源実朝暗殺事件に関わる『吾妻鏡』の謎めいた記述を探る
■『吾妻鏡』に記された北条義時と大倉薬師堂
鎌倉市二階堂の薬師堂ヶ谷の奥に覚園寺があります。鎌倉の中でも閑静で谷戸の雰囲気が色濃く残る素敵な場所です。この覚園寺、現在は真言宗の一寺院ですが、2022年大河ドラマの主人公、北条義時の開いた大倉薬師堂が基になっており、歴史的にとても興味深いお寺です。
覚園寺山門
■『吾妻鏡』に見える実朝暗殺のあらまし
『吾妻鏡』には、鎌倉幕府第三代将軍、源実朝が暗殺された時のことについて、北条義時と大倉薬師堂にまつわる、じつに謎めいた(怪しい?)記述があります。
源実朝は、建保七年(1219年)一月二十七日、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀式の最中に甥の公暁に殺されたとされています。そのとき北条義時は太刀持ち役で実朝に随行していたのですが、八幡宮の楼門の前まで来た時、急に気分が悪くなって、太刀持ち役を源仲章※(実朝の教育係)に託し、そのまま自邸へ帰ってしまったのです。その後、本殿での拝賀式を終えた実朝が石段を下りる途中、銀杏の影に隠れていた公暁に切り殺され、同時に義時に代わって太刀持ち役を担っていた源仲章も殺されてしまいました。
※「鎌倉殿の13人」では生田斗真が演じ「寒いんだよ~!」と叫んで息絶えた人(放送後追記)
公暁は、実朝の御首を持ち去り、後見の備中阿闍梨宅で飯を食ったあと、養父の三浦義村邸に向かう途中で誅殺されたとされています。(ここまでの『吾妻鏡』及び『愚管抄』の原文はコチラ)。
まるでケネディー大統領暗殺のときのオズワルドに、公暁を重ねてしまうのは私だけでしょうか?
ケネディー大統領が撃たれた瞬間。
ケネディ大統領暗殺犯とされたオズワルドが、マフィアと関係の深いジャック・ルビーに射殺された瞬間。
■『吾妻鏡』に記された、事件前年の記述
じつは、『吾妻鏡』には、この事件の前年、建保六年七月九日の条に、大倉薬師堂は北条義時が夢のお告げを受けて建立したものであるが、そのお告げとは、薬師如来につき従う十二神将のうち戌神将(犬神)が現れ「今年の将軍の八幡宮参拝は無事であったが、来年の拝賀の日には供奉しないように」というものだった、という記述があるのです。(原文はコチラ)
十二神将の中の一神、戌神将(犬神)
そして、事件から11日後の建保七年二月八日の条に、拝賀の式当日、義時は八幡宮の鳥居の前に白い犬がいるのを見つけ、急にそのお告げ(建保六年七月九日)のことを思いだしたのか、心神が乱れ、太刀持ち役を仲章に預けた。そのとき大倉薬師堂では、どういうわけか十二神将のうち戌神将だけが堂内にいなかった、と記しています(原文はコチラ)
つまり、事件当日に戌神将が堂を抜け出して、八幡宮楼門の前にいる義時に「危ないぞ」と警告しに来てくれたのだ、と言わんばかりです。現代人の感覚からすれば、じつに怪しいですよね。
『吾妻鏡』は鎌倉幕府の公式記録(史書)の体裁で綴られていますが、実朝暗殺事件から、およそ80年後に、幕府の役人が編纂したもので、北条氏政権を正当化する視点で書かれた文献であることは、歴史学上の共通認識です。つまり上の記述は北条義時が実朝暗殺に関わっているのではないか、という疑念への言い訳に見えます。
『吾妻鏡』の戌神将の記述が事実なのか、それとも、何らかの意図があって作られた話なのか、さまざまな推測、学説がありますが、この覚園寺(かつての大倉薬師堂)は、実朝暗殺事件の謎に関わる歴史的舞台でもあるのです。
「戌神将様、本当のところはどうなんですか?」
直撃インタヴューしましたが、答えはノーコメントのようです。
■実朝暗殺の様々な黒幕説
ところで、源実朝暗殺事件については、さまざまな黒幕説があり、義時もその疑いをかけられている一人です。たとえば本郷和人氏(注1)によれば、頼朝が幕府を創設した当初、東国(鎌倉)は東国武士による東国のための幕府であった。それが三代目の実朝将軍の時代になると、実朝自身、将軍は天皇の臣下であると考えるようになり、朝廷に近づき過ぎたため、御家人(東国武士)たちにとって不都合な存在になっていた。そのため、義時を筆頭とする幕府御家人たちは、実朝を将軍から下ろしたい思惑があり、暗殺の動機があったとして北条義時黒幕説をとっています。『吾妻鏡』の問題の記述は、自邸へ帰ってしまった義時への疑いをもみ消すため、「戌神将のお告げを信じたための行動だった」とする創作だとしています。(本郷和人著『承久の乱』より)。
注1:本郷和人。東京大学史料編纂所教授。NHK大河ドラマ『平清盛』の時代考証を担当。
一方、『愚管抄』(注2)では、太刀持ちの役を務めていた義時は、楼門の前でそのまま留め置かれていた、(「鎌倉殿の13人」ではこれ(放送後追記))と記しており、坂井孝一氏(注3)は、「おそらく『吾妻鏡』の編者は、北条得宗家の義時が楼門の前で留め置かれていた程度の存在とは書けなかったのではないか(そのため「犬神」、「気分が悪くなった」話を創作した)。もともと義時をはじめとする鎌倉幕府は、朝廷と良好な関係を保ちたいと考えていて、実朝将軍と政の方向性は合っていた。したがって義時に実朝殺害の動機は無く、公暁の単独犯行だった、と黒幕の存在を否定しています。(坂井孝一著『源氏将軍断絶』より)
両氏とも『吾妻鏡』の記述は創作という認識は同じながら、源実朝、北条義時、そして実朝暗殺事件への評価は、まったく違ったものとなっています。
注2:『愚管抄』。天台宗僧侶、慈円の著作。承久2年(1220年)頃成立。
注3:坂井孝一。創価大学文学部教授。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当。
実朝暗殺の謎については、上記の他に三浦義村黒幕説、後鳥羽上皇黒幕説、とさまざまありますが、私は小説『春を忘るな』で、まったく別の見方をしています。ご関心のある方はぜひ下のリンク先をご覧になってください。