戦争犯罪という言葉への違和感
首都キーウ近郊のブチャなどで民間人の遺体が多数見つかったという報道がありました。今回のウクライナ紛争は情報戦の要素もあり、ウクライナ側(西側)の報道が全て真実かどうかはまだわかりません。世界に訴えるために「盛っている」ところもあるかもしれません。しかし、仮に実際は報道内容の半分だったとしても、その惨状は目を覆うばかりです。
戦争犯罪?
ニュースや各国政府関係者のコメントでも「戦争犯罪」という言葉が散見されるようになりました。たしかに報道を見ていると、ロシアの蛮行は許しがたく、その言葉どおりの感情も沸きます。しかし、少し冷静になってみると、私は、この「戦争犯罪」という言葉に違和感を覚えます。「戦争」の中に犯罪性のあるものと無いものがあるということでしょうか? 国際法では、戦争犯罪として占領地内の一般人民の殺害、虐待。人道に対する罪として、すべての一般人民に対して行われた殺害、等の規定があるようです。でも、これまでの歴史上の「戦争」において、民間人が殺害、虐待されるのは常のことで、そうでない例を見つけることの方が難しいでしょう。第二次世界大戦以降の戦争を見ても、東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、旧日本軍の中国での行為(いわゆる南京虐殺をはじめとする一連の行為)、ベトナム戦争、コソボ紛争、コンゴ紛争……と挙げだしたらきりがありません。
東京大空襲では10万人以上が亡くなりました。
沖縄戦で米軍は、日本兵、民間人の潜む壕に向かって火炎放射器を使用しました。
……言葉がありません。ただ、この子が民間人であることだけは明らかです。
これも説明不要……。
1972年6月8日 フィン・コン・ウト撮影
たとえばベトナム戦争にしても、ベトコンのゲリラは農民の姿で銃を撃ってくるので、米軍にしてみれば、農民はすべて怪しく見えてくる。(ベトコンが兵なのか民間人かという区別もできないでしょう)
ゲリラは農村に潜んで攻撃してくるので米軍は村全体を焼き払う作戦をとりました。ソンミ虐殺はそんな中で起きたひとつの出来事ですが、それはソンミだけではありません。(私は、そんなベトナム戦争の側面を『オリンポスの陰翳』という小説の中で描きました)
1968年3月16日ソンミ、ロナルド・L・ヘーバール撮影
1968年3月16日 ソンミ村の人口約700人のうち、子ども、老人、婦女子を含め村民500人以上が米軍によって虐殺されました。
今回のロシア軍も多数の兵がウクライナ軍の反攻で死に、驚いたことに将官も7人(2022年4月7日情報)死んでいます。(ウクライナとしては当然の正当防衛ですが) 彼らは街の建物から狙撃されたかもしれません。(下の狙撃手(スナイパー)の写真はイメージです)
となれば侵攻する村のどこに敵が潜んでいるかわからない、という恐怖心はベトナム戦争の米軍と同じ。ゲリラ狩→ソンミ虐殺と同じ構図がウクライナのブチャでも起きた(狙撃手の捜索→皆殺し)ということは想像できます。侵略軍にとって侵略する地に居る人間は軍人、民間人を問わず、すべて敵に見えてくるのが戦争というものです。決してロシアを弁護しているわけではなく、戦争とはそういうものだということです。ですので戦争に犯罪性の有無を問うことはまったく無意味だと、私は思います。
今回のロシアのウクライナ侵攻が「戦争犯罪」に該当するか否か、(平和維持のまったく機能しない)国連で非難決議云々が騒がれ始めましたが、犯罪性のある戦争か、そうでない戦争かを議論するより、今は戦争そのものを一刻も早く止めることに全力を尽くすべきです。戦争犯罪議論が出てからNATO(及びNATOの加盟国が独自で)がウクライナへの武器供与を拡大させている事態は、何より優先すべき停戦に逆行するものです。(本来、停戦交渉のテーブルにつくべき(と私が考える)NATOが、頭に血が上って仕返しに加わろうとしている)。もし「戦争犯罪」なるものがあって、それを問うなら、まず戦争を終わらせてから、冷静な判断力をもってそれを追及しても遅くはありません。そうでなければ、日々刻々と犠牲者は増えるばかりです。
戦争を語り伝える
戦争を語り伝えることに、どれだけの戦争抑止力があるかを問われると、最近は無力感を覚えるばかりです。それでも、現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻は、情報網の発達により、世界中の人が見ています。私が語るまでもなく、今、見ている世界中の人、ひとりひとりが後世に語り伝えるべきでしょう。
私に出来ることは(自己満足ではありますが)、世代が変わり、消えてしまいそうな、かつての戦争の記憶を、物語という世界で語り伝えることだけです。以下に挙げた小説は、物語世界のどこかに、かつての戦争の虚しさを描き込んだものです。少なくとも、読んでいただけた方にだけは「伝える」ができたことになるので、心から感謝申し上げます。
森園 知生
※この記事は、前回の「ウクライナ情勢に想うこと(2) – ゼレンスキー国会演説 –」からの続きです。