海底の少年飛行兵』門奈鷹一郎著)
大戦末期の物資不足の中で破れかぶれの非人間的な作戦を敢行しようとしたとしか思えません。当時の日本がそこまで追い詰められていたということでしょう。
■小説『竜の棲む岬』
私は、稲村ヶ崎を舞台に、この伏龍特攻を題材にして『竜の棲む岬』(※)という小説を書きました。是非多くの方に読んでいただきたいのですが、トップページ「著作の紹介」でご案内している小説『オリンポスの陰翳』の第一刷が完売にならないと出版できません。『竜の棲む岬』が幻の著作とならぬよう、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
※『竜の棲む岬』を短編化し、当ブログで連載公開しました。(2021年7月)
『かつて、そこには竜がいた』連載開始にあたって はコチラ
※2021年10月、長編小説『竜の棲む岬』 を出版しました➡コチラ