前回の『ひぐらしの啼く時』の舞台(6)― 杉本寺と杉本城 ― はコチラ
「朝夷奈切通し」といえば鎌倉七口のひとつ。三方を山に囲まれた鎌倉にとって「切通し」は外界との連絡口です。
鎌倉側から入ってすぐの所に建つお地蔵様。浄誉向入という切通の修造を行った僧の供養塔とのこと。
峠の頂にある摩崖仏。いつごろのものか、由来はわかりません。
朝夷奈切通しは、鎌倉から三浦半島を横断して東京湾に出るルートです。奈良時代から、鎌倉へ塩を運ぶ道であり、鎌倉幕府にとっても大型船(唐船)の着岸できる六浦へ出る重要なルートでした。おそらく、この切通しの名は朝夷奈三郎義秀が由来となっているのでしょう。しかし、朝夷奈三郎は、和田義盛の三男で、和田の乱で幕府(北条氏)と敵対した人物です。(和田の乱については『ひぐらしの啼く時』の舞台(2)― 和田塚 ― をご覧ください)
そんな謀反人が、鎌倉幕府にとって重要な幹線道路に名を残しているのはなぜだと思いますか? それは『ひぐらしの啼く時』の物語の中で朝夷奈三郎が自ら答えを示してくれるでしょう。
(2020年4月に当ブログ上で公開した「切通し(1)―朝夷奈―」で、切通しの名の由来について考察していますが、『ひぐらしの啼く時』にとって、今となっては少々ネタバレとなってしまいました。それでも「切通し(1)―朝夷奈―」記事内の「うんちく」だけでもご覧いただくと和田義盛、朝夷奈三郎にとって、この道がどういう意味を持っていたかご理解いただけると思います)
この「朝夷奈切通し」は『ひぐらしの啼く時』の中でも重要な舞台のひとつです。物語の登場人物たちは、この古の道を辿ることで、時を超えて繋がってゆきます。
(『ひぐらしの啼く時』の冒頭部分は、下のAmazonサイトで「試し読み」ができますのでご覧ください)