江嶋神社参道の今昔
江島神社の参道は、その雰囲気といいますか漂っている空気は、明治の頃とあまり変わっていないように思えます。なんて言うと、「あんた明治時代の江ノ島を知ってるのかい?」と思われるかもしれませんが、その頃のことについては、「ラフカディオ・ハーンの見た江ノ島」をご覧ください。
それでも、お店が変わったり、同じ土産物屋さんでも、時代とともに扱う品が少しづつ変わっています。今回は、今では見られなくなったノスタルジックな参道の面影を写真で追ってみたいと思います。
タイトルの写真(藤沢市文書館提供)
これは参道の入口となる青銅の鳥居ですが、現在の鳥居と変わっていないでしょう。(詳細は「ラフカディオ・ハーンの見た江ノ島(1)」をご覧ください) でも、建物や人のいで立ちが違うと、やはりレトロな雰囲気がありますね。
(藤沢市文書館提供)
社員旅行帰りの男性グループ? 昨夜の宴会の酒がまだぬけず、ふらふらと帰路につく。なんか寂しい~。(まったく根拠のない想像です)
(藤沢市文書館提供)
現在もある旅館「えびす屋」の看板が見えます。
(藤沢市文書館提供)
「二見館」も、今もありますね。漂う雰囲気は変わってないですね。
(藤沢市文書館提供)
神社のお祭り風景。
(藤沢市文書館提供)
お神輿が参道を上がってゆきます。
(森園知生のアルバムより)
今は無くなってしまった射的場です。
(森園知生のアルバムより)
だいたいアベックで来て、男が「俺の腕前を見せてやる」ていうパターンが多かったですね。
(森園知生のアルバムより)
ゆっくり回転する台の上に、キャラメルなどのお菓子が的になってました。それを撃ち落とすと貰えるんです。倒しただけでは駄目。大きい箱は当たっても倒れるだけ。私のようなツウは、小さめを狙って撃ち落とす!
(森園知生のアルバムより)
コルク弾は一皿8発(200円だか300円だったか? 忘れました)
(森園知生のアルバムより)
8発で4個的中! ドヤ! ツウはこんなもんでしょう。シロートは大物を狙って失敗(倒すだけ) 小さくて軽そうなのを狙う。これがコツ。
当てて台からはじき落とすと、柄の長いオタマみたいのを持ったオバチャンがひょいと掬ってポーンと投げてよこす。それを、さっと左手でキャッチ(右手は銃を持ってますからね)。キャッチし損なうと、ちょと恥ずかしい。あんた、まだまだだね。 ふん、と口の横で笑われる。
(森園知生のアルバムより)
スマートボール。ご存知ですか? パチンコみたいなものですけど、ビー玉くらいの大きさの白い玉を弾いて穴に落とす。ピンボールにちょっと似てますけど、あんなガチャガチャ煩くない。今は、あまり見かけなくなりました。
お土産屋さんも、店構えはあまり変わってませんが、扱う品が変わってきています。
(森園知生のアルバムより)
海ほうずき! 知ってますか? 私は海藻かと思ってましたが、じつは巻貝の卵嚢なんですって。こういうのも今はほとんど置いてないと思いますよ。この写真のは乾燥したもののようですが、私が知ってるのは塩水に浸かった生もの。小さなビニル袋に入ってて、弁天橋の上でお婆さんが売ってました。ホウズキと同じように針で穴をあけて、口に含んでブーブー鳴らすんです。私は口の中が塩水でしょっぱくなっただけで、うまく鳴らせたことはありません。いったい何が面白いの? と思っただけ。
貝殻を売る店は今でもありますが、貝で作った細工ものは少なくなりました。これは私が最近買った亀の貝細工(400円)ですが、小学校の遠足で江ノ島に来たとき(約半世紀前)買ったものとほとんど同じだったので懐かしくて買いました。当時は100円くらいだったと思います。お店の人は「もう作る職人さんがいなくなったし、買う人もいなくなったね」と言ってました。買うのは私くらいなもの?
こんな昭和レトロの時代に、江ノ島で生まれ育ったのが、この物語の主人公たちです。それまでは鄙びて静かだった小島へ、オリンピックという「世界」が舞い込んできたのでした。
オリンポスの陰翳
1964年の東京オリンピックを境に、江ノ島とその島に住む人たちが激動の渦に巻き込まれ、変貌してゆく物語です。
そして、その百年前にはあの小泉八雲ことラフカディオ・ハーンも江ノ島を訪れていました。
ラフカディオの旅
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、日本では、松江を訪れ『怪談』を書いていた作家として知られていますが、じつは来日直後に訪れた鎌倉、江の島で彼の後半生に大きな影響を与える出来事に遭遇していたことは、あまり知られていません。
ハーンはなぜ日本に来たのか?
なぜ日本に骨を埋めることになったのか?
その真相に迫る物語です。