1.鎌倉のこと

小説『春を忘るな』の連載を終えて

連載のあとがき

1.ご挨拶

 連載小説『春を忘るな』をお読みいただいた皆さま、誠にありがとうございました。
 源実朝の死にまつわるいくつかの疑問を、小説という手法で解いてみたいと思い立ち、自分としては何とか納得のいく帰結となりましたが、皆さまはいかがでしょうか。この記事は、その疑問と解き明かしを整理し、改めて検証したものです。小説を読了され、ご満足いただけた方にはご無用かもしれません。いまだ読まれていない方は、以下の第3項(解き明かし)を除いてご覧いただければ嬉しく存じます。

2.小説『春を忘るな』を書くに至った疑問(謎)

(1)甥が肉親の叔父を殺す?
 

 源実朝殺害の実行犯が公暁であることは、ほぼ間違いありません。実朝にとっては甥。甥が肉親の叔父を殺害して将軍になろうとする。そんな陰惨な行為も中世の価値観、倫理観からすればあり得るのかもしれません。ならば、そんな中世人の心模様とはどんなものだったのか?

(2)政子は我が子を暗殺されても尼将軍でいられる「鉄の女」だったのか?

 
 北条政子は腹を痛めた我が子を、二人も陰惨な暗殺で失いました。しかも、孫(公暁)が子(実朝)の首を切って持ち去るという凄惨さは、普通の母親ならば聞いただけで卒倒してしまうでしょう。それなのに、その後の「承久の変」では尼将軍と称されるほど気丈に振舞い、幕府軍の士気を鼓舞しました。まともな人間感情の人であれば「尼将軍」どころではなく、傷心の「尼僧」として我が子の菩提を弔うことしかできなかったはず。はたして政子は「鉄の心を持つ女」だったのでしょうか?

(3)なぜ将軍、源実朝の御首は消えたのか?

 
 実朝は鶴岡八幡宮で殺害された際、御首(ミシルシ)を持ち去られ、首無しの遺体が勝長寿院に葬られました。なぜ、そのようなことになったのか? 織田信長のように火中に消えたわけではなく、公暁は仇討ちの証として実朝の御首を一時も離さず携えていました。幕府は公暁をその晩のうちに捕えて誅殺しているのです。御首が無くなるはずはありません。たとえ何らかの理由で、公暁が誅殺された時、御首を持っていなかったとしても、公暁の行動範囲はほぼ特定されています。幕府はどんなことをしても探し出して(たとえ嘘でも)きちんと埋葬する(埋葬したことにする)はずです。
 鎌倉から30㎞ほど離れた神奈川県秦野市に「源実朝公御首塚」があります。『吾妻鏡』も『愚管抄』も、これにはまったく触れていません。もし誰かが、そこに実朝の御首を埋めたとしたら、なぜ、そんなことをしたのか? 幕府や政子が、それを知ったら、掘り出して勝長寿院に再葬し、首塚というような忌まわしいものは残さないはずですが、史料上そんな動きはありません。まったく不可解です。

 
 源実朝公御首塚(神奈川県秦野市)

(4)「春を忘るな」は辞世の句なのか?

 

 出でていなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな

 源実朝の辞世の句と云われています。でも、この歌には死の予感、覚悟といったものより、どこか希望にも似た何かを感じるのは私だけでしょうか……。

3.『春を忘るな』で疑問(謎)は解けたのか?

 史実と考えられる史料上の出来事をマイルストーン(点)とし、人物の動機を推定して線を描くという小説の手法を用いた結果、私としては得心の帰結となりました。
 「源実朝暗殺事件の謎と解き明かし」ネタバレとなりますので『春を忘るな』を読了されてからご覧いただくのが宜しいかと思います。

4.連載の一覧

 まだご覧になっていない方は以下のリンク先からご覧ください。

 まえがき)2020年12月17日 中世の価値観と人の感情について
  (1)2020年12月17日 鎌倉時代に想いを馳せる二人の考古学者(1)
  (2)2020年12月24日 鎌倉時代に想いを馳せる二人の考古学者(2)
  (3)2020年12月29日 実朝、疱瘡に罹る。
  (4)2021年 1月 7日  実朝、栄西と出会い宋への憧れを抱く。
  (5)2021年1月14日 実朝、幼い公暁と初対面。
  (6)2021年1月21日 館の外へ。見て、感じて、歌を詠む。
  (7)2021年1月28日 実朝、齢十九の春。
  (8)2021年2月4日 実朝、庚申の夜会で宿酔、そして和田の乱へ。
  (9)2021年2月11日 和田の乱勃発。実朝は法華堂へ退避。
  (10)2021年2月18日 宋人、陳和卿現る。
  (11)2021年2月25日 唐船のしくみ
  (12)2021年3月 4日  実朝、渡宋への決意
  (13)2021年3月11日 唐船建造は着々と進み、実朝は陳和卿の博識に驚く。
  (14)2021年3月18日 和田の乱の悪夢。義時への疑念。
  (15)2021年3月25日 唐船の船降ろし。 公暁、鎌倉へ帰る。
  (16)2021年4月 1日 義時の本性は?
  (17)2021年4月 8日 公暁の本性は?
  (18)2021年4月 15日 右大臣拝賀式で事件は起きた
  (19)2021年4月22日 実朝死すとも千幡は死なず
  (20)2021年4月29日 旅立ちの歌(最終回

5.関連記事

  
  ・『源氏将軍断絶』拝読


  
  ・源実朝の謎(1) これが実朝の墓?


  
  ・源実朝の謎(2) 実朝暗殺事件の影に蠢くもの

  
  ・源実朝の謎(3) 真相の解明は……

  
  ・北条義時と大倉薬師堂 ―『春を忘るな』の周辺(1) ―

  
  ・源実朝ってどんな顔? ―『春を忘るな』の周辺(2) ―

  
  ・実朝の唐船と渡宋計画 ―『春を忘るな』の周辺(3)―

  
  ・え? 鎌倉時代って竪穴式住居だったの?! ―『春を忘るな』の周辺(4)―

  
  ・八幡宮大銀杏の木霊 ―『春を忘るな』の周辺(5)―

  
  ・「源頼朝の墓」とは何なのか? ―『春を忘るな』の周辺(6)―

  
  ・中世鎌倉の港湾遺跡をドローンで空から撮影しました! ―『春を忘るな』の周辺(7)―

   
  ・実朝の唐船は旅立つことができたのか? ―『春を忘るな』の周辺(8)―


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