5.著作のこと

【連載小説】かつて、そこには竜がいた(2)

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■前回のあらすじ
 宮崎で幼少のころからサーフィンに明け暮れていた智志(サトシ)は、プロサーファーになったとたん、自身の人生はこのままで良いのかと悩みだす。テレビで災害救助に勤しむ自衛隊員の姿を見て自衛隊に入ろうと思い立ち、かつて海軍予科練に入隊した祖父に相談するが、何故か色よい返事がなかった。
 大波サーフィンのメッカ、鎌倉稲村ヶ崎を訪ね、波待ちをしているとき、地元(ローカル)の裕二と知り合い、海底に何か蠢くものを見たような気がした。裕二によれば、戦後、進駐軍の兵隊たちが稲村でサーフィンしていて海底から竹槍で突かれたという都市伝説があるという。

  ***

「へえ、稲村にそんな伝説があったんだ」
 智志は少しおどけて見せたが、笑う気にはならなかった。
「まあ、あのおっさん達のことだから、どこまで信じていいかわからんけどな」
 どうやら、若いサーファー達はレジェンド達にずいぶんからかわれているらしい。
「そうか、そげんな話があんだ」
 今度は宮崎弁でつぶやきながら、智志は海の中に目を落とした。そして、さっき見た怪しげな影と脳裏にあるイメージが重なってゆく。海底を這う影。ひとつではない。ゆっくりと……。いくつもの影が連なって……。

 ふと海岸のほうを見ると砂浜が途切れた辺りから切り立った崖が海に突き出している。それが稲村ヶ崎だということは智志も知っている。その岸壁にはぽっかりと穴が開いていた。上に小さな穴が二つ、目のように開いていて、下の波打ち際には大きな穴が口のように開いている。まるで岬そのものが怪物の顏で沖に向かって吠えているかのようだ。
「あの穴は?」
 智志は岬の岸壁を指さして聞いた。
「ああ、あれ? 洞窟さ。下のはけっこう大きくて深い。立って入れる」
「入ったことある?」
「入口から2、3メートルだけ入ったことはあるけど……、あんまし気持いいとこじゃないし」
「入れるかな」
 ひとり言のようにつぶやく。
「俺らが子供のころは探検隊ごっこで入ってたのもいたけど、今は立ち入り禁止の看板が立ってる。崩れるんでやばいって」
「そうか、入れんのか……」
「ホームレスとかが住んでたこともあったけどな」
「行ってみるかな」
 智志は遠い岸壁の暗い穴を見つめながらつぶやいた。稲村へ来たのは波乗りのためだけではなかったのだから……。

「おい、やっぱやめとこうぜ」
 背中で裕二の声がした。湿った岩の匂いがする。2メートルほど入ったところは、まだ外から陽の光が届いていて内壁を照らしていた。と、岩肌がズルッと動いた。まるで岩肌に沿って黒い帯をさっと引いたかのようだ。とたんに、ひゃっ! という裕二の小さな悲鳴が聞こえて洞窟内に反響した。
「フナ虫だよ」
 宮崎の磯にもフナ虫はいる。ゴキブリのような昆虫だが数百、数千匹という群れで帯状に列をなし、動くときはその群れがひとつの生き物であるかのように揃って一斉に動くのが不思議でもあり気味の悪いところだ。
「俺、フナ虫は苦手なんだよ」
 まるで幼児(オサナゴ)のような情けない声。だが、じつのところ智志も同じだった。子供のころ、磯遊びをしていて、足の甲をフナ虫の大群が列をなして這っていったときのことを思い出し、背筋がぞくっとした。

「やっぱ崩れるかもしれんし、危ねえよ」
 裕二の言ったとおり、洞窟の入口には、立ち入り禁止の看板が立っていた。たしかに運が悪ければ確率的にはそういう危険(リスク)もあるだろう。
「んじゃ、わりはもどれ。俺はもうちっと中を見てくる」
 懐中電灯で奥を照らしてみる。
「富士山の麓に風穴とか氷穴ってあるの知ってるだろ。この洞窟、あそこまで繋がってる、て噂もあるんだぜ」
 心細そうな声が背中でし、しぶしぶとついてくる。
「そりゃあ、よくある都市伝説だな。これは自然の洞穴じゃないよ」
 壁の岩肌を照らす。凹凸はあるものの、似たような形の削り跡が続いていて人間の道具で掘られたのは素人目にもわかった。洞の形もトンネルのように整っている。
 ――この洞窟に違いない。
 智志には確かめたいことがあった。

「ヨカレン、て何やと?」
 幼いころ、祖父の吉次郎は予科練出身の特攻隊員だったと父から聞かされたときのことだ。
「昔、日本がアメリカと戦争しちょったころ、海軍の飛行機の操縦士を育っちょる学校があったんだ。爺ちゃんは戦闘機のパイロットになりたかったんだと」

 その話を聞いてからは、若き日の祖父が戦闘機に乗って大空を飛び回る姿を頭に描いていた。太平洋戦争中、ゼロ戦がグラマンと空中戦を演じる映画やドキュメント映像を見たときは、祖父が操縦する姿を思い浮かべた。アニメ映画『紅の豚』を見た時も主人公ポルコに祖父の顏を重ねた。そして特攻のこともテレビで知った。悲壮な唸り声に似た急降下爆音をとどろかせながら一機の飛行機が戦艦めがけて突っ込んでゆく。激突した瞬間大爆発。あのパイロットは何を思いながら突撃していったのか。ぶち当たったときはさぞ痛かっただろう。その瞬間何を思ったのか。いや、思う間もなかったはずだ。いったい何のために……。
 中学のとき、授業で教師が太平洋戦争中の予科練や特攻の話をしたことがあった。終戦間際になると予科練生の多くは特攻隊員となって戦死したということだった。
「おいの爺ちゃんは特攻隊じゃったんだ」
 同級生に、そう話したときだった。
「特攻隊じゃったら生きちょるわけないやろ。わりの父ちゃんも生まれてんし、わりも生まれん。そげんな話、嘘に決まっちょる」
 そう言われて何も言い返せなかった。
 ――たしかに……爺ちゃんは生きちょる。
 わけもわからず、ただ悔し涙がこぼれた。
「どんげやって爺ちゃんは死なずにすんだの」
 率直な疑問を父にぶつけてみた。
「爺ちゃんは戦争のこつは、あんまり話さんのだ。だからよくはわからん。じゃけんど……」
 父は、おそらく、と他人(ヒト)に聞いた話を交えながら話し出した。
「特攻隊員になっても出撃命令が出る前に戦争が終わって生き残った人もけっこうおったじゃろ」
 それに、と物憂げな顔になる。
「終戦の間際になると日本の飛行機もだいぶ傷んでまともに飛べる飛行機は少なくなっちょった。だから、まともな飛行機は戦闘部隊で使い、オンボロになった飛行機は、敵の艦(フネ)までの片道だけ飛べればいいから特攻隊に回されたらしい。そげんこつだから敵艦にたどり着く前に故障してしもちょって不時着したつ飛行機もどっさいあったらしい」
 そして、命が惜しくてわざと不時着したのではないか、という汚名を着せられた隊員もいたという。本当に飛行機の故障だったのか、じつは怖気づいて不時着を装ったのではないか、そんな非難への弁明は弁解としか受け止められず、一生冷たい目にさらされながら生きた人、自身が特攻隊員だったという事実すら隠しながら生きた人、やはり事実、不時着を装った、という罪悪感に苛まされた人、さまざまな人がいたに違いない。では祖父はどうだったのか。だが、なにしろ祖父自身が詳しい話をしないのだから、本当のことはよくわからない、と父は言った。

 懐中電灯で足元を照らしながら歩いていると、何か自然物でないゴミのようなものが照らし出された。裕二が背中から覗き込む。ビニールかゴム風船の屑か……。
「なんだ、コンドームじゃん。へっへっへ」と言って笑い、「アベックがこんなとこで。まあ、誰も入ってこないしな、こんなとこ」と呆れたように言った。
 ずいぶん歩いたな、と思ったとき、奥の闇に向けていた懐中電灯が突如岩肌を照らし出す。岩の壁が立ち塞がっていた。
「行き止まり?」
 なんだここまでか、と、気が抜けた。
「ま、気が済んだろ。さあもどろうぜ」
 裕二のほっとしたような声がした。
「もどりたいんならもどれよ」
 智志はもう少しこの暗闇に包まれてみようと思った。
「懐中電灯」
 裕二が心細そうにぼそっと言う。懐中電灯は智志が持ってきたひとつだけだ。
「無くたって出れるやろ」
 投げやりに言って腰をおろす。闇の中で、入ってきた辺りが一円硬貨ほどの大きさで白く光っている。出口を見失うことはない。周囲は闇だが注意しながら歩けば明りがなくてももどれるはずだ。
「んな冷たいこというなよ」
 懇願するような口ぶりで裕二も腰をおろした。
 懐中電灯を消してみる、と。
「おい、消すなよ」
 今にも泣きそうな上ずって震える声がする。
 智志は懐中電灯を顎の下につけ、スイッチを入れた。と、うわっ、と小さく呻くような声がし、
「おい、冗談はよせよ。そういうの俺、弱いんだからさ」
 智志も裕二が小心なのに気づいて少しからかってみたくなっただけだ。子供のころ、こんな戯れをしたような懐かしさがこみ上げてくる。
「なあ、この辺りのプロサーファーって、何して食ってるの?」
 ふと聞いてみたくなった。にわか探検が、今日会ったばかりの人間との距離を縮めたのかもしれない。
「うーん、まあだいたいはショップ関係だな。シェイパーになったのもいるし、おっさん連中は自分でショップやってるのが多いよ」
 どこも同じだな、と智志は思う。安堵と失望が入り混じる。そして、
「で、おまえは?」と懐中電灯を向けた。
「あ、俺?」と眩しそうに手で灯りを遮りながら話し始めた。
 裕二の父親は海岸に面した国道沿いで磯料理の店をやっていたという。
「まあ、磯料理といやあ聞こえはいいけど、ようは煮魚とか焼き魚の定食屋さ。ドライバー客目当ての食堂みたいなもんよ。で、兄貴は洋食屋の丁稚、つうかコック見習いに出たんだけど、イタリア料理に興味があって向こうへ修行に行ったんだ」
「修行、てイタリア?」
「ああ、イタリア料理といってもいろいろあるらしくて、兄貴は地中海料理、つうの? まあ親父が魚料理だからな。ていうか、やっぱり海辺に育ったからだろうな」
「へえ、すごいな」
「で、帰ってきてから、親父の店をイタリアンレストランに改装して、まあ今じゃあけっこう繁盛してるよ」
「イタリアンて、今、けっこう人気あんもんな」
 最近は宮崎でも小洒落た店を見かけるようになった。
「俺は兄貴の下働きさ。ま、ほとんど皿洗いだけどな。でも土日は忙しいけど平日はそんなでもないんで、けっこう波乗りやる時間はある」
「なんだよ、いいご身分じゃないか」
「兄貴には、おまえはスペインに行ってスペイン料理を勉強してこい、て言われてるんだけど、俺、魚捌くのもうまくないし、どっちかっつうと漁師のほうが性に合ってるかも」
 密漁も得意だし、と言って笑った声が暗闇に響いた。
「スペインより、ハワイならいいんだけどな」
 少ししんみりとした声になる。
「おう、ハワイか、いいじなあ。ノースショアに店出して、波乗り三昧か……」
 ワイメア、サンセットビーチ、パイプライン……。雑誌でしか見たことのない海辺の景色が暗闇の中に浮かぶ。おそらくその情景はたった今この瞬間、裕二と共有しただろう。

「じゃけんど、きっと商売のほうは放ったらかしじゃろうな」
 そう捨て鉢になってつぶやくと胸の中を冷たい風が吹き抜けていった。
「だろうな」
 力ない声がし、ため息が聞こえた。
 ノースショアは冬に大波が立つ。その時期には世界中からサーファーが集まるが、波乗りに夢中で商売どころではなくなるだろう。波のない夏ならば商売に勤しむ気にもなるだろうが、客はほとんどいなくなる。結局、都合の良い夢物語は成り立たない。

「海はいいんだけどな」
 また、ため息が聞こえる。
「陸(オカ)じゃあ肩身が狭(シェベ)い、か?」
 自身の想いを顧みるようにつぶやく。と、ああ、という小さな声が聞こえた。
 闇の中で懐中電灯が壁の一点を照らしている。その反射で間接照明のように洞窟ぜんたいがぼんやり明るい。暗闇に目が慣れてきたせいもあるだろう。遠い海鳴りが聞こえる。波の音なのか、洞窟を吹き抜ける風の音か……。
「で、おまえん家(チ)はどうなのよ?」
 沈黙に焦れたように裕二の声がする。
「おれん家?」
 そう来るだろうとは思っていた。
「親父は信用金庫に勤めてる」
「あ、信金? あ、そりゃあ硬いわ」
 おどけた言葉の中に同情の匂いがする。
「硬いなんてもんじゃなかよ。がっちがちさ」
 石橋を叩いても渡らない。バクチもしない。
「プロサーファーなんて水商売って感じよ」
「そりゃたしかにウォータービジネスだもんな。間違いではない」
 二人同時に自虐の笑いがもれる。
「ほかん家の子は、みんな父ちゃんとキャッチボールしてたけど、うちの親父は休みの日はいつも机に向かっていたよ」
 資格試験が多く、勉強しないわけにはいかなかったのだろう。
「融資担当が長かったからな」
「あ、融資係の人? そりゃだめ。うちの親父も兄貴も銀行の融資とは反り合わなかったな。顔合わせばへっこらしてたけど、いなくなると、あいつら金貸すのが商売のくせして、とかぶっちぎれてたよ。親父なんか出刃包丁を洗い場に叩きつけて刃折ってた」
「まあ、たしかに金貸すのは慈善事業こつせんからな」
 融資の利ざやは数パーセント、返済不能はその数十倍の損失。 裕二に言いながら自分にも言い聞かせる。反発しながらも理解はしてしまう。おそらく、ずいぶん恨みも買っているだろう。家に掛かってきた電話を父に取り次ぐときのことを思い出す。泣きついてくるもの、恫喝してくるもの、それを父は淡々と受けていた。冷静というか、冷酷というか……。
「あんげな仕事、と思っちょったけど……、そいで俺も食わしてもろてたんじゃからな」
「たしかに……」
 暗闇の中で後ろめたい想いを共有する。
 波乗りはいい。
 もともとプロになりたいというより、波乗りをする生活にどっぷり漬かっていたかっただけかもしれない。競技で相手に勝った負けたをして賞金を稼ぐことより、波乗りで一日が始まり、終わってゆく生活が理想だ、と話すと、裕二も同じだと言った。だが、
「えっ、自衛隊?」
 裕二の驚く声が洞窟に響く。
「せっかくプロになったのに、なんでまた……」
 理解できない、と言わんばかりだ。

つづく
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