■この記事は前回からの続きです。
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■前回のあらすじ
かつて大学で考古学を学んだ憲二は、懐かしさから鎌倉の中世遺構発掘現場を訪れた。そこで久しぶりに出会ったかつての恩師、吉田教授に誘われ、小町の裏通りにあるスナック[段葛]へ来た。鎌倉の歴史に詳しい女将(ママ)を交えながら歴史談義、鎌倉の世界遺産遺産登録失敗談で旧交を温める。そして吉田から、「今どうしているのか」と尋ねられ、憲二は言葉につまった。
* * *
「君は、今、どうしているんだね?」
おそらく吉田はごく軽い気持で聞いたのだろう。しばらくぶりに会った教え子が今どんな暮らしをしているのか。それを知ろうとするのは、師たるもの当然かもしれない。
はい、と曖昧に言ってまずはお湯割のウィスキーをひと口飲む。少し苦く、熱い液体が喉をとおり胃袋に落ちて行く。話さないわけにもいかない。
「卒業してすぐ実家の旅館を手伝うことになりました」
大学四年の春だった。研究者への道を進むか、中学や高校の教師をしながら考古学を続けるか、進路を決めようとしているころだった。伊豆修善寺の実家から、兄が亡くなったという報せが入った。十歳離れていた兄は、すでに実家の旅館で副社長という立場にあった。憲二と違って奔放な性格の兄は、実家の旅館で下働きから経験を積み上げるようなことを嫌ってハワイのリゾートホテルを買収し、現地法人の社長をしていた。だが経営が思わしくなかったのか、ホテルの社長室に併設した居室で服毒自殺してしまった。死因は精神障害による自殺とされたが、親族、とくに父親は納得していなかった。というのも兄には多額の保険金が掛けられていて、内縁の妻で共同経営者とされていた米国人女性が保険金を受け取ったまま姿を晦ましたからだ。
「なるほど、そうだったのか。そういえばご家族に不幸があったとかで、しばらく研究室にも顔を出さない時期があったね」
吉田は、そのころを思い出すかのように遠い目をした。
「で、葬儀のあとの親族会議で言われたんです」
修善寺の旅館は父が社長で、母の弟である叔父が専務をしていたが、その二人から「長男が亡くなったからには二男のおまえに家を継いでもらわなくてはならない」と、こんこんと説得されたのだ。
吉田は「人生の大きな岐路だったわけだ」とつぶやいたあと、「それはつらい選択だったろうね」とため息交じりにぽつりと言った。
「ええ、ぼくは考古学が好きでしたから。できれば……」
言葉につまる。
卒業したあとは実家の旅館で布団上げの下働きから始めた。
「部屋の掃除から浴場清掃。ボイラーの点検整備。何でもやりましたよ」
一日の仕事が終わって自分の部屋にもどると、そこには学生時代に親しんだ考古学の本や資料がところ狭しと積まれていた。それに囲まれていると気持が落ち着いた。インターネットで各地の発掘調査資料や出土物の画像を眺めていると楽しく、時間の経つのも忘れて次から次へと検索してゆく。ふと気がつくと深夜になっていることもあった。
「父が亡くなりまして、今はぼくが社長という立場なんですが、やってることといえば旅館組合の会合に出たり、祭の役員やらされたりしてますよ」
口先で笑ったものの、胸のうちは重かった。
「社長か。たいしたものじゃないか。うちの研究室で社長になったなんてのは君くらいなものだろう」
笑い飛ばすように言ったが、内心は考古学の世界からの落ちこぼれ者と思っているのだろう。
――社長といっても名ばかりだ。
憲二の脳裏に専務である叔父の顔が浮かんだ。高校を出てすぐ、姉が女将(オカミ)をしている旅館で下働きからたたき上げた仕事人間。経理や財務にも強く義兄である憲二の父にも頼りにされていた。その専務から、社長は外回りの仕事をやってくれ、と言われ、旅館組合や旅行会社とのつき合いばかりしている。経理や従業員の人事、銀行とのつき合いなど重要な仕事はすべて専務が仕切っている。従業員も旅館内のすべてについて大番頭である専務に逐一指示を仰ぐ。社長はお飾りとしか見ていない。
「お客が減れば社長の営業が足りない、と言われて旅行会社詣でさせられてますよ。なんとかお客を回してください、て頭下げに行くんです」と、また口で笑った。
「どんな仕事だって大変なものさ。組織の長たる社長ならなおさらだ」
吉田もため息まじりの笑顔を浮かべる。
「そういえば、君、結婚は?」
思いついたように憲二の顔を見る。
「ええ、しました。五年ほどまえ」
「そうか。それは良かった。で、お子さんは?」
「いません。まだ」
「そうか、まだ五年だったかな? だったら、まだまだこれからさ」
サネアツはしきりにうなずいている。が、本当のところは言葉に窮しているようだ。
――子供はできないだろう。自分か、向こうか、どちらに原因があるにせよ……。
気分が澱む。それを払いのけるように、グラスを呷った。
ふとサネアツが自分の顔を見つめているのに気づいて、ため息まじりで笑みを返す。
「後継ぎ、ということを考えると、困ったものですが……」
つくり笑いを浮かべるのも疲れてきた。きっとひきつった笑顔になっていただろう。
「後継ぎなんてどうにでもなるわよ。いざとなれば養子もらえばいいじゃない」
それまで黙っていた女将(ママ)が口を開いた。重くなった雰囲気を吹き飛ばすような軽やかで明るい声だった。
「そうさ、女将の言うとおりだ。さすがだてに長生きしてないね。血だけじゃないんだ。家(イエ)を繋げてきたんだよ、日本人は」
「そうですね。いざとなればそういう手もありますね」
口でそう言いながら胸の中で思った。
――子供ができないのは叔父にとって好都合だろう。
叔父には長男がいる。大学で観光学を学んでいるらしい。旅行会社に就職したいようなことを言っていたが、憲二に後継ぎができなければ、いや、憲二自身が病や不慮の事故で、ということにでもなれば……。ここのところ、胸の中にずっとある思いは、
――自分もいつか兄と同じような死にかたをするのでは……。
そんな漠然とした不安が渦巻いていたが、そんなことは誰にも話せない。
「いっそ早いところ養子を見つけて旅館を継いでもらって、ぼくは悠々自適。そうしたら、また考古学だって……」
戯言のつもりだった。が、ふと、よい考えかもしれない、と心が軽くなる。
「あっ、いやすみません、そんないいかげんな気持で考古学をやろうなんて……」
人生を考古学ひとすじにささげてきた研究者を前にして、また冷や汗が出そうになった。
「そうか、やはり考古学が好きなんだね、君も」
吉田がサネアツの顔になってじっと憲二を見る。
憲二は無言でうなずいた。
「しかし君は、決して優秀な学生ではなかったがね」
言いながら当時を思い出すように苦笑する。
憲二もつられて笑った。
「だいたい君は私の専門である中世にはあまり興味を示さなかったよね」
言って憲二の顔をじろりと見る。
憲二は、そんなことはない、という顔をしながらも否定はしなかった。
「たしか江上波夫先生の騎馬民族征服王朝説に興味を持っていたよね」
――図星、だ。
そんなことをよく憶えていてくれたと驚く。そして……、ふと思い出す。
「何で古墳がやりたいの?」
たしか新田杏子にもそう聞かれた。
考古学専攻は他の学科と違って一年生のときから研究室に出入りするようになる。入学してすぐ研究室の歓迎会が居酒屋であったとき、憲二の前に座ったのが新田杏子だった。ショートヘアでジーパンにトレーナーというじつにラフな格好をしていた。キャンパスを行き交う女子学生がみな艶やかな化粧をし、垢ぬけた服に身を包んでいるのに比べると地味な女の子だった。だが、乾杯のあと、みんなが唐揚げを盛った大皿に群がるのをよそに、箸を指にはさんで合掌する姿が目に入った。瞬間、ふっと惹かれた。
宴たけなわになり、歌や踊りの余興が飛び出る中で新田杏子が話しかけてきた。
「宮下君は、何で古墳がやりたいの?」
新入生自己紹介のときに話したことが彼女の気を惹いたようだ。
「天皇陵を発掘してみたいんだよね」
なれない酒のせいで気が大きくなっていた。
「盗掘になっちゃうよ、そんなことしたら」
天皇陵など宮内庁が管理する陵墓は原則発掘調査が認められていない。そこを掘ればたしかに盗掘として処罰されるだろう。しかし 天皇陵とされている墳墓が、現在の天皇につながる支配者の墓と明らかになったわけではない。発掘してみれば中央アジアの騎馬民族の墓から出るような黄金で装飾された馬具が出てくるかもしれない。そうなれば当時の日本列島の支配者たちは大陸から渡ってきた騎馬民族……。ほとんど江上波夫の騎馬民族征服王朝説の受け売りだったが、憲二は日本人、そして自分自身のルーツというものに強い関心があった。源平合戦も戦国時代も騎馬戦だったではないか。馬はいつ、どこから日本列島にやってきたのだ? 自らの体の中にも騎馬民族の血が入っているのではないか?
「中央アジアの草原を馬に乗って駆け回ってるんだ!」
そんなイメージが潜在意識の中にあって、それは自らの遺伝子に騎馬民族のDNAが刷り込まれているからではないか!
新田杏子を相手にとうとうと演説をぶったことは記憶の片隅にあるものの、どう話したのか、彼女が何と言ったのか、よく憶えていない。
「たしか初めての歓迎コンパで酔いつぶれてみんなに迷惑かけたような……」
「ああ、そんな学生がいた。そうか君だったか、あれは」
丸ぶちメガネの奥でサネアツの目が細くなる。憲二の胸の中が温かくなる。
「今思い出したよ。君の卒論ね、たしか『金鈴塚古墳の騎馬民族との関係について』、だったかな?」
実際のタイトルは『金鈴塚古墳における騎馬民族の痕跡』だ。だが吉田が憲二の卒論テーマをそこまで憶えていてくれたことに驚いた。
「あれはいかん。そもそもぼくの専門外だ。だから、あのとき本当は田口君にあの論文指導を任せようかと思ったんだ」
田口助教授は古墳時代を専門にしていた。しかし憲二はあえて中世考古学が専門である吉田の指導を受けていた。
「だけど田口君に頼むのはやめたよ。まず史料比定がなってなかった。独断と偏見に満ちている。ぼくの指導を受けた学生があんな論文を書いたなんて彼に知られるのも恥ずかしかったからね」
目が魚の目のように丸くなる。憲二はその視線を避けて下を向いた。
「そこへいくと新田君はやっぱり優秀だったね」
――やはり新田杏子か……。
「ほら、君と同級生だった新田君だよ、女子学生の。知ってるだろ?」
――知らないわけがない。
あのころの彼女……、その顔が浮かぶ。
「そうだ、その新田君なんだがね。今、この鎌倉の教育委員会にいるんだ」
――それも知っている。
今日、もしかしたら会えるかもしれない。憲二はそう思ってやってきたのだ。
「新田君には世界遺産の登録推進委員会でもずいぶん手伝ってもらったよ。いやあ彼女はほんとうに頼りになる」
新田杏子は修士課程を終えると、吉田教授の推薦もあって鎌倉市教育委員会文化財部に学芸員として就職した。中世考古学の道を極めようとしていた彼女にとっては最適な仕事だった。
――それに比べ、自分はいったい……。
自身の情けなさを憂いでいる間にもサネアツの新田杏子評は続いていた。
「幕府跡を特定する調査はまだこれからだが、彼女はきっと力になってくれるだろう。しかし私のほうが、どうもね……」
どうもね、という言葉が弱々しく消え入るように聞こえたのが気になった。
「先生、世界遺産登録再挑戦のためにも頑張ってくださいよ」
頑張って欲しいことに嘘はなかったが、うまい言葉が見つからない。
「うん、そうだな……」
うつろな目でどこか遠くを見ている。そして、ひとりつぶやくように……、
「出でていなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」だったかな、と、憲二にも憶えのある歌を詠み、女将を見る。
「あの梅の木は将軍の館、つまり大倉幕府に植わっていたはずだ。いったいどこだったんだろうね」
頼朝の二男で幕府三代将軍源実朝が暗殺される直前、あたかも自身の死を予見していたかのように庭の梅に別れを告げた歌だ。実朝の歌集といえば『金塊和歌集』が有名だが、この歌については『吾妻鏡』に記されている。じつは実朝が詠んだものではなく、吾妻鏡編者の創作だという説もある。
『吾妻鏡』は鎌倉時代を研究するための重要な史料ではあるが、源氏三代を排して執権政治を打ち立てた北条氏を正当化する視点で書かれている、というのが現在の歴史学の一般的評価だ。
「あれは御所様のお詠みになった歌に間違いありませんよ。『吾妻鏡』はあの騒動のあと何十年もたってから北条の息のかかった役人が、あることないこと書いたのでいろいろ言われてるけど。あたしは、あのとき御所様がその歌をお詠みになったのを知ってますもの」
それまでおとなしくしていた女将が話に割って入ってきた。
「ほう、さすが八百比丘尼だね」
吉田が待ってましたとばかり嬉しそうに女将を見上げる。そして健二に向かって「御所様というのは実朝のことだ。我々と違って女将は実朝様なんて言わない。当時の人間は目上や同輩を諱(イミナ)で呼ぶことはしなかったからね」
そう言ってから、そっと憲二の耳に口を寄せてきて「それらしく装っているんだよ」と声をひそめる。当時の人間を演じているのだ、と言いたいらしい。
「ところで、あの梅の木はどこにあったんだろうね。女将なら知ってるだろ?」と、また女将を見る。
「ええ、もちろん知ってますわよ。でも教えない。だってそれを見つけるのが先生の夢。ライフワークなんでしょ。夢はご自分の手でつかむものよ」
「そうか、夢は自分の手でつかめ、か。一本とられたね、女将には」
苦笑しながら、それでも女将の言葉をかみしめるように言うと、吉田は憲二に目配せした。たとえ『吾妻鏡』を隅から隅まで読みこんだ研究者顔負けの郷土史家であってもそこまではわからないだろう、と言いたいらしい。
「いとほしや 見るに涙も とどまらず」
こんどは女将が口ずさむ。と、
「親もなき子の 母を尋ねる」と吉田が下の句を受け、「こっちは『金塊和歌集』だったね」とつぶやいた。
道のほとりに幼き童(ワラワ)の母をたづねていたく泣くを、そのあたりの人にたづねしかば、父母なむ身まかりにしと答え侍りしを聞きて詠める。と詞書(コトバガキ)にあるという。
「しかしどうも腑に落ちないんだ」
首をかしげる。
「なにがです?」
「なにって、実朝は幕府の将軍だよ」
「それが?」
「頼朝の時代だったら鎧をまとって馬で駆け回っていただろうが、実朝の時代になると将軍は館の奥にいて、そんな庶民のたむろする町中に出てくることなど滅多になかったはずだ……」
なのに実朝の歌には庶民生活を垣間見たり、海辺にひとりたたずんで詠んだかのようなものが散見される、という。
「たとえ館の外に出ても厳重な警護に囲まれていただろうに、風流人よろしくあんな歌を、どうして詠めたのだろう」
「詠んだのよ。御所様が……」
「またまた、見てきたみたいに」と吉田がにやりと笑みを浮かべながら疑いの目を向ける。
「だって見ていたんですもの」と拗ねたような顔。
「だったら聞こうじゃないか」
吉田がしてやったり顔を返す。
「実朝暗殺の実行犯は公暁(クギョウ)だが黒幕がいたといわれているじゃないか。いったい誰だったのかな? 『吾妻鏡』じゃあ、暗に三浦義村を匂わせているが、北条義時だって何かあるような思わせぶりな書き方だ」
聞こう、と言っておきながら、吉田は自分の出した問いに自分で応え、考え込むような顔をした。
『吾妻鏡』では、兄、頼家の子、つまり実朝にとっては甥である公暁に暗殺されたことになっている。右大臣に任官が決まり、その拝賀式が鶴岡八幡宮で行われた際、拝殿から降りる石段の脇に隠れていた公暁に切りつけられた。公暁は実朝の首を切って持ち去り、三浦義村邸へ向かう途中、義村の手勢に討たれたとされている。現在の満年齢で実朝は二十七歳。公暁は十九歳だった。
「女将、たしかそうだよね」
文献史学は自分の専門ではないから、と吉田は女将に確認を求めた。その顛末の中で、今日でも疑惑の的になっているのは、拝賀式へ向かう途中、実朝について太刀持ちをしていた北条義時(北条政子の弟で実朝の叔父にあたる)が急に体調不良を訴えて帰宅していることが『吾妻鏡』にも記されている。また、じつは公暁の養父であった三浦義村が公暁をそそのかして実朝を殺害させ、将軍の座に就かせて自身もその後見におさまろうとしていたのではないか、という見方もある。
「『吾妻鏡』がどうだか、あたしは詳しくは存じませんけど、あのころの御所様や公暁様のことは今でもよく憶えていますよ」
女将は、あたかもそれを思い出すかのような目をして静かに語り始めた。
私は大殿様が鎌倉に御所を構える前から、あの若宮の地に生を授かっておりました。
遠い目をして何かを見つめる。そして、語り口に古(イニシエ)の香りが漂う。
大殿様は私の根をよけて八幡様の本殿をお建てになって、源氏の、いや、武門すべての御祭神とされたのですけれど、あのようなことになってしまわれ……。
ふと、目に悲しみが漂う。
その後、三代目を御所様がお継ぎになられ、大変なご苦労をされているようでした。だって、御所様というお方は、お父上の大殿様や兄上の中将様と違って、とってもお優しい方だったのですから……。
女将の目は、どこか遠く、悠久の彼方を見ているかのようだった……。