1.鎌倉のこと

ラフカディオ・ハーンの見た鎌倉(3)― 建長寺 ―

この記事は、ラフカディオ・ハーンの見た鎌倉(2)からの続きです。

注)記事中の英語原文(青字)は、ハーンの生の言葉を味わっていただくために掲載しますが、日本語訳(青字)も入れました。(訳:当ブログ著者)
なお、英語原文は、『Glimpses of Unfamiliar Japan』(プロジェクト・グーテンベルク)より引用しました。


ラフカディオ・ハーンの鎌倉・江の島めぐりの推定ルート(今回は建長寺)

外門から仏殿に至るまで

『Glimpses of Unfamiliar Japan(知られぬ日本の面影)』のChapter Four A Pilgrimage to Enoshima Sec. 6 は、次のように始まります。

Entering the grounds of the next temple, the Temple of Ken-cho-ji, through the ‘Gate of the Forest of Contemplative Words,’ and the ‘Gate of the Great Mountain of Wealth,’ one might almost fancy one’s self reentering, by some queer mistake, the grounds of En-gaku-ji. For the third gate before us, and the imposing temple beyond it, constructed upon the same models as those of the structures previously visited, were also the work of the same architect.

次の寺は建長寺だ。「瞑想の森の門(「天下禅林」の扁額のかかった外門)」をくぐり、「富の山の門(「巨福山」の扁額のかかった惣門)」をくぐって境内に入ると、まるでさきほどの円覚寺に再び入ってきたような錯覚を覚えるかもしれない。なぜなら、目の前にある 3 番目の門(山門)と、その向こうにある堂々とした堂(仏殿)は、さきほど訪れた(円覚寺の)建造物と同じ設計に基づいて建てられたもので、同じ建築家の作品だからだ


建長寺境内図(写真の番号を図示してあります)

たしかに円覚寺と建長寺の境内の景観はよく似ています。ハーンは、同じ建築家の設計だと述べていますが、私が調べた限りでは、それは確認できていません。円覚寺は無学祖元、建長寺は蘭渓道隆という、どちらも中国から招いた開山(創建の僧)であることから、伽藍の配置に当時の中国の禅宗様式が色濃く反映された結果ではないでしょうか。(調べ切れてはいないので、さらに調査します)


①外門


①外門にかかる扁額
「天下禅林」とは「人材を広く天下に求め育成する禅寺」という意味、だそうです。


②惣門
扁額の「巨福山」は建長寺の山号。(「こふくざん」と読む)
円覚寺の前を通る県道のこの付近を、現在は「小袋坂」と書きますが、古文書では「巨福呂坂」と書かれています。

また、扁額の「巨」の字には「、(点)」が入ってます。(なぜか? 「蘭渓道隆の法名は大覚禅師で、その頭文字を取って「巨」に点を付けた」とか「巨の字に点を加えて百貫の価を添え、この点を百貫点と呼ぶ」など、様々な説があるようですが、今ひとつはっきりしません。スミマセン)


③山門


③山門にかかる扁額
建長寺は、山号を「巨福山」、寺号を「建長興国禅寺」。ですので寺の正式名称は「巨福山建長興国禅寺」。扁額の文字は後深草天皇の宸筆(直筆※)と一般に云われてますが出典は不明です。裏面から「天文八(1539年)亥六月廿三日、雪下大工左衛門大夫信吉」という墨書が発見され、作成年代と鎌倉(雪ノ下)の大工の作であることが明らかとなっているそうです。(出典は不明)
 ※直筆の文字からかたどった(写し取った)ものと推測。


④仏殿
現在の建屋は、芝の増上寺から、徳川秀忠夫人崇源院(お江の方)の霊屋(たまや)建て替えのおり、譲渡されたものを正保四年(1647年)に移築したもの。

円覚寺も建長寺も、鎌倉時代、創建当時の堂塔は中国風(唐様)だったようです。その後、戦乱や大火でほとんどの堂塔は焼失しており、現在の建屋はいずれも近世になってから再建されたり移築されたものですが、関東大震災をのり越えて(倒壊しても組み直し再建)現在に至るものですので、現在、私たちが見ている(日本風の?)堂塔は、少なくともハーンの見たものと同じ建物と言えるでしょう。
(今回のシリーズ「ラフカディオ・ハーンの見た鎌倉」は、中世鎌倉の探訪ではなく、明治時代に、ラフカディオ・ハーンが見た鎌倉の風景を辿っています)

青銅の噴水

Passing this third gate—colossal, severe, superb—we come to a fountain of bronze before the temple doors, an immense and beautiful lotus-leaf of metal, forming a broad shallow basin kept full to the brim by a jet in its midst.

巨大で、厳格で、見事なこの 3 番目の門(山門)をくぐると、寺院(仏殿)の扉の前にある青銅の噴水にたどり着く。大きな美しい金属製の蓮の葉の形をした受け皿の、その真ん中から噴出した水が、受け皿の縁まで満たされている。

「そんなもの、あったかなあ」と思いながら、仏殿の近くまで来ると、たしかにありました!


⑤青銅の噴水

ただし、噴水は、もう出てなく、水は涸れてました。ハーンが見た時は噴水が出ていたようなので、「あれ?」と思ったのは、水を噴出させるにはポンプとモーターが必要ですが、ポンプ用に実用化されたモーターが、ハーン来日時(1890年)にあったとは考えにくい。「どうやって噴水にしたのだろう?」と思って調べると、ヘロンの噴水」というのがWikipediaに出ているのが見つかり納得しました。(脱線、失礼しました(;^_^A)

仏殿と地蔵菩薩

This temple also is paved with black and white square slabs, and we can enter it with our shoes. Outside it is plain and solemn as that of En-gaku-ji; but the interior offers a more extraordinary spectacle of faded splendour. In lieu of the black Shaka throned against a background of flamelets, is a colossal Jizo-Sama, with a nimbus of fire—a single gilded circle large as a wagon-wheel, breaking into fire-tongues at three points.

この寺(仏殿)も白と黒の四角い石板が敷き詰められ、靴のままはいることができる。外観は円覚寺と同じように質素で厳粛な雰囲気がある。しかし内部は、色あせてはいるものの驚くべき光景を見ることができ、火炎を背に負う黒い釈迦の代わりに、炎の輪の後光を持つ巨大な地蔵様がいる。

火炎を背に負う黒い釈迦」とは円覚寺の宝冠釈迦如来像のことを言っているのでしょう(前回「円覚寺」をごらんいただければお分かりの通り宝冠釈迦如来像の肌は黒いですね)


地蔵菩薩


ハーンの言う通り、床は「白と黒の四角い石板が敷き詰められ」ています。

ハーンは地蔵菩薩には特別の感心があるようです。『Glimpses of Unfamiliar Japan』の中でも、鎌倉・江の島へ来る前の横浜での見聞の中に「Chapter Three Jizo(第三章 地蔵)」という章を設けて詳しく書いています(コチラ)。また江ノ島の手前の鎌倉の山道で、道端の六地蔵に遭遇した時にも、特別の感慨をもって書いています(当ブログでも過去に「切通し(2)の2 ―極楽寺坂とラフカディオ・ハーン― 」でご紹介しています)

地蔵経の言い伝え

Akira tells me that in the book called Jizo-kyo-Kosui, this legend is related of the great statue of Jizo in this same ancient temple of Ken-cho-ji.

アキラは、この建長寺の大きな地蔵菩薩に関して、『地蔵経古趣意』という書物の中に、それについての伝説が書かれていることを教えてくれた。
(その内容は少々長いので別紙とします➡コチラ

ハーンと地蔵

ハーンはアメリカ時代に公共図書館へ通って、多くの書物を読んでいますが、仏教についても『東方聖典叢書(Sacred Books of the East)』等を読んで独学しています。しかし『東方聖典叢書』は「スッタニパータ」(注1)など上座部仏教(小乗仏教)の経典が中心で、大乗仏教経典に登場する地蔵菩薩については記されていません。ですので、ハーンは日本へ来て初めて地蔵菩薩というものを知ったはずです。これについては、小説『ラフカディオの旅』(注2)で、ハーンの人物像を解き明かす中でご紹介してゆきたいと思います。
 注1:セイロン(スリランカ)に伝えられた、いわゆる南伝仏教(小乗仏教)の経典。「スッタ」(Sutta)はパーリ語で「経」の意、「ニパータ」(Nipāta)は「集まり」の意、日本ではブッダのことば』として岩波文庫より出版されています。
 注2:ギリシャで生まれ、アイルランド、アメリカと旅してきたラフカディオ・ハーンが、なぜ日本を訪れ、骨を埋めることになったかを模索する森園知生の小説。現在執筆中ですので乞うご期待!

 ※後日追記:『ラフカディオの旅』を書き上げ、2月1日出版。絶賛発売中です!

 
 ラフカディオの旅』はコチラ

その他

以上、建長寺についてハーンが記した概要をご紹介しましたが、これ以外にも建長寺の見どころはたくさんあります。

私が見て回って興味深いと思ったところコチラでご紹介しています。ぜひ見てみてください。(こっちの方が面白いかも(;^_^A)

さて、次回(4)は、閻魔様のお寺円応寺です。

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