5.著作のこと

【連載小説】かつて、そこには竜がいた(4)

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■前回までのあらすじ
 宮崎で幼少のころからサーフィンに明け暮れていた智志(サトシ)は、プロサーファーになったとたん、自身の人生はこのままで良いのかと悩みだす。テレビで災害救助に励む自衛隊員の姿を見て自衛隊員になろうと思い立ち、かつて海軍予科練に入隊した祖父に相談するが、なぜか色よい返事がなかった。
 大波サーフィンのメッカ、鎌倉稲村ヶ崎を訪ね、波待ちをしているとき、地元(ローカル)の裕二と知り合い、二人で稲村ヶ崎の洞窟を探検する。洞窟の暗闇で波乗りに明け暮れる生活について語り合い、打ち解ける。行き止まりと思った洞窟に横穴が続き、そこで見たことのない円筒形の金属缶のような物を見つける。智志は、それが祖父、吉次郎の話してくれた、ある物ではないかと、祖父の予科練時代の話に想いを馳せる。

 吉次郎は愛国の想いと飛行機への憧れから予科練に入り、難しい課業と厳しい罰直に耐え、晴れて飛行練習生となった。だが、飛行訓練の始まる直前、総員整列がかかり、分隊長が演壇に立った……。

  ***

 演壇に立った分隊長が、無言のまま全員を見回す。
 最近の飛練生はたるんでいる。そんなお叱りで喝を入れられるのかとみんな身構えていた。が、分隊長はどこか沈鬱な顔をしている。
「サイパン、グァム島守備隊が玉砕し、帝都東京がB29の攻撃を受けた今、日本は決戦に備えて航空機と燃料を温存しなければならない」


 爆撃機の航続距離の半分以内、つまり往復できる距離に浮かぶ南洋諸島が日本国土の最終防衛線だった。それが破られた現在、敵爆撃機は次々とやってくる。しかるに物資は底をついている。だから節約しなければならないという。その理屈は吉次郎も理解できた。だが、
「したがって、しばらくの間、飛行訓練を中止することに決まった」
 分隊長は苦渋の顏で全員を見回した。
 飛行練習教程とは文字通り飛行機の操縦訓練をすることだ。そのために二年間の予科練で難しい課業を積み、あの厳しい罰直にも耐えてきた。すべては飛行機に乗るためだった。それが中止。では我々はいったい何をするのだ。意味が解らない。
「諸君には滑走路や防空壕、地下基地の建設に従事してもらう」
 分隊長の言葉に、吉次郎、いや、その場にいた飛練生全員は耳を疑った。そして頭の中が真っ白になった。


「ようは土方をやれ、というこつだ」
 祖父、吉次郎はその時の悔しさを思い返すような表情で苦笑いした。
「でん、そら一時中止、というこつやろう?」
 そうでなければ祖父は特攻隊員にすらなれなかったはずだ。
「ハナカラステ、クチカラ……」
 吉次郎が口の中でもごもごつぶやく。
「え、今、何て言っげな?」
 智志は聞き返した。最近、吉次郎は少しだけ呆けてきたようで、ときどき意味不明な言葉を口走ることがある。
「じゃっと、もう少し話さんといけんな」
 吉次郎は感情の消えた虚ろな顔で遠い目をした。


「これじゃあドカレンだな、俺たちは」
 そこが防空壕なのか地下基地になるのかわからなかったがトンネルの中でツルハシを杖にして同僚が吐き捨てるように言った。予科練の作業服ズボンにはゲートルを巻いている。粋が自慢の海軍なのに陸軍のような泥臭い恰好をしなければならないのが余計にやるせなかった。


 予科練出身の飛練生たちは全国に散って滑走路建設、塹壕、防空壕、地下基地建設などの土木作業に従事していた。
 ――土科練(ドカレン)か。たしかにじゃっどな。
 吉次郎はツルハシを握って汗を拭いながらひとり苦笑いした。だが、本土決戦が間近に迫った今、B29の爆撃や艦砲射撃から人々を守るためには防空壕が必要だ。これも国の、いや民のため。もともとそう決心して予科練に入ったはずだ。そう自分に言い聞かせて無理やり納得させた。
 そんなある日、吉次郎の分隊に集合がかかった。
「戦局は厳しい状況である。諸君にたいする期待はますます高まっている!」

 ―土方仕事をもっとやれ、ということか。
 分隊長の顔を見ながら捻じ曲がった反発心がわく。
「これは非常に危険をともなう任務である」
 ――え、危険をともなう?
 たしかにトンネル掘りで落盤事故も起きていた。だが……。
「殉国の情熱に燃える諸君のなかで、この作戦に参加することを希望するものは……」
 ――殉国の情熱? こりゃあ土方じゃあんな。
 胸の中がかっと燃え上がる。
「一晩よく考えて決めるように」
 分隊長は神妙な顔で言った。だが、任務の内容は極秘事項ゆえ明らかにできないという。
 非常に危険をともなう。極秘。殉国の情熱に燃える……。
 ――これは特攻じゃろう。
 吉次郎は眠れなかった。特攻なら、非常に危険どころか、必死の攻撃だ。命はない。それを覚悟すべき。だから一晩考えろ、と……。だが、それで、自身の命を捧げることで国、いや、父、母、兄弟、友、いや全ての民と郷土を守る、その一翼を担える。もともと予科練に入ったときの決意をまっとうできる。ならば本望ではないか。それに特攻隊員養成のためにだけ飛行訓練が行われるという噂もあった。特攻であれ何であれ、あの憧れだった飛行機に乗れるかもしれない。飛行服に身を包み、操縦桿を握る自分が目に浮かぶ。
 ――こんな土方仕事を続けるより……。
 眠れないないまま、いや夢うつつだったかもしれない。吉次郎は心を決め、翌朝、志願した。


「やっぱり、特攻隊って志願制じゃったんだね」
 智志は祖父の吉次郎が少し眩しかった。たとえ今は少し呆けてしまったとしても……。
 実際は強制だった、という話も聞いたことはある。
 志願する者は一歩前へ!
 上官のそんな命令で、勢いよく一歩前へ出る者。躊躇しながら踏み出す者。そんな雰囲気の中では拒否はできなかった。志願制とは言いながら拒否した者には後々諸々の懲罰的処遇があったとも聞く。
「特攻は、志願なら〇、志願しんなら×、と紙に書いて出したつとか、いろんな選抜があっようじゃが。だけんどん、あんとき分隊長は、一晩じーく考えろ、と言った。ほいで翌朝、志願するもんだけ班長の部屋に申し出たのさ。まあ、志願しなかったやつらが、そのあとどんげなったかは知らんけどな」
 吉次郎はそう言って、また遠い目をした。


 土方作業だけの航空隊から転属となった先は横須賀鎮守府管内の久里浜対潜学校だった。
「俺たち、ここで何やるのかな」
 宿泊所となった対潜学校の柔道場の畳に寝転がって天井を見つめながら吉次郎はつぶやいた。
「対潜学校ちゅうことは、潜水艦の哨戒とか機雷の敷設だよな」
 同じ飛練の同期生も仰向けで天井をみつめたまま応じる。
「それと特攻とどんげ関係するんだ? 分隊長は、非常に危険をともなう任務、と言ったよな」
「機雷の敷設は危険な作業だが、一晩考えて志願させるようなことじゃないよな」
「人間魚雷、というのがあるらしい」
 回天という潜水特攻兵器がすでに開発され、予科練出身者が訓練に参加しているという噂があった。
「その人間魚雷と関係あんのかな、ここも……」
 そのとき柔道場の外が騒がしくなった。
「軍医殿を呼べー!」
 大声で叫ぶのが聞こえる。声の響きがただごとではない。吉次郎たちは外へ飛び出した。と、担架を運ぶ一団が駆けてくる。目の前を通過するとき、担架に横たわる上半身裸の男の顔が一瞬見えた。顔の下半分が青紫色に爛れ、口を大きく開け、苦痛で顔が歪んでいる。
 ―これはいったい……。
 爆弾や機雷の誤爆による負傷には見えなかった。しばらくして、また担架を運ぶ一団が駆けてくる。今度は顔の上に布をかぶせていて見えない。


「手が足らん、お前たちも手伝え!」
 吉次郎の襟の階級章にちらりと目をやった将校らしき男が怒鳴った。
 わけもわからずついて行った病室は騒然としていて寝台に寝かせた男の口に大量の液体を流し込んでいる。水を飲ませて吐かせ、胃を洗浄しようとしているらしい。
 軍医の口から、チアノーゼ……、人工呼吸……、という言葉が聞こえ、やがて、駄目だな、という弱々しい声が漏れた。
 吉次郎たちは二人の遺体を霊安室がわりの地下倉庫へ運んだ。すでに季節は初夏に入っていて遺体を腐敗させぬよう少しでも冷暗な場所に移す必要があった。
「おまえたち、これは軍の機密事項だ。くれぐれも口外することのないように」
 中尉の階級章をつけた男はそう言って地下倉庫を出て行った。
 顏に白い布を被せられた二つの遺体、今は動かなくなったその体を見て吉次郎はさっきまでのことを思い出す。
 体が痙攣し、反り返ったりくの字に曲げたり、まるで釣り上げた魚が跳ね回るように暴れだす。寝台から落ちないよう抑えつけたときの顏が目に浮かぶ。鼻から下全面が青紫色に爛れ、呼吸ができないのか苦しそうに顔を歪める。まるで歌舞伎役者が赤や青の筋を入れた隈取の化粧で目を剥き、口をへの字に曲げて演じているような顏だった。体を抑えながら、その顔から目を背けた。
 軍医は脳神経が侵されたための反応ではないかと言っていた。
 ―どうしてあんなことに……ここはいったい……。

つづく
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