かつて、江の島弁天橋には「おでん屋台」が並んでいました。
夕方になると赤い提灯の灯がぼんやりと浮かび、展望灯台の灯と相まって夜の江ノ島に彩を添えていました。釣り帰りの人、湘南港のヨットマン、観光客。地元人もちらほら見かけましたね。私は七里ヶ浜の方から、鵠沼の友人たちと落ち合うために、よく自転車でやって来ました。
おでんは、ごく普通なんですが、貝串という、ツブ貝を串に刺したおでんがあって磯の香り、というか海の橋の上だからでしょうかね? もちろんサザエのつぼ焼きや焼き蛤もありました。とにかく、夜の潮風に吹かれながら、おでんをつつき、酒を飲むというのはじつにいい時間でした。暖簾をくぐるとおでんの湯気がたちこめ、煮つまったあの匂いが、また来たね、と出迎えてくれる。ごちそうさん、と屋台を出れば、酒とおでんで火照った頬を海風がなで、潮の香りが……。
あの慣れ親しんだおでん屋台が、ひとつ、ふたつと消え、やがて……。というのも、行政は基本的に橋上での屋台営業を認めない方向だったのです。すでに営業している店は許可するが、新規出店は駄目。現在営業している店主にだけ一代限りの免許を与える。営業権の譲渡、子への継承は不可だったのです。理由は定かではありませんが、橋上の通行を阻害するため、ということだったようです。
(藤沢市文書館提供)
弁天橋は歩行者専用橋ですが、ご覧の通り、道は広く、通行を妨げるようなことはありませんでしたけどね……。
占有場所の利権とか厄介な問題も絡むことは想像できますが、あの至福の時間が愛おしい。最後のお店が無くなったときは、なんとも残念でした。喪失感というのでしょうか、あの、江ノ島弁天橋屋台の灯が消えた日、私の居場所がひとつ無くなった、という……、そんな感じでした。
たいせつな何かを失ったような……
こんな感じで、古き懐かしい江ノ島を「Once upon a time in 江ノ島」シリーズと銘打ってワンポイントでご紹介していきたいと思っております。
最後に、江の島をモチーフにした私の小説の宣伝をさせていただきます。
江の島弁天橋屋台の灯
江の島弁天橋の屋台を舞台に、そこに集う人々の数奇なお話しを書き留めた小説です。
なぜ屋台の灯は消えたのか……。
詳しいご紹介はコチラ
オリンポスの陰翳
1964年の東京オリンピックを境に、江ノ島とその島に住む人たちが激動の渦に巻き込まれ、変貌してゆく物語。よろしくお願いします。
ラフカディオの旅
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、日本では、松江を訪れ『怪談』を書いていた作家として知られていますが、じつは来日直後に訪れた鎌倉、江の島で彼の後半生に大きな影響を与える出来事に遭遇していたことは、あまり知られていません。
ハーンはなぜ日本に来たのか?
なぜ日本に骨を埋めることになったのか?
その真相に迫る物語です。