5.著作のこと

【連載小説】春を忘るな(16)

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■前回までのあらすじ
 大学で考古学を学んだ憲二は、恩師、吉田教授と小町裏通りのスナック[段葛]で歴史談義する中、[段葛]の女将(ママ)は鎌倉時代を、まるで見てきたかのように語りだす。
 実朝は疱瘡を患い、熱にうなされて自らの首を切られる悪夢を見、自身も兄や父のように殺されるのではないかという疑念を抱く。やがて疱瘡が癒え、鏡に映った自身の顏を見て失望するが、人前では公家のように化粧をし、宋への憧れを抱き続けた。和田義盛が乱を起こすが、幼なじみの和田朝盛からの手紙で、和田に謀反の心はなく、義時への抵抗だったことを知るも和田は滅んだ。陳和卿(チンナケイ)という宋国出身の僧が、実朝に面会を求めてやってくる。実朝は喜んで和卿を受け入れる。唐船があれば宋に行けるという話になり、実朝は和卿に唐船の建造を命じ、周囲の反対を押し切って渡宋を決意する。唐船の建造は着々と進み、実朝は和卿から唐船の構造やさまざまな知識を教えられる。だが、唐船は船降し(進水)に失敗し、海に浮かぶことはなかった。実朝は義時を疑いながらも再度挑むことを胸に誓う。やがて公暁が京での修行を終え、鶴岡八幡宮寺の別当となるべく鎌倉へ帰ってくる。実朝は成長した甥の中に兄頼家の豪放な面影を見るのだった。

   * * *

 蝉が鳴いている。北の対舎(タイノヤ)の裏山から騒々しい鳴き声が幾重にも重なって聞こえてくる。実朝は吹き出す汗を手巾(タノゴイ)でぬぐった。白粉の化粧はしていない。

 
「いいかげんになさいませ。本当に官打ちに会いまするぞ」
 このところ、実朝が後鳥羽上皇に願い出れば次々と官位昇進が叶っていた。先日も権大納言に任ぜられるよう京へ使いを送ったことで義時が小言を言いに来たのだ。人前では将軍補佐役の忠臣を演じているものの、二人だけの場になると叔父という立場を色濃く出してくる。
 いいかげんにせい~、いいかげんにせい~。
 裏山の蝉までが義時に同調して囃し立てているように聞こえる。
「つい先年も陸奥守(ムツノカミ)がお諫め申し上げたはず」
 京の公家の間には「官打ち」という言葉があって、分不相応に昇進すると不幸な目に会う、と自らも公家の出である大江広元に言われたのは実朝も憶えている。
 ――相州め、どうせ本心では官打ちに会えばいいと思っているのだろう。
「そもそも官位というものは、それなりの勲功があってこそ……」
 義時の言葉に騒がしい蝉の声が重なる。
「大殿ですら、ご自身から昇進を望まれたことはありませぬぞ」
 父の頼朝は偉大でありながら謙虚であったという話はもう聞き飽きていた。
 ――いったい、偉くなることのどこが悪いというのだ。
「吾は源氏の名を上げんとしているだけぞ」
 鬱陶しいと思いながら応える。
「そもそも征夷大将軍は武門の最高位ですぞ。それで十分ではござりませぬか」
 ――今よりも吾が偉くなっては困る、ということか?
「帝から官位をいただく、ということは帝の臣下であることを世に知らしめること。はたして、これからの鎌倉殿にとってそれがまことに良きことか……」
 ――なるほど、それが本音か。
「大殿の目指した鎌倉は、帝と間を置いて、武士が武士の手で東国を治めること。それがようやく実りかけているというのに……」
 義時の小言は延々と続く。挙句の果てには、実朝にとっても叔父にあたる義経の話まで引き合いに出す。頼朝が実の弟でありながら成敗に至ったのは、一部に朝廷から官位を受けたことに嫉妬したという見方があるものの、実のところは、
「直(ジカ)に帝の臣下となることが東国武士への裏切りと見たからにほかなりませぬ」
 ――なるほど。吾も義経叔父と同じだと言いたいのだな。武士への裏切。裏切者は成敗される、と。
「だが征夷大将軍とて帝から授かるものぞ」
 どんなに武士が力を得たとしても帝を蔑ろにできるものではない。父、頼朝もそう考えていたはず。
「それはあくまで形の上でのこと……」
 その先は口ごもる。形はそうであっても、実に政を決めるのは鎌倉であって帝はそれを認める。そういう世にしたいのだろうが、義時にもそれを表だっては口にできないようだ。
 実朝も齢十二で将軍となったころは執権の言うなりにならざるを得なかったが、すでに二十六となった今、少しは物を言うようになっていた。
「源氏は自分の代で終わるやもしれぬ。であれば少しでも源氏の名を上げておきたいのだ」
 子ができない。いや、できないのではなかった。じつのところ、このような思いを自身の子にさせたくはない、という強い想いがあった。
 本当はやりたいことがあった。寿福寺で栄西禅師から宋の話を聞いたころの思い出がよみがえる。『大唐西域記』を夢中になって読んだ。まだ見ぬ宋という国に思いをはせ、西域を旅する夢をなんど見たことか。それが兄を殺され、将軍にさせられたことで吹き飛んでしまった。御所の奥に閉じ込められ、容易に外へも出られない。自身の子、分身に同じ思いをさせるようなことだけは絶対に避ける。すべてを握られていようと。これだけは執権の思うままにはさせまい。
 袖の中で拳を握りしめる。
 ――少しでも偉くなってやるのだ。いつまでもおまえの指図を受けてたまるか。
 実朝が見つめると、義時は小さなため息をついて腕を組んだ。
「源氏の名を上げる、と申されるか」と言って少し考えるようなしぐさをしたかと思うと「名を上げるより、絶やさぬことのほうが肝要と思いまするが」と実朝から視線を外し、簾を透かして外を見た。
 ――それは本心でなかろう。本当は源氏を絶やして北条の世を作ろうとしているのではないか?
 実朝は遠くを見るような目の義時を横から睨みつけた。
「ひとつ申しあげよう」
 そう言って実朝のほうへ向き直る。
「坂東武者の習いでは、家臣の信を失った棟梁は、いかに家柄が優れていようと見限られ、降ろされ、命すら奪われる、ということをよく肝に銘じておかれよ。官位など何の足しにもなりませぬぞ」
 それまでになく厳しく鋭い目で実朝を睨む。
 ――なんと、それは脅しか? 義経叔父、そして兄、頼家と同じ道を歩むことになるぞ、という。
 それまで動いていた扇子の手が止まる。冷たい刃を肌に押し当てられたような気がした。
「脅しととられても構いませぬ。偽りのないところにござるゆえな」
 実朝の胸のうちを見透かしたように言う。
「坂東武者、とな……」
 はたして自分にその気構えがあっただろうか、と思いながらつぶやいた。
「中将殿は吾と違って武に長けた、まさに坂東の武者であったがのう」
 兄、頼家は齢十二で初の巻き狩りに出、見事に鹿を射止めて父、頼朝をはじめ家臣たちから賞賛され、将来の棟梁であることを認められたと聞いている。
「たしかに武芸には秀でておられましたが……」
 やや苦虫をかみつぶしたような顔になる。そして、申しにくいことながら、と口ごもりつつ、
「家臣の妾を……」
 忠臣であった足立景盛に三河国の強盗退治を命じ、その留守の隙に景盛の妾を寝取った、という。そんな行いが家臣の信を失ったのだと言いたいらしい。
 その噂は実朝も聞いていたが、朝盛によれば、それは北条家が撒いた作り話だという。いずれを信じればよいか、今となっては闇の中だが、これまで北条家のとってきた経緯(イキサツ)から察すれば朝盛の方を信じたくなる。
 胸の中で心の臓が高鳴る。
「兄上は脳病で亡くなったのだったな」
 脅しに抗って実朝も刃を突き返した。
「いかにも」
 言葉の刃に刃が返ってくる。
「棟梁の責とはじつに重いもの。ましてや総ての坂東武者の上に立つ棟梁となれば並大抵ではござらぬ。病になったとしても理無(ムリナ)かろうかと……」
 扇子で扇ぎながら薄い笑みをうかべたかに見えた。
 ――誰に向かって言うておる。この吾とて同じぞ。
 その話が真なら、少しは気を使え、と言いたいのをぐっと抑える。
「脳病で死に至るとはのう……」
 実朝も扇子を広げ、とぼけた顔で異を唱えた。
「家臣の信を失えば、たとえ脳病でも命取りになるのです」
 実朝の目を見すえてくる。そして、
「心されよ」
 呻くように言いながら、目に見えぬ刃をさらに強く押しつけてくる。が、おもむろに扇子を閉じ、姿勢を正す、とわずかに頭を垂れ、こんどは諭すように言った。
「母君の子は、もう殿しかございませぬ。ゆめゆめ悲しませることのないように……」
 尼御前ではなく母君と言ったのが実朝の胸をぐさりと刺した。義時にとっては姉。その姉を悲しませるな、と……。
「申し上げることはそれまでにござる」
 それだけ言うとすっくと立ちあがり、義時は対舎を出ていった。
 ――今のは何だ? 脅しか? 諫めか? それとも温情のつもりか?
 対舎にひとり残された実朝は義時の真意を計りかねて自問した。が、やがてひとつに帰結してゆく。
 ――やはり脅しに違いない。
 恫喝して怯えさせておいたうえ、優しい言葉で手なずける。だが、吾はそんな手には乗らぬ。
 そう自身を奮い立たせる。それでも、今日の義時は、いつもの言葉つきは丁寧ながらじつは見下しているような物言いとはどこか違っていたような気もした。
 簾を透かして遠くを見る。鳴き続けていたはずの蝉の声がまた耳にもどってきた。

          *

 建保五年十月十一日、公暁は八幡宮裏山の堂で千日の参篭に入った。それから数ヶ月経ったころ、権大納言となった実朝は公暁の籠る堂を訪ねた。他の堂塔からは離れ、木立に囲まれた庵のように小さな堂だった。すでに蝉の声は静まり、草間から虫の声が漏れ聞こえている。

 
 馬でやってきた実朝は侍従を外に残し、ひとりで堂に入った。香を焚く匂いが漂う。奥に安置された不動明王像が眉を吊り上げかっと見開いた目で睨みつけてくる。いったいおまえは、この神聖な行場に何をしにきたのだ、と言われたような気がした。今日は白粉の化粧はしていない。なぜか公暁と素顔で向き合いたいと思った。

 
「だいぶ髪(クシ)がのびたな」
 僧衣の男を見たとたん別人かと思った。以前御所に訪ねてきたときは剃り跡が青々としていたのに今は頭が熊のようだ。とはいえ実朝自身も化粧をしていない。この痘痕面を見てどんな反応をするか、公暁の目を見る。と、やはり怪訝な目をした。が、すぐに、
「鎌倉殿……にございますか?」
 一瞬誰だかわからなかったようだが、烏帽子、身なりでおおよそしぼられる。ふだん実朝が疱瘡の痘痕を化粧で覆い隠しているのは知っていたのだろう。実朝がうなずくと、
「このようにむさ苦しいところへよくおいで下さりました。ご覧のとおり、身の回りのことは差し置いて勤行に専念しております」
 いったい何をしに来た、という目をしたな、と実朝は思う。
「京の話でも聞かせてもらおうかと思うてな」
 口実だ。が、まんざら嘘でもない。この鎌倉で近ごろの京のようすを知る者は貴重(メボシ)い。
「さようにござりましたか」
 ほっとしたような顔をしたかに見えるが、まだ気をぬいてはいないだろう。
「拙僧がしかと行に励んでいるか検めに参られたのかと思いました」
 言ってあっけらかんと笑う。と、不動明王像が牙を剝きだして怒りの形相を際立たせたかに見えた。行に励み煩悩を断ち切るよう導くのがこの不動明王の務めだが、この公暁には手を焼いているかもしれない。
「はて、身の回りはどうしておる? 食(ウケ)は?」
 髪はのびているものの、僧衣に乱れはなく、肌の色つやも悪くはない。
「近ごろは駒若という者が来てくれております」
「駒若?」
 その名には聞き憶えがあった。
「私の養父、三浦駿河守の四男にございます」
 ――ああ、あの犬の倅か。
 和田の乱以来、義盛を裏切って義時に与した三浦義村という男にはよい印象を持っていなかった。
「なにやら先日、御所で歌会があった日に粗相があって、出仕を止められたとか。で、今は毎日のように来ております」
 苦笑する。が、どこか嬉しそうだ。
「おう、何やらそのようなことがあったらしいの」
 八幡宮境内において若侍同士の諍いがあったという話は聞いていたが実朝は気にもとめていなかった。
「私も三浦の家で育ちましたゆえ、駒若とは兄弟のような仲でして、あ奴が来てくれるのは助かります」
 公暁は二代将軍、頼家の遺児とはいえ、すでに心情は三浦家の一族のようなものなのかもしれない。
「歳は?」
「私のほうが上で、あ奴は弟のようなものにございます。私が京へ出立するときなど、あ奴が泣きよりましてな。京へついてくると言って難儀しました」
 そのときを懐かしむように笑みを浮かべ遠い目をした。
「仲のよい兄弟がいて羨ましいの」
 正直な感慨だった。自身を顧みて、ふと寂しい思いがよぎる。兄の頼家とは歳も離れ、将軍家に近寄るのを競い合う別の家の乳母(メノト)に育てられたゆえ兄弟として気の通った話を交わした記憶がなかった。
「はい」
 そう言った公暁の頬がうっすら赤らんだように見えた。
「そなたも吾も幼くして父を亡くしたからな」
 そんな言葉がぽろりと出る。ふと、なぜか気心を通じ合えるところもあるやもしれぬ、と感じた。
「実(ゲ)に」
 こんどはやや顔を強ばらせる。
「吾を恨んでおるのではないか?」
 顔は見ず、胸のあたりに目をやり、努めてさらりと言った。それは心にずっと引っ掛っていたことだ。
 頼家を殺めさせた張本人は北条時政。義時の父である。とはいえ、それがために実朝が将軍に就いた。見ようによっては兄を倒して将軍の位を奪ったことになる。つまり公暁にとって、自分は仇ということにもなる。が、将軍にそう問われて、恨んでいる、と応える者はいないだろう。それでも聞いてみたかった。
「恨む? 殿を、にございますか?」
 さも意外そうな顔をした。が、心を見透かされぬよう装っているのかもしれない。
「父、いえ先の将軍は伊豆にて病死と聞かされております。が、もちろんそれが真(マコト)とは思うておりませぬ」
 真顔で実朝を見据えてくる。心をわずかに開いたかに見えた。
「京というところは、まあ帝や公家の周辺(アタリ)からではございますが、様々な情報(シラセ)が舞い込んでくるところにございます。鎌倉のことも、この鎌倉にいるより子細にわたってわかることもあるのです」
 公暁は実朝も知らなかった京の話を始めた。

<つづく> 

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