2.江ノ島のこと

江ノ島に架ける橋

 かつて江ノ島と片瀬海岸の間に橋はありませんでした。江ノ島は海に浮かぶ正真正銘の島だったのです。それでも、境川河口の砂洲が江ノ島まで達していたので、干潮のときは歩いて渡ることもできたようです。(下の写真)


(長崎大学附属図書館所蔵 資料No.497 使用許可手続き済)

 でも潮が満ちれば渡し船や渡し人足の肩に頼らねばなりません。川の渡しでもよくあったように、船頭や渡し人足が渡る途中で法外な賃料を請求(脅し?)するようなトラブルもあったようです。
 そんな時代に、あの『耳なし芳一』などの怪談話で有名なラフカディオ・ハーン(小泉八雲 1850 – 1904)が江ノ島を訪れています。


ハーンは『日本瞥見記(上)』の第四章「江の島行脚」で以下のように記しています。(そのまま抜粋します)

…(略)…はるか前方には、美しく盛り上がった一団の緑が――樹木におおわれた島が、陸から四分の一マイルほど離れた海上に浮かんでいるのが見える。あれが江の島だ。海と美の女神の祀ってある神の島、江の島だ。ここから見ると、早くも、その急傾した斜面、灰色に散らばっている小さな町すじが見える。あすこなら、今日のうちに歩いて渡っていける。ちょうど潮は引いているし、長いひろびろとした干潟が、いま、われわれの近づきつつあるこちらの岸の村から、土手のように長ながと伸びつづいているから。
 江の島の、ちょうと対岸にあたる、片瀬という小さな部落で、われわれは人力車を乗り捨てて、そこから徒歩で出かける。村と浜のあいたにある小路は、砂が深くて、俥を引くことができないのた。


(長崎大学附属図書館所蔵 資料No.610)

「あれが江の島だ」と言ってハーンが見た景色は、この写真のようだったのではないかと想像します。
 島の向かって左側は急な断崖が海に面し、その下は東浦の磯が広がっています。現在は、その辺りが埋め立てられてヨットハーバー(湘南港)になりました。

「瞥見」とは「ちらりと見る」ことですが、『瞥見記』では、日本の当時の様子が詳細に描かれていて、じつに貴重な資料です。(「江の島行脚」については、また別の記事でとりあげたいと思います。その後→ 「ラフカディオ・ハーンの見た江ノ島」「切通し(2)の2 ―極楽寺坂とラフカディオ・ハーン―」でとりあげました)

 まだ橋の無かった時代では、渡船賃金・負越銭で生活していた舟頭や人足は橋の建設に反対していたとのことです。産業革命期には、鉄道を通せば川や海を用いた水運業者や馬運業者が反対。草鞋を作る職人が「草鞋が売れなくなる」と反対。繊維工業の自動織機が発明されると、手工業職人は失業するので機械破壊運動が起こりました。そんな時代の流れと同じでしょう。

 しかし、明治30年(1897年)に、ようやく境川河口の砂洲先端と江ノ島を結ぶ仮橋が出来ました。


(藤沢市文書館提供)
仮橋というだけあって、台風や風浪で壊され、何度も架け直したそうです。

 大正11年(1922年)になると、管理が村営から県営となり、本格的な木造の橋が作られました。下の写真がその時代のものか定かではありません。


(藤沢市文書館提供)

 このころは橋を渡るのに渡橋料を支払わねばなりませんでした。大正11年(1922年)から昭和10年(1935年)までは往復で2銭でした。これが、その渡橋券です。

(所蔵:新関光二)

 裏面の注意書きは以下の通り。
 注 意
 一、渡橋者ハ本券ヲ提示シテ係員ノ改鋏ヲ受ケラルベシ
 一、本券ハ帰路之ヲ係員ニ引渡サルベシ


(藤沢市文書館提供)
 昭和24年(1949年)には現在の江ノ島弁天橋(コンクリート橋)が架けられました。これは、その開通を記念する江ノ島電鉄の記念切符(昭和24年の印字)。

(所蔵:新関光二)

 
 そして江ノ島の歴史の大きな転換点が第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)でヨット競技会場が江ノ島に決まったことでしょう。景観、特に東浦がヨットハーバー建設で大きく変貌するため、昭和35年(1960年)には文化財保護委員会が「江ノ島」に係る国の名勝および史跡の指定解除を決めたのです。
 注)国の指定解除後に神奈川県が名勝および史跡を指定している。


(藤沢市文書館提供)
 ヨットハーバー(湘南港)建設のためにトラックの通れる橋が必要だったため、昭和37年(1962年)には弁天橋に並行して自動車専用の江の島大橋が架けられました。


(藤沢市文書館提供)
 写真の右上に見える江の島大橋を渡って大量のコンクリートが運ばれ、東浦は埋め立てられました。


(国土交通省所蔵航空写真)
 島の右(東)側半分を占める埋め立て地とヨットハーバーが、かつてサザエ、イセエビ(鎌倉海老)の豊富に獲れた東浦の磯を覆っています。


右が歩道の江の島弁天橋。左が自動車専用道の江の島大橋。 

 昭和38年(1963年)には、それまで続いていた渡橋料金の徴収が廃止され、昭和39年(1964年)の東京オリンピックを迎えることになります。

 江の島大橋をオリンピックの聖火が渡る(広報ふじさわ「市政情報」より)

 かつてラフカディオハーンが「海と美の女神の祀ってある神の島」と表現した江の島。そこに橋が架かることで島民の生活は少しずつ変わってゆきました。本土との行き来が容易になったことで生活の向上に繋がったことはたしかです。しかし、「自動車の通れる橋」ができ、東浦が埋め立てられ、島の景観が大きく変わったことで名勝史跡の国指定が解除され、名勝「江ノ島」は時代の影に姿を消したのです。

拙著『オリンポスの陰翳』は1964年の東京オリンピックで江ノ島が変貌してゆく時代を描いた小説です。ぜひ読んでいただきたいと思います。
オリンポスの陰翳

『オリンポスの陰翳』のご紹介

そして、まだ橋の架かっていない時代の江ノ島を訪れたラフカディオ・ハーンの物語
ラフカディオの旅

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、日本では、松江を訪れ『怪談』を書いていた作家として知られていますが、じつは来日直後に訪れた鎌倉、江の島で彼の後半生に大きな影響を与える出来事に遭遇していたことは、あまり知られていません。
ハーンはなぜ日本に来たのか?
なぜ日本に骨を埋めることになったのか?
その真相に迫る物語です。


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