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現存する日本最古の港湾
鎌倉の神社仏閣などの建造物は、そのほとんどが室町時代以降に再建されたものです。ところが、現存する日本最古の港湾遺跡、和賀江島は、「やぐら」や「切通し」とともに鎌倉時代の人々の営みを直接感じることのできる貴重な遺跡です。鎌倉は地形の中に歴史の記憶を留めていると言えるでしょう。その姿を、まずは当ブログで制作したオリジナル動画でご覧ください。鳥になった気分で空から眺めることで、海岸から見たものとは違った景色をお楽しみいただけると思います。
コチラ ➡ 現存する日本最古の港湾遺跡「和賀江島」をドローンで空撮
(ぜひ、音を出して、全画面[ ]でご覧ください!)
「和賀江島」の詳細については『春を忘るな』の周辺(7)をご覧ください
一見ただの浅瀬に見えますが、『吾妻鏡』の貞永元年(1232年)七月十二日の条(原文は上リンク先記事に掲載)に記されているとおり、北条泰時(義時の子)の時代に造られた港湾です。
鎌倉時代の和賀江島に唐船が停泊している想像図(『鎌倉地図草紙』より)
貴重な遺跡であると同時に、初夏の干潮の時には潮干狩りもでき、子供たちも集まってきます。『ひぐらしの啼く時』では主人公たちが幼いころ潮干狩りをした場所であり、成長して恋を育んだ場所でもあります。その様子を『ひぐらしの啼く時』より引用します。
和賀江島に行ってみたい、とのり子が言った。
材木座海岸の逗子寄りにあるそれは、潮が引いたときにだけその姿を現わす、島というより干潟のような浅瀬だ。
(中略)
大潮の日、干潮の時間を見定めて材木座海岸へ行った。弓のように湾曲した浜からその方角を見ると逗子マリーナの白い建物が見える。その手前の海面に玉石の浅瀬が姿を現している。かつては桟橋の形に積み上げられていたであろう玉石も潮と波に洗われて崩れ、今では海岸寄りのたんなる浅瀬にしか見えない。
「でも、目を閉じると見えるの。そのころの風景が」
のり子には、帆を降ろした大きな宋船が見えるという。
玉石を積んだ桟橋に横付けされ、辺りには人々が蠢いている。蟻の行列のように、船から荷を担いだ人足が次々と降りてくる。中には大きな壺を担いでいる者もいる。桟橋から浜へ運ぶ途中、それを落として割ってしまう者もいたのであろう。その者はどうなったのか? 棟梁に叱咤され、日銭はもらえなかったかもしれない。いやそれだけで済んだであろうか。壺に入っていたのは酒か? あるいは茶だろうか? 割れた壺は粉々になって玉石の隙間に入ってしまったであろう。
「今でもちゃんと探せば青磁の欠片(カケラ)が見つかるのよ」
数百年の間、波に洗われ、砂に磨かれて釉薬の輝きはなくなってしまったものの、くすんだ水色とも灰色ともつかない微妙な色合いが青磁であることを偲ばせるという。
大潮の日、のり子と祐輔が見た景色は、時を超えて古の二人が見た景色でもあったのです。
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次回は『ひぐらしの啼く時』の舞台(9)― 北鎌倉と浄智寺 ―