代替テキスト『春を忘るな』

5.著作のこと

【連載小説】春を忘るな(9)

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■前回までのあらすじ
 疱瘡を患った実朝は、熱にうなされて自らの首を切られる悪夢を見、自身も兄や父のように殺されるのではないかという疑念を抱く。やがて疱瘡が癒え、鏡に映った自身の顏を見て失望するが、師の栄西から授かった『大唐西域記』に、未知の西域への憧れを育む。武芸も好んで励んだが、義時の前では武芸下手の和歌好きを演じ、兄の二の舞を避けようとする。だが、庚申(コウシン)の夜会で飲みすぎ、宿酔(二日酔い)になった実朝は翌日の八幡宮で行われる放生会に穴をあけそうになったところ義時がうまく取り繕ってくれ、義時の中に冷徹な執権と肉親という二つの顔を見る。そして和田謀反の報せが入る。

「殿、ここは危のうございます。まずは法華堂へ移られませ」
 ふたたび義時がやってきた。すでに直垂のうえに鎧をまとっている。甲冑の擦れ合う音が物々しい気配を漂わせる。
 実朝は正室の信子や近習の者たちとともに御所の裏手にある堂へ移った。そこは父、頼朝を弔う廟であって山裾にひっそりと建っている。

「一御家人の和田が将軍家に盾突くなど……」
 信子がひとり言のようにつぶやいた。薄暗く湿っぽい堂の中で扇子を握りしめている。京の公家育ちである信子にとってはたまらぬほど居心地悪いのだろう。
「まだ盾を突いたのかどうかもわからぬ」
 忌々しく思いながら実朝もつぶやく。お互い顔を合わせることなく宙に向かって言葉をぶつけていた。
「では、なぜこのような所に隠れねばならぬのでしょう」
 こんどは実朝に面を向けて口調が強くなる。
 実朝は何とも応えられなかった。こちらのほうが聞きたいことを相手のほうから突きつけられるのも腹立たしい。
「ほんに、何事も武に訴えるのが武門の習いなのでしょうの」
 ため息まじりにつぶやく。ひとり言のように扇子で口を覆いながらも、わざと聞こえるように言っているのがわかる。公家ならば対面して話し合いで物事を決めるのに、と言いたいのだろう。野蛮な田舎者という言葉こそ出ないものの、そんな匂いがした……。
 ――爺、なぜ話しに来ぬ。
 公家の信子から言われれば腹立たしくもあるが、じつの気持は同じだった。
 突如、堂の扉が叩かれる。
「申し上げます。今しがた御所に火が放たれました。和田の仕業にございます」
 堂の中で侍女たちがざわめく。
 ――なんと、そこまでするものか、あの爺が……。
 いったい何だというのか。本当に将軍家に盾突いて鎌倉を乗っ取るつもりでもいるのか。

 時をおいて、ふたたび扉を叩く者がいた。
「文をお持ちしました」
 さっきとは違う者の声だ。だが、その声には聞き憶えがあったので、実朝は扉を開けるよう近習に向かってうなずいた。
 扉が開くと、萎え烏帽子の足軽風の男がひとり戸口にひざまずいている。それはいつも朝盛との連絡役を担う男だった。
「兵衛尉(ヒョウエノジョウ)からか?」
 三郎朝盛のことを人前ではそう呼んでいた。
「げに」
 言って頭を下げ、男は書状をさし出した。

『取り急ぎ文をしたためたく候』
 たしかに朝盛の筆に違いなかった。おそらく慌ただしい場で急ぎ書いた文だったのだろう。書き出しは挨拶もなく始まっていた。

『この度の騒動はまことに痛恨の極みにございます。我が祖父であり和田家当主である左衛門尉には謀反の意図など毛頭ございませぬ。ことの発端は、先の泉親衡の件にて和田家のみがお咎めをいただいたことに依るものにございます。もともとは泉親衡なる者から宴の誘いを受けたものの、千寿丸君を擁して謀反を起こす企てなど和田家の誰も耳をかした者はございませぬ。しかるに和田家の胤長が配流になりながら、和田家より他の者はただちに放免。さらに、もとよりの首謀者、泉親衡は乱に乗じて逐電とのこと。これはどう見ても執権殿が和田家を陥れるために企てたことに他なりませぬ。左衛門尉は、そのことを将軍家に訴えんがため、また近ごろの執権殿の政(マツリゴト)における将軍家をさし置いたふるまいはあまりに目に余るもの。それを正すため、幾たびもお願いを申し上げ、文もしたためましたが、おそらく執権殿の差し金で直にお会いすることはかなわず、文も届かなかったものと察せられます。やむなく、将軍家からお咎めを頂戴するのは覚悟のうえで兵を挙げ、執権殿を成敗したのち、将軍家に直訴する所存でおりました。
 また、御所より火の手の上がるのが前浜からも見えましたが、将軍家におかれましてはご無事でございましょうか。火を見て矢も楯もたまらず、この文をしたためるに至りました。あの相州殿のことですから和田が火を放ったかのように申されているのは目に見えるようですが、ゆめゆめそのようなことはございませぬ。執権殿が自ら火を放ったのに相違ございませぬ。
 この三郎は、たとえ和田家を愚弄したとはいえ将軍家の叔父君にあたるお方に弓引くことはできませぬゆえ、急ぎ剃髪して出家し、京へ向かいましたが、左衛門尉の命により、駿河国で引き止められ、今は僧衣のまま軍勢に加えられております。今の有りさまでは和田は劣勢、おそらく一族は滅びるものと覚悟しております。ただひとつ三郎から将軍家に申し上げたかったことは、和田一族は将軍家に弓引くつもりなど毛頭なく、ただ鎌倉の政から北条一門を排することを志した、ということにございます……』

 暗い堂の中、実朝は蝋燭の火を頼りに文を読みながらむらむらと腹の中に怒りが沸くのを覚えた。と同時に、あの爺、そして三郎が実朝の思っていたのと違わぬ人間で、けして裏切られたのではなかったことに安堵した。
 兄、頼家の外戚となって力を持ち始めた比企一族を滅ぼしたのは実朝にとって祖父となる北条時政だった。この度は侍所別当として執権北条義時の前に立ち塞がったのが和田義盛。執権という御家人の長にあって、力をつけた御家人は排していかなければ、いずれ自らが危うくなる。
 ―御家人だけではない。父も、兄も、不可解な死を遂げた。
 実朝は望んで将軍になったわけではない。将軍などならずに宋へ、西域へ行く夢があった……。だが、なったからには自らの力で乗りきらねばならない。
 ――ここは下手に動いてはならない。
 むらむらと沸いた怒りを鎮め、静かに鞘へ納めたのだった。
 ――しかし、それにしても三郎からの文がよく届いたものだ。
 周到な義時の目をくぐって和田方の手による文がよくここまで届けられたものだ、と少し怪訝な気持も湧いた。

          *


  私は、八幡様の石段脇の高みから、乱の一部始終を見ておりました。
 結局、和田様ご一族の挙兵は北条方の相州様とそれに与した御家人の軍勢に鎮められてしまいました。義盛様はもっとも気に入っておられた四男の義直様が討ち取られると戦う気力を失って供に討たれてしまったのです。
 和田ご一族にとって不幸だったのは、義盛様の従兄であられる三浦義村様が同族としての盟約を破って北条側に寝返ってしまわれたことでした。そのことで義村様は御家人たちの間で「三浦の犬は友をも食らう」と揶揄されることになったのです。それでもこのときから相州様と義村様の繋がりは深く確かなものになられたのではないでしょうか。
 前浜には和田ご一族の屍が累々と重なっているのが八幡様からもよく見えました。そんな中で義盛様の三男、朝比奈義秀様は乱を脱し船で安房国へ逃れたという噂もございますが定かではございません。それでもその噂は御所様に一縷の希望を抱かせたやもしれませぬ。武士であれば一族とともに討ち死にするのが習い。でもその道を選ぶことなく、和田ご一族の血を何処かの地で繋げてゆく道を選ばれたのですから……。
 おそらく、そのようなことも支えとなって御所様が渡宋の夢を見続けることになったのではないかと私は思います。
 そして朝盛様の消息も定かではありません。少なくとも和田ご一族の屍の中に朝盛様らしきお人は見当たらなかったようなのです。

<つづく>

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