1.鎌倉のこと

ラフカディオ・ハーンの見た鎌倉(4)― 円応寺 ―

この記事は、ラフカディオ・ハーンの見た鎌倉(3)からの続きです。

注)記事中の英語原文(青字)は、ハーンの生の言葉を味わっていただくために掲載しますが、日本語訳(青字)も入れました。(訳:当ブログ著者)なお、英語原文は、『Glimpses of Unfamiliar Japan』(プロジェクト・グーテンベルク)より引用しました。

閻魔大王の寺、円応寺


ラフカディオ・ハーンの鎌倉・江の島めぐり推定のルート(今回は円応寺)

1.円応寺に到着

建長寺を後にしたハーンとアキラが次に訪れたのは円応寺(えんのうじ)と思われます。以下の通り、『Glimpses of Unfamiliar Japan(知られぬ日本の面影)』で、ハーンは「Zen-Oji」と記していますが、状況からして、どう見ても「円応寺」でしょう。

As we travel on, the road curves and narrows between higher elevations, and becomes more sombre. ‘Oi! mat!’ my Buddhist guide calls softly to the runners; and our two vehicles halt in a band of sunshine, descending, through an opening in the foliage of immense trees, over a flight of ancient mossy steps. ‘Here,’ says my friend, ‘is the temple of the King of Death; it is called Emma-Do; and it is a temple of the Zen sect—Zen-Oji. And it is more than seven hundred years old, and there is a famous statue in it.’(以下略)

(人力車で)進むにつれ、道は曲がりくねり、登るにつれて崖にはさまれて狭くなり、寂しくなってくる。「おい、待って!」。 私の仏教ガイド(アキラ)は俥夫に優しく呼びかけた。すると、私たちの乗った二台の車は、苔むした古めかしい石段に、大木の木漏れ日が陰翳を描く辺りで止まった。
「ここは死の王の神殿で、閻魔堂とも呼ばれている禅宗のZen-Oji(おそらく円応寺のこと)です。そしてこの寺は700年以上前(注)のもので、中には有名な彫像が安置されています……。(以下略)

注)新編鎌倉志によれば「円応寺は建長二年(1250年)の創建」となっていることから、1890年に訪れたハーンは(アキラの説明で?)「700年以上前」と記したと思われます。しかし、その『新編鎌倉志』に、「(鎌倉志)を記せし比は、貞享 ( 1684年~)のはじめにて、其時迄由比浜に有としるせり」(詳細はコチラ)となっていて、創建当初は由比ヶ浜にあったようです。現在の山ノ内に移転した理由については、『建長寺参暇日記』に「元禄大地震(元禄十六年(1703年))による津波で建物が倒壊。その後に、現在の山ノ内に移転」と記されています。ですのでハーンが訪れた時、その地には、およそ190年前に移転されてきたことになります。

現在の巨福呂坂は、舗装された自動車道路ですが、ハーンの来日当時はまだ狭小な山路だったと思われます。(以前に掲載した「切通し(4)―巨福呂坂―」の地図の「旧道」がそれと推定されます)
旧道のイメージ

この写真は、人力車が通れるよう明治時代に拡幅した大仏坂切通しですが、巨福呂坂の旧道もこんな感じだったのではないでしょうか?


現在の巨福呂坂洞門



現在の円応寺入口
巨福呂坂洞門(写真左下)のすぐ近くです。


苔むした古めかしい石段に、大木の木漏れ日が陰翳を描く辺り」とは、ここでしょうか?
石段は新しくなってしまってますが……。

2.そして堂内へ

Everything is worn, dim, vaguely grey; there is a pungent scent of mouldiness; the paint has long ago peeled away from the naked wood of the pillars. Throned to right and left against the high walls tower nine grim figures—five on one side, four on the other—wearing strange crowns with trumpet-shapen ornaments; figures hoary with centuries, and so like to the icon of Emma, which I saw at Kuboyama, that I ask, ‘Are all these Emma?’ ‘Oh, no!’ my guide answers; ‘these are his attendants only—the Jiu-O, the Ten Kings.’ ‘But there are only nine?’ I query. ‘Nine, and Emma completes the number. You have not yet seen Emma.’

Where is he? (以下略)

すべてがすり減っていて、薄暗く、ぼんやりと灰色で、かび臭い匂いが漂っている。柱はとっくに塗装が剥げている。高い壁に向かって左右の座に、ラッパの形をした奇妙な冠をかぶった 9 人の不気味な人物が、見上げるようなところにいる (片側に 5 人、反対側に 4 人)。人物たちは長い歳月のせいで古ぼけている。(横浜の)久保山で見た閻魔の像に似ていたので、「これらはすべて閻魔なのですか?」と(アキラに)尋ねると、
「いいえ違います。これらは閻魔の従者です。十王と言います」と答えた。
私は「でも9人しかいませんよ?」と、もう一度尋ねると、
(従者が)9人、そして閻魔を入れて10人で十王となるのです。まだ閻魔はご覧になっていません」

「では、彼(閻魔)はどこにいますか?」と私は尋ねた。(以下略)


現在は、閻魔大王を中央にして、十王がずらりと並んでいますが、ハーンが訪れた時は、閻魔大王だけ、垂れ幕の裏に隠されていたようです。

He makes me a sign to look, and lifts the veil with a long rod. And suddenly, out of the blackness of some mysterious profundity masked by that sombre curtain, there glowers upon me an apparition at the sight of which I involuntarily start back—a monstrosity exceeding all anticipation—a Face. (以下略)

(堂の管理人)は私に「ご覧なさい」とばかりに、長い棒でベールを持ち上げた。すると突然、そのカーテン(ベール)で覆い隠された神秘的で深遠な暗闇の中から、幻影(化け物のようなもの)が現れ、それを見た私は思わず後ずさりしてしまった――それは予想にもしなかった怪物の顔だった。(以下略)


閻魔大王
こんなのが突然現れたら驚きますよね。ハーンが「思わず後ずさり」したのがよく分かります(私もスマホの画面覗きながらシャッター切るのが怖かったです)。
上方に垂れ幕のようなものが見えますが、現在は常時開いています。

日本では「地獄」や「閻魔大王」が、仏教の世界観の一概念として一般に知られていますが、これは、仏教がチベット、中国を経て日本に伝わる(北伝)間に、チベットではシンジェ(死者の主)、中国では、道教の冥界の王である閻魔王という概念が加わって大乗仏教が成立してきた経緯があります。一方、タイ、ミャンマー、スリランカ等に伝わった(南伝)、上座部仏教(大乗仏教の対語としては小乗仏教)には「閻魔大王」や「地獄」という概念が入り込むことなく、釈迦のオリジナルの哲学思想で成り立っているといえます。西欧の仏教研究者は、主に、この上座部仏教の経典を翻訳、研究し、マックス・ミュラーらが『東方聖典叢書(Sacred Books of the East)』にまとめましたが、前回(3)の建長寺でも述べた通り、ハーンは、アメリカ時代に、この『東方聖典叢書』で仏教を独学したので、閻魔大王のことは知らなかったはずです。そのため、日本の仏教寺院で恐ろしい形相をした閻魔大王像を見た時の驚きは大きかったと想像します。


閻魔大王の衣装は唐の官人風(道教の服)です。映画『キョンシー』の道士の服装に似たものではないでしょうか? 「閻魔」の概念が中国で入ったことを物語っていると思います。

十王についてはコチラをご覧ください。

3.円応寺の言い伝え

ハーンは、円応寺の言い伝え(縁起)を紹介しています。

Now this weird old temple has its legend.

Seven hundred years ago, ‘tis said, there died the great image-maker, the great busshi; Unke-Sosei. And Unke-Sosei signifies ‘Unke who returned from the dead.’ For when he came before Emma, the Judge of Souls, Emma said to him: ‘Living, thou madest no image of me. Go back unto earth and make one, now that thou hast looked upon me.’ And Unke found himself suddenly restored to the world of men; and they that had known him before, astonished to see him alive again, called him Unke-Sosei. And Unke-Sosei, bearing with him always the memory of the countenance of Emma, wrought this image of him, which still inspires fear in all who behold it; and he made also the images of the grim Jiu-O, the Ten Kings obeying Emma, which sit throned about the temple.

さて、この奇妙な古い寺院には伝説がある。

七百年前、偉大な仏師である運慶蘇生が亡くなった。「運慶蘇生」とは「死から生還した運慶」という意味である。彼(運慶)(死んで)魂の裁判官である閻魔の前に来たとき、閻魔は彼にこう言った。「おまえは、生前、俺様の像をひとつも作らなかったな。しかし、今、こうして俺を見たのだから、地上にもどって俺の像を作れ」
そして運慶は自分が突然人間の世界
(娑婆)にもどったことに気づいた。そして、以前から彼を知っていた人々は、彼が再び生きているのを見て驚き、彼を「運慶蘇生」と呼ぶようになった。そして運慶蘇生は、閻魔の顔を思い出しながら、今でも見る者すべてに恐怖を呼び起こすこの像を作り上げた。そして彼はまた、閻魔とともに居る十王の像を作った。それが今、この堂に座している像たちだ。

4.笑い閻魔?

「円応寺縁起」には次のように書かれています。

本尊の閻魔大王座像(国重要文化財)は、仏師「運慶」作と伝わります。運慶は頓死をして閻魔大王の前に引き出されましたが、閻魔様の 「汝は生前の慳貪心(物惜しみし、欲深いこと)の罪により、地獄に落ちるべきところであるが、もし汝が我が姿を彫像し、その像を見た人々が悪行を成さず、善縁に趣くのであれば、汝を裟婆に戻してやろう。」といわれ、現世に生き返された運慶が彫刻したと言われています。運慶は生き返った事を喜び、笑いながら彫像したため閻魔様のお顔も笑っているように見えることから、古来「笑い閻魔」と呼ばれています。(円応寺ホームページより)

「笑い閻魔」とは、ハーンの感じ方とはずいぶん違いますね。皆さんはいかがですか?

5.閻魔大王とハーンのスピリッチュアル問答

ハーンは円応寺で十王たちと出会い、こんなスピリチュアルな会話を交わしたかもしれません。
注:内容は当ブログ著者の憶測です。



ハーン:なんと、これが仏像? まるで化け物ではないか!


閻魔:なんだと? おまえは何しにここへやってきた!


ハーン:日本の仏像に拝謁したくて参りましたが、あなたが仏像とはとても思えない。仏とは慈悲深い存在。それを形にしたのが仏像のはず。それなのに、あなたの顔といったら……。



五道転輪王:大王様、こ奴は何もわかっておりません。早く地獄へ送って、地獄の何たるかを分からせてやりましょう!


閻魔:待て。そもそも、こ奴は大乗の何たるかを知らんのだ。ならば教えてやらねばなるまい。


ハーン:え? 大乗? それは何ですか?


閻魔:大乗とは大きな乗り物。すべての衆生が乗って救われる乗り物だ。衆生がみんな経典を読んだり、苦しい修行を積んで悟りを得ることなどできまい。だから大乗が必要なのだ。


平等王:民衆は生きるために働くので精いっぱい。字を習う暇もない。字が読めなければ経典を読むことすらできまい。


ハーン:それは、その通りですが……。(この人、子泣きジジイに似てるな (^-^)フフ)


泰山王:だから、我々のような恐もての指導員が必要なのだ!


ハーン:え? どういうことでしょう。


変成王:生きている間に悪いことをしたら地獄へ落ちる! と思わせるのだ。


都市王:嘘を言えば舌を引っこ抜く! と思わせる。


ハーン:思わせる? そんな恐怖でマインドコントロールするやり方では、本来の道徳心は育たないでしょう。



泰山王:本来の道徳心だと? 生意気なことを言うな!


閻魔:まあ、待て、こ奴がそう思うのも無理からぬことだ。
   ただ、お前の言う「本来の道徳心」とは何だ? そんなものが最初からあれば、いや、生まれながらに備わっていることに気づいていれば、神も仏も要らんだろう! 善悪の判断のつかない子供もいれば、子供みたいな大人もいる。生まれながらに心優しく徳をそなえた者もいる。かしこい者もいる。人にはいろんなタイプがある。だから、それぞれに合わせて教え導いてやる。それを仏の方便と言うのだ。


ハーン:では、あなた方は子供たちに善悪を教えるためにいるのですか?


閻魔:まあ、そういうようなことだが……、子供みたいな大人もいるからな。


平等王:この世の中、子供みたいな大人ばかりじゃ。(ワシは子泣きジジイじゃないぞ)


閻魔:経典を読んだり、座禅をして悟りを得ることができる者は、そうすればいい。


ハーン:なるほど……。では、地獄は「ある」と「思わせるだけ」で、本当は存在しないのですね?


閻魔:バ、バカ! それを言ってしまったらおしまいだろ。そんなこと……俺は絶対に言わんぞ!
   おまえみたいな奴は、もう、ここに居る必要はない。さっさと帰れ!


ハーン:ハイ、ハイ、帰りますよ。これから江の島まで行かなければならないのでね。


閻魔:そうか、これから江の島へ行くのか。だったら教えてやろう。おまえは江の島への旅で大きな悟りを得るだろう。俺に会ったことで霊界のことも少しは分かったはずだ。これからは霊界の宣伝マン、いや広報担当にしてやるから、衆生の教化に協力するのだぞ。ウン。以上! 帰ってよし!

円応寺で閻魔大王とハーンが、こんな会話を交わしたかどうかは分かりませんが、ラフカディオ・ハーンは、この江の島行脚の旅で、何かと出会い、感じ、日本に滞在する決心をしたのではないかと、私は思っています。それについて、小説『ラフカディオの旅』で探り、解き明かしてゆきたいと思います。

これにて取材終了!

いやあ、円応寺さんには、フラッシュ焚かない条件で写真撮影OKいただいてるけど、モデルにスマホ向けながら冷や汗もんでしたよ。
「はい、閻魔さん、笑って~!」
喝っ!
「お~怖!」
てな感じでした。(;^_^A

さて、円応寺での取材も終わったので、いつものように……。

おつきあいいただける方はコチラへ


さて、次回(5)は「え? 鶴岡八幡宮に行ってないの?」です。

このブログ記事は、小説『ラフカディオの旅と並行して書いておりますので、あまり頻繁には更新できません。何卒ご容赦願います。m(*ᴗ͈ˬᴗ͈)m

※後日追記:『ラフカディオの旅』を2月1日に出版しました。絶賛発売中です!

 
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