2022年終戦の日に想ったこと
今年もまた終戦の日がやってきた
「もはや戦後ではない」という言葉が経済白書に登場してから66年が経過し、先日亡くなられた安倍元総理が「戦後レジームからの脱却」を掲げるようになって16年経ちました。もはや実際の「終戦の日」を経験した人は、とても少なくなりました。(この記事を書いている私も経験していません)
日本人にとって「終戦の日」は敗戦の日であり、当時の連合国の人にとっては勝利の日でした。ですので、日本では、苦しかった過去の時代を思い返して、その想いを胸に刻む日。終戦未経験の人にとっては、先人たちの苦しみ、悲しみを、あらためて知る(学習する)日という記念日(メモリアルデイ)的な意味合いが大きかったと思います。ところが今年は、だいぶ様相が異なり、戦争は過去のことではなく、とても身近なものになってしまいました。
ウクライナ紛争
今年の2月24日にロシアがウクライナに侵攻しました。すでに8年前にロシアのクリミア侵攻が始まっていましたが、さかのぼればベルリンの壁崩壊から何かが動き始めていました。さらに、第二次世界大戦へと歴史をさかのぼれば延々と因果は連なっています。しかし今年の2月24日は世界情勢が大きく変わった節目の日となり、世界の人々の価値観をも大きく変えてしまったのではないでしょうか。
参考記事:ウクライナ情勢に想うこと(1) ~(6)
注:過去に書いたものですので、状況の変化とともに私自身の考え方も不動ではありません。
台湾情勢
ウクライナ情勢に想うこと(1)でも述べましたが、極東でも戦争のリスクが高まっています。ロシアとウクライナの関係が、地球の反対側で、そのまま起きてもおかしくない状況です。そこへ火に油を注ぐかのように、ペロシ米下院議長が台湾を訪問したことで、中国は台湾を包囲するような形で軍事演習。弾道ミサイル5発が日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下し、日本にも緊張が走りました。
改憲論議
先日行われた参議院選挙で改憲勢力が三分の二以上となり、衆参両院で改憲勢力が三分の二以上を占めることになりました。
ここで改憲の賛否を論じることはしませんが、国会で改憲勢力が改憲発議に可能な議席を確保したということは、いずれ改憲の国民投票が行われる可能性が大きくなったということです。したがって、改憲について、私たち(18歳以上の全ての国民)は目を逸らすことはできなくなりました。憲法を変えるということは、一過性のことではなく、長きに渡って国の方向を決めることですから、心して向き合わなければならないと思います。
戦争の危機が高まったことはたしかだが……
今年の「終戦の日」は、いつにもまして、すべての人が「戦争の危機」から目を逸らすことなく、戦争が起こらないよう考えていかねばならないと思います。もちろん、戦争が「起きてしまったときのためにどうするか?(軍備)」を考えることも重要ですが、「起こさないようにするためにどうするか?」を考えるほうが優先されるべきだと思います。しかし昨今は、ウクライナで衝撃的なことが起きてしまったゆえか、「起きてしまったときのためにどうするか?」が先行して論じられているように感じます。起きることを前提に準備することは「抑止力(起きないようにする)」であるという考え方もあるとは思いますが、少なくとも過去の世界大戦では準備(軍備)は抑止力として機能しなかった、と私は考えています。自然災害は人間がどうすることもできませんので、「自然災害が起きてしまったときのために、どんな準備をするか?」は、とても大切です。しかし戦争は自然災害ではなく、間違いなく人間(私たち)が起こすものです。ならば、まずは「起こさないようにするためにどうするか?」を真剣に考えることが、真の抑止力であると思います。もちろんその答えは簡単ではありません。考えて、考えて、考えて……。今年の「終戦の日」は、そういう日にしたいと、私自身は考えています。
戦争を語り継ぐ
私は「戦争を語り継ぐ」をテーマにして、いくつか小説を書いてきましたが、今回は、とりわけ「終戦の日」を意識して書いた作品をご紹介させていただきます。
竜の棲む岬(紙書籍、電子書籍の両方を用意してあります)
かつて、そこには竜がいた(当ブログに掲載してあり、無料で読めます)