ラフカディオ・ハーン、江ノ島に上陸
ラフカディオ・ハーンは日本へ来て間もないころ(1890年(明治23年))、鎌倉、江ノ島を訪れており、その様子を『日本瞥見記』の第四章「江の島行脚」に記しています。(鎌倉の長谷寺をあとにして江ノ島へ向かうあたりは当ブログ「切通し(2)の2 ―極楽寺坂とラフカディオ・ハーン―」でご紹介しています)
それでは『日本瞥見記』の「江の島行脚」をガイドブックにして、江ノ島の当時と今を見ていきたいと思います。(青文字は『日本瞥見記』(訳:平井呈一)からの引用です)
行くほどに、道はしたいに爪下がりになり、大渓谷の絶壁のような断崖のあいだを下って、ぐるりと大きく迂回している。そこを曲ると、たちまち峡間から海へと出る。ひときれの雲もなく、晴れた大空のように青い海。――夢のようにのどかな、あさぎ色の海だ。
やがて、道はきゅうに右折して、灰色の広々とした砂浜を見下ろす崖鼻に沿うて迂曲していく。海風がここちよい潮の香を送ってきて、思わず肺臓のすみずみまで、いっぱいにそれを吸い込ませてくれる。
暗い切通しを抜けると、青い海が広がっていた。遠くに浮かぶ島は……。
2023年10月6日追記(絵は推定イメージにより、AI(Bing Image Creator)で作成した架空の風景です)
(所蔵:新関コレクション)
使用済み絵葉書写真のため上の文字は無視してください。学生さんに試験の結果を尋ねているのでしょうか?(笑)
おそらく、極楽寺坂切通しから稲村ヶ崎、七里ヶ浜辺りに出た記述と想像します(まさに当ブログのタイトル「鎌倉と江ノ島のはざまで」そのもの!)。まだ江ノ電も走っておらず、馬車や人力車の通る道だったようです。七里ヶ浜に沿ってしばらく行くと江ノ島の手前に小動岬が見えてきます(絵葉書では松の木が立っている)。ここは太宰治が心中事件を起こした場所ですが、昭和の戦後ですから、まだハーンは知る由もありません。
ちなみに、1903年(明治36年)、つまりハーンが訪れてから13年ほど経ったころ、江ノ電がこの辺りまで通るようになりました。
(所蔵:新関コレクション)
ちなみに、これが現在の七里ヶ浜と江ノ電です。
さあ、「江の島行脚」にもどりましょう。
はるか前方には、美しく盛り上がった一団の緑が――樹木におおわれた島が、陸から四分の一マイルほど離れた海上に浮かんでいるのが見える。あれが江の島だ。海と美の女神の祀ってある神の島、江の島だ。ここから見ると、早くも、その急傾した斜面、灰色に散らばっている小さな町すじが見える。あすこなら、今日のうちに歩いて渡っていける。ちょうど潮は引いているし、長いひろびろとした干潟が、いま、われわれの近づきつつあるこちらの岸の村から、土手のように長ながと伸びつづいているから。
江の島の、ちょうと対岸にあたる、片瀬という小さな部落で、われわれは人力車を乗り捨てて、そこから徒歩で出かける。(中略)
(所蔵:新関コレクション)
ハーンが片瀬に到着し、江ノ島を望んだのはこんな風景ではないかと思います。ちなみに、下の写真が現在の様子です。
弁天橋(歩道)と江の島大橋(車道)が並行して架かっています。
橋が架けられた経緯については、当ブログ「江ノ島に架ける橋」をご覧ください。
(藤沢文書館所蔵浮世絵)
浮世絵では、このように描かれています。干潟を歩いて渡っている人が描かれていますが、潮が満ちるとこの道も消えていたはずです。
島に近づくにつれて、小さな島の町すじの建物の細部が、ぼーっと霞んだ潮煙りのなかから、したいにおもしろく、はっきりとしてくる。――風変わりな反りをうった青い屋根、風通しのいい二階の張り出し、高く尖った奇妙な切妻などが、妙な文字を書いた、妙な形をした幟のへんぽんと翻っている上に見える。
これは現在の新しい建物ですが、こんな様式の建物があったのかもしれません。(かつての恵比寿屋旅館に似ている?(私見))
干潟を渡りきると、そこに、この海市――竜神の都であるこの島の、いつでも開いている門、美しい鳥居が、つい目の前に立っている。唐銅づくりの鳥居で、それに同じく、唐銅づくりのしめ綱が高だかと張ってあり、「江島弁天宮」と記した扁額かかかっている。
(所蔵:新関コレクション)
この青銅の鳥居と江島神社参道の趣は、今も昔も大きくは変わっていないように思えます。
鳥居の扁額(現在)
鳥居の太い柱の根もとには、逆巻く波に海亀のもがいている、珍しい浮彫が彫ってある。二の鳥居は、陸路よりすると、弁天宮のちょうと真正面にあたり、それか町の正門になっている。もっとも、片瀬からつづいている鳥居を入れると、これは三の鳥居になる。(中略)
鳥居の根もと(現在)
たしかに渦巻く波と亀が浮き彫りになっています。鳥居の両脚とも同じ模様でした。
見よ、今、われわれは、すでにもう江の島にいる。目の前に、一本の坂町が、胸つくばかりに高くのぼっている。町は、幅のひろい、石段の町だ。潮風にはたはたはためく、色とりとりの職や旗、白い奇妙な文字を染め抜いた紺のれん、そんなもので往来か蔭のようになっている町だ。町の両側には、飲食店だの小さな店屋だのが軒をつらねている。わたくしは、その店屋の一軒ごとに、つい足をとめて覗きこまずにはいられなかった。日本の国では、見るものが何でも買いたくなる。ここでも、わたくしは、むやみやたらに買い込んだ。
(所蔵:新関コレクション)
恵比寿屋旅館(写真左)の建物が前出の新しい建物と似ています。ハーンの言う「風変わりな反りをうった青い屋根、風通しのいい二階の張り出し」は、これでしょうか?
現在の参道。左に恵比寿屋旅館の看板が見えます。
じっさい、この江の島というところは、まさに青貝の都だ。どこの店屋にも、文字を染め抜いたのれんのかげには、法外な安い値段で売っている、ふしぎな貝細工がある。
※青貝:螺鈿(らでん)の材料に用いる貝。ヤコウガイ・オウムガイ・アワビなど。また、それらの貝殻を用いた細工。
ござを敷いた壇の上に、平らに並べてあるガラス張りの箱や、壁に寄せてある棚のついた陳列箱は、ことごとく螺鈿のようなもので、乳白色に光り輝いている、とほうもなく珍奇な、信じられないほど細工の精巧な品ばかりだ。真珠貝の魚や鳥などを糸につないだもの、それかみんな虹色にきらきら光っている。同じく、真珠貝でつくった小猫があるかとおもうと、小狐がある、小犬がある、女の子のさす櫛がある、たばこのパイプがある、使うにはもったいないような美しいきせるかある。一銭銅貨ぐらいの大きさの、これも貝でできた小さな亀の子があって、それにちょいとさわると、頭も、手も、足も、尾も、みないちどきに動き出す。手と足を、出したりひっこめたりするそのさまは、まるで本物の亀の子そっくりで、思わずあっと目をみはるほどだ。そうかとおもうと、やはり、これも貝でこしらえた、ツル、小鳥、カブト虫、蝶、カニ、エビなどがある。どれもこれも、みな、手にさわってみなければ、生きていない物とは思えないほど、じょうずにできている。おなじく貝細工で、花にとまっている蜂などもある。針金にとまっているそのようすなど、鳥の羽根の先か何かでちょいとうごかしたら、ブーンと唸りそうた。日本の娘たちが好きそうな、いうばかりなく美しい貝細工の装身具、さまざまの形に彫った箸、襟どめ、首かざりなどもある。それから、江の島の風景写真もいろいろある。
現在の土産物屋の店先
帆船の帆がホタテ貝(帆立貝)というシャレ?
現在の中村屋羊羹店(江ノ島の老舗和菓子店)の喫茶室に展示されている貝細工絵(鶴、亀がモチーフになっている)。細工技術もそうですが、羽ばたく鶴のデザインが秀逸!
現在の土産物店で見かけた貝細工の孔雀
ハーンの言う「信じられないほど細工の精巧な品」に該当するものでしょう。
そして、今回の取材中に、私が土産物店で買った貝細工の亀!
ハーンは「江の島というところは、まさに青貝の都だ。どこの店屋にも、文字を染め抜いたのれんのかげには、法外な安い値段で売っている、ふしぎな貝細工がある」と書いていますが、今、江ノ島の土産物店で貝細工を目にすることは少なくなりました。ある店主さんは「最近は、買う人も少なくなって、作る人もいなくなった」と言ってます。でも、私が小学校の遠足で来たとき(ウン十年前?)は、安い貝細工がたくさん売られていました。小学生の小遣いで買えるていどですから100円そこそこで買ったのが「親亀の背中に子亀を乗せて……」の亀。そして、今回ようやく見つけたのが、この亀の細工。私の記憶の中にあるものとそっくりです! 値段はなんと税込み430円! 当時の100円相当ではないでしょうか。嬉しくなって即買ってしまいました。ハーンの言う「一銭銅貨ぐらいの大きさの、これも貝でできた小さな亀の子があって、それにちょいとさわると、頭も、手も、足も、尾も、みないちどきに動き出す」と、ほぼ同じものだと思います。(この亀も、張り子の虎のように首を振ります)
ハーンが、この江ノ島に来て、見るものすべてが珍しく、美しく、何でも買いたくなってしまった気持ちはよく解ります。私が遠足で訪れたとき感じたことと、ほとんど同じだからです。
さてハーンの心ときめく江ノ島巡りは、まだまだ続きます。乞うご期待!
「ラフカディオ・ハーンの見た江ノ島(2)」につづく