1.鎌倉のこと

『ひぐらしの啼く時』の舞台(6)― 杉本寺と杉本城 ―

■杉本寺

 
 鎌倉最古のお寺(天台宗)と云われていますが、どのくらい古いか「杉本寺略縁起」を見てみますと、天平6年(734年)聖武天皇の后である光明皇后の御願により、藤原房前(フジワラノフササキ)、行基菩薩によって建立されたとのこと。え~!「天平」ですって! つまり奈良時代。頼朝が鎌倉へ来る400年以上前なんです。
 杉本寺(杉本観音)という名称について縁起によると「鎌倉時代(文治五年十一月二十三日)火災がおこった際に御本尊三体自ら庭内の大杉の下に火を避けられたので、それより『杉の本の観音』と呼ばれたという言い伝えがあります」とのことです。(※)
 本堂正面には源頼朝が寄進した運慶作と云われる御前立の十一面観音像が安置されています。行基(731年)、円仁(851年)、源信(986年)がそれぞれ彫ったと伝わる三体の十一面観音像(秘仏本尊)は本堂の奥に安置されており、秘仏ながら以前は拝観することも出来ました。しかし写真撮影できないうえ、現在はコロナ対策のため、本堂内に入ることもできませんので、その様子は『ひぐらしの啼く時』から引用してご紹介します。

 線香の匂いが染みついた本堂の中は暗く静まり返っている。それまで聞こえていた蝉の声が遠のいていくようだ。本堂の奥まったところに観音像が安置されているという。が、明るい外から入ってしばらくは、ただ闇の中に線香の煙がたなびいているだけだ。それでものり子は板敷きに静座した。それに倣うように祐輔も座る。
 他にも数人の参拝客がいたが、観音像のある暗い奥をただ眺めるだけで通り過ぎていく。
 闇に目が慣れるにつれ、やがて三体の観音像がその輪郭を現した。蝋燭の明かりだけでは暗く、顔の仔細までは見えないものの、優しく慈愛に満ちた視線をこちらに向けているように思えた。

 堂内は暗く、陽の光に溢れた外から入ると異次元に迷い込んだような錯覚に襲われます。この杉本寺を訪れた『ひぐらしの啼く時』の主人公たちは、十一面観音像を拝むことで、時を超えて繋がってゆきます。

■杉本城

 杉本寺の裏手に杉本義宗(1126年~1164年)が構えた杉本城がありました。と過去形なのは、『太平記(西源院本)』によると、南北朝時代の建武4年(1337年)、北朝方(足利方)の 斯波家長が、南朝方の北畠顕家軍に杉本城の戦いで敗れ落城とのことで現在その姿はありません。

杉本城跡は杉本寺本堂の裏手にあり、現在は私有地となっています。

 最初の城主、杉本義宗は、何を隠そう、このシリーズで何度も登場している和田義盛の父です。



つまり義宗は三浦一族として三浦氏の勢力下にある六浦路(朝夷奈切通しを含む)を抑えるため、要衝となるこの地に築城したのでしょう。下の地図をご覧のとおり、六浦路は唐船などの大型船が着岸できる東京湾側の六浦と鎌倉を結ぶ重要な幹線路です。(六浦路、朝夷奈切通しについては次回(7)でご紹介します)

弓矢が主要な武器であった時代は高所が有利。六浦路を下方に見るこの地に義宗が築城したのはうなずけます。

杉本寺の境内から六浦路を見下ろす(下の車道が六浦路)

ここでひとつ疑問がわきます。三浦氏は居を構えた土地の名を家名にして和田、朝夷奈と名のっていますので「杉本」も同様のはずです。ところが前掲の「杉本寺略縁起」にあるとおり「鎌倉時代(文治五年十一月二十三日)火災(注)がおこった際に御本尊三体自ら庭内の大杉の下に火を避けられたので、それより『杉の本の観音』と呼ばれたという言い伝えがあります」とのこと(上記※を再掲)。

現在も本堂の前に杉の木があります(鎌倉時代のものとは違うと思いますが……)

杉本義宗(1126年~1164年)は平安時代の人ですが、杉本寺(杉本観音)の名の由来が鎌倉時代の出来事によるものとなれば、時代が前後して整合しません。おそらく「杉本寺略縁起」の話は、寺の名の由来を説くための寓話であって、実際には平安時代、つまり義宗が築城した時にはすでに杉本郷という地名があったのだろうと私は推測しています。(これについて何かご存知の方はご教示いただければありがたく存じます)

 注:「鎌倉時代(文治五年十一月二十三日)の火災」については『吾妻鏡』にも記載があります ➡ コチラ

■杉本寺・杉本城と『ひぐらしの啼く時』

 杉本寺の十一面観音(観世音菩薩)は千数百年もの間、この界を(ミ)続けてきました。人間界の争いごともつぶさにてきたはずです。でも一度も言葉を口にしたことはありません。それでも一心に救いをもとめてきた者たちには、その者たちにだけ聴こえる慈悲の言葉を授けたかもしれません。『ひぐらしの啼く時』の登場人物たちは、和田、三浦の血を引く者たち。自らが、杉本義宗の城、杉本寺との縁を知ってか知らずか、杉本寺を訪れ、十一面観音を拝したことで、鎌倉時代、太平洋戦争の時代、現代と時空を超えて繋がってゆきます。それは十一面観音の慈悲の言葉を心の中で聴いたからかもしれません。

(冒頭部分は、下のAmazonサイトで「試し読み」ができますのでご覧ください)

『ひぐらしの啼く時』コチラ

『ひぐらしの啼く時』ご紹介コチラ

次週は『ひぐらしの啼く時』の舞台(7)― 朝夷奈切通し ―

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