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1.鎌倉のこと
今、鎌倉にあるお寺や神社の建物は鎌倉時代のものではありません。鎌倉時代の末期にそのほとんどは戦乱で焼失してしまったのです。でも時代の痕跡は山肌の崖地に、切り通しに、そして海辺の風景にたしかに残っています。そんな土地の記憶を訪ね歩いてみようと思います。
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中世鎌倉の港湾遺跡をドローンで空から撮影しました! ―『春を忘るな』の周辺(7)―
現存する日本最古の港湾遺跡をドローンで空撮 このブログでは、随所で「現在の鎌倉には鎌倉時代の建造物がほとんど無い」と申し上げてきました。山中の「切通し…
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『春を忘るな』の周辺(シリーズ一覧)
源実朝暗殺事件の真相を探る小説『春を忘るな』の舞台裏を訪ねる「周辺シリーズ」一覧1.北条義時と大倉薬師堂 ―『春を忘るな』の周辺(1) ―『吾…
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「源頼朝の墓」とは何なのか? ―『春を忘るな』の周辺(6)―
鎌倉の観光名所筆頭格の「源頼朝の墓」■「源頼朝の墓」とは言うけれど……「源頼朝の墓といえば、鎌倉の西御門の山裾にある、アレでしょ」と、一度でも…
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八幡宮大銀杏の木霊 ―『春を忘るな』の周辺(5)―
源実朝暗殺事件の真相を知る目撃証人 源実朝暗殺事件の真実。それは『吾妻鏡』を読んでも『愚管抄』を読んでも、本当のことは絶対にわかりません。歴史家が研究…
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え? 鎌倉時代って竪穴式住居だったの?! ―『春を忘るな』の周辺(4)―
中世鎌倉の町並みを想像してみる■水戸の黄門様よろしく源実朝がお忍びで鎌倉を視察していた?『金槐和歌集』をひも解いていると、ときどき首を傾げるこ…
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実朝の唐船と渡宋計画 ―『春を忘るな』の周辺(3)―
実朝の造った唐船とはどんな船だったのか? 源実朝といえば、鎌倉幕府第三代将軍ながら『金槐和歌集』で広く知られた歌人です。幕府を創立した父の頼朝と比べる…
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源実朝ってどんな顔? ―『春を忘るな』の周辺(2) ―
歴史人物の「顔つき」を推定してみる■まず、頼朝はそんな顏だったのか? この肖像画を見た、ある程度の年齢(?)の方々は「源頼朝だ!」と答えるでし…
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北条義時と大倉薬師堂 ―『春を忘るな』の周辺(1) ―
源実朝暗殺事件に関わる『吾妻鏡』の謎めいた記述を探る■『吾妻鏡』に記された北条義時と大倉薬師堂 鎌倉市二階堂の薬師堂ヶ谷の奥に覚園寺があります…
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小説『春を忘るな』の連載を終えて
連載のあとがき1.ご挨拶 連載小説『春を忘るな』をお読みいただいた皆さま、誠にありがとうございました。 源実朝の死にまつわるいくつかの疑問を、…
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鎌倉広町の森 お花見散歩
我が家のベランダから隣の公園を見たら桜が、ほぼ満開。「広町の森でも行ってみるか」となった。道すがらの公園。奥は大島桜。手前の赤いのは八重の梅に似たるも…